千葉県柏市にある麗澤中高に通っていた話



はじめに

 ジャーナリストの櫻井よしこが麗澤大学での授業に関してツイートして炎上しているのを見かけた。安倍元首相が銃撃されてから、統一教会に追及の手が伸びるのと同時に日本会議やモラロジー研究所のヤバさを発信する人をちょいちょいXで見かけるようになった。そう言った投稿に反応している人たちを見ると、まるで"レイタクやモラロジーとやらは自民党をあやつる悪の組織"かなんかみたいに思っているようだと感じた。

 いや、そうじゃない、むしろ怖いのは、麗澤中高や大学って一見めっちゃ普通の学校だってこと。麗澤高校って、千葉県の東葛地区だと、東葛高校とか県立柏高校とか小金高校とかの滑り止めとしていい感じのところにある普通の高校みたいに見えるんですよ。そんなわけで、麗澤中高で普通っぽい学生生活を送った中にあったヤバげなエピソードを記憶だけを頼りに書いてみようと思った。記憶+卒業後に疑問に思っていろいろ調べて腑に落ちたことが混ざった投稿になっているかと思う。麗澤をしっかり批判するというよりは、中にいた人が卒業してアラサーになるまでに考えたことをぼんやり書いていくものとして読んでほしい。

 筆者は麗澤に中学受験をして入り、内部進学で高校に上がって卒業した。中高の6年間がぜんぶ2010年代に収まっている年齢なので若干情報は古いと思う。

 中学受験のときは麗澤が第一志望だった。というか、地元の中学に行きたくないと言ったら、塾に通わせてもらえて家から1番通いやすい私立である麗澤だけ受けさせてもらえて受かった。両親は全然モラロジーに傾倒しているとかではなかった。市内でもかなり評判の悪い公立中学の学区に住んでいたため、両親的にも普通に学区の中学に通わせるよりはいいと思ったんだと思う。難関校に行けみたいなプレッシャーはほぼない、自分は頑張ったけど世間一般の中学受験からみたらだいぶゆるい中学受験だった。

 さっき四谷大塚のサイトを見たら麗澤中の偏差値は54とあった。実際、第一志望だった子だけでなく難関校に落ちた子たちもかなり多い中堅校らしい分布だった印象がある。たぶん、難関校を第一志望にした子は麗澤のサイトを隅々まで読んで「道徳教育」だの「皇居奉仕」だのに疑問を持ったりはしない。みんながみんなモラロジーに傾倒しているという雰囲気ではぜんぜんなかった。

 そんな中に、ぽつぽつと家族ぐるみでモラロジー研究所や学校法人広池学園の関係者の子もいた。普段はわざわざそういう子たちに変に注目したりはせず、広いキャンパスでのびのびと学生生活を送っていた。というか、クラスメイトの誰が関係者の子かあんまり気づいていない子もいたと思う。また、先生たちの中にもときどき関係者がいた。教員をやっている関係者夫婦も何組かいた。先生たちは、生徒に比べてどうやらあの人たちは関係者っぽいなというのがわかりやすかった。

 学費はまあまあ高く、中学3年で全員が海外研修に行くので、結構お坊ちゃんお嬢ちゃんもいた。

 そんな環境で3年過ごした後、外部生が入ってくる。高入生と呼ばれていた。ちなみに中学からいる子たちは一貫生。雰囲気はさらに普通の高校っぽくなる。冒頭に書いたように、県立の滑り止めとしてきた子が筆者の周りには多かった。

 「普通っぽい高校」の例外は寮生。多分、麗澤中高大のなかで1番実践的にモラロジーをやっている場所。通学生なので詳しくは知らないが、上下関係やマナーなどをけっこうみっちり叩き込まれるらしい。朝礼と夕礼があって、寮生の子は夕礼のために部活を早退していた。通学生は任意参加の行事にも全員参加していたりと、寮が生活の中心だったように見えた。

 ちなみに、麗澤大学と麗澤中高の関係はかなり薄い。学校法人は同じだが付属校ではなく、麗澤大学に入るには指定校推薦を利用するか一般入試を受けるかだった。内部進学的な制度はなく、進学する子も少なかった。なので大学のことは微塵も知らない。

 出身の有名人は車椅子テニスの国枝慎吾さんがいる。

中高時代の「今考えるとあれヤバかったな」シリーズ


①中学の社会の教科書が育鵬社
 普通の歴史の授業に、太平洋戦争を大東亜(太平洋)戦争と記載している教科書を使っていた。日本にとってアジアを解放するための戦いだったとか、アジア諸国は日本に感謝してるとか言っちゃってた記憶がある。高校は普通に山川だった。

②関西研修、九州研修
 修学旅行のような校外学習のような行事が中1から高2まで年1であった。
 中学2年次は王道の京都、奈良、とおもいきや、伊勢神宮と、天孫降臨の地とされる橿原神宮がラインナップされていた。この研修の前に古事記を解説される授業があった。
 高校2年次は九州。創設者の出身地である大分を中心に、特攻隊で有名な知覧がラインナップされていた。事前に映画永遠の0を学年全員で見る時間があった。

③夏休み明けの始業式で玉音放送
 始業式、暑い体育館で校長先生の話の中で玉音放送が流された年があったのを覚えている。流された経緯、校長の話の内容は忘れてしまった。

④道徳の教科書
 麗澤高校の前身である道徳科学専攻塾の創始者、廣池千九郎による「最高道徳の格言」というものがある。これが教科書として使われ、これの日めくりカレンダーが各教室にあった。これに関する作文を書いたりもした。朝のホームルームで読ませる担任もいた。中高生にとってそこそこキャッチーでいい言葉が入っていたりもする。実際、大体の部活の部室や部Tシャツや集合写真の横断幕に「途中困難最後必勝」という最高道徳の格言からの言葉が使われていた。
 いちおうモラロジー(道徳科学)自体は宗教ではなく、東西古今のいろいろな宗教を研究した創始者がまとめた道徳的規範を示す言葉、みたいな感じだったと思う。麗澤という校名も、中国の易経から来ている。

⑤伝統の日
 創始者の命日の6月に大きなセレモニーが毎年行われる。学校行事というよりは、全国からモラロジアンと呼ばれる人々が集まってくる。在校生の部活の発表的なものもあったため母が見に来たことがあるが、モラロジアンと思しきマダムに「どこの支部の方ですか?」と聞かれたらしい。百田尚樹が講演に来たこともあった。
 モラロジー関係の企業の出店もあった。深く考えずに出店でお菓子を買って食べてる先生とかもいたし特になんとも思わなかった。

⑥乃木希典や東郷平八郎の生涯を解説する講話
 高校のときの道徳の授業のなかの一つだったと思う。外部の講師が泣きながら乃木や東郷の愛国心を説いた回があった。不気味だった。みんな、寝ているか単語帳を見ていた。感想を書いて提出しないといけなかった。

⑦先生たちの労働環境多分結構やばい
 かなり精神論が横行している雰囲気があった。サビ残とか言ってた先生もいたな……元気かな。無茶な国公立至上主義の自称進学校的指導が横行していた。

 また、高2、高3の生徒向けに校内予備校を利用して外部の先生を呼んでいたが、その外部の先生たちに対してもやたらと服装や風紀にうるさかった。

⑨任意参加の皇居奉仕
 夏休みに、皇居の掃除をしたりする活動の参加者を募集していた。参加した同級生曰く、最終日に当時の天皇陛下にお目にかかれたらしい。

⑩出席番号、男子のあ〜わの次に女子のあ〜わが続く
 シンプルに前時代的ですよね。

 これら以外にも、キャンパス内の売店に天皇陛下のカレンダーが売っていたりとか、広池学園が主催する家族の絆をテーマにした作文コンクールの案内を配られたりだとか、モラロジー研究所発行の「ニューモラル」という小冊子が配られたりだとか、麗澤幼稚園では毎朝国旗掲揚が行われているとか、今考えてみればちょいちょい刷り込まれていたなと思い当たることが多い。

 校内で過ごしたすべての時間がこういった思想に染まっていたわけではなかった。ほとんどの科目の授業は普通。変わったことといえば、ちょっと英語に気合が入っていて、ネイティブスピーカーの先生がたくさんいたくらい。普通に授業を受け、ちょっと残念な自称進学校っぽい雰囲気の中進路や学習時間についてあれこれ言われ、部活をやって、行事を楽しんでいた。

 だからこそ、不気味だと思う。内部進学生だった筆者は、高校から麗澤にやってきた外部生から「ヤバい」と指摘されたり、かなりリベラルな学生が周りに多い大学に進学したりして、麗澤で習ったことの偏りを自覚した。いまでは古事記の知識も玉音放送も戦前の日本の価値観も、周りの人より若干解像度の高い一般教養のように思っているが、12歳から18歳の学生にずいぶんな刷り込みをしていたもんだなと思う。

 麗澤中高は、キャンパスが広く、そこそこ強い部活もあり、先生たちが指導に一生懸命で、国際社会での活躍を謳ったりもしていて、安い給食もあるので、多分これからも進路として選ぶ親子はたくさんいると思う。また、筆者自身ものすごく感謝しているカリキュラムもあった。中学時代にあった「言語技術」という科目には出会えて本当に良かったと思っている。無茶で自称進学校的な進路指導もしていたが、その一生懸命な進路指導のおかげ(?)で地元の中学に進学していたらおそらく入れなかったであろう大学に進学することもできた。生徒も先生も全体的にどこか垢抜けない、素朴な雰囲気の人が多く、学校行事もものすごく派手ではないし、地域の他の高校に比べるとスカート丈の長い、いいところも悪いところもある普通の学校のような場所だったのだ。

余談

麗澤に感謝している言語技術の授業
 筆者が1番麗澤に通わせてもらって良かったと感じている点である。日本語の作文でパラグラフライティングを習ったり、絵や図に描かれた事柄を文章で説明したり、課題図書を読んで話の構造を掴んだりといったことをした。
 主要科目と同じようにテストがあるし、課題も多いしで、めんどくさいなと思わされたが、誇張なしに中高大で習ったことの中で最も役に立ったことである。大学のレポートの書き方には困らなかった。同級生全員がシェイクスピアやスタインベックやジョージオーウェル(ほんとに右翼の学校?ってチョイスですよね)を読んだことがあるのもなかなかすごいと思う。

大学のゼミの先生の話で腑に落ちた「作られた伝統」という概念
 大学では、国家や国民意識の形成を専門にしている先生のゼミで卒論を書いた。その際、ホブズボームの「創られた伝統」を読むように言われた。先生に麗澤の話をしたことは全くなかったのだが、これがまあ目から鱗が落ちるような出会いだった。神武天皇とか、大東亜戦争とか、麗澤で聞いたワードに対する違和感が言語化された。現在日本人として生きる自分たちの存在を素晴らしいものだと思い込むために、明治以降の価値観を極端に美化したりといった行いにものすごく心当たりがあった。卒論提出間際なのにぜんぜんメールの返信をくれない先生だったけど、出会えて良かった。一生忘れない人だと思う。
 

 

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