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人生において当たり前とは

こんにちは
こんばんは

今回は、当たり前とは何か?について書いていこうかなと思います。

まず初めに急ではあるが、読者に質問をしたい。
読者にとって当たり前とはなんですか?
(一旦考えてほしいと思うし、紙に書き出してもいいなとも思う)

何が出てきただろうか?
これは人それぞれ違って当然だし、人それぞれに価値観というものがあるから違っていていい。

それを踏まえた上で以下の文を読んでほしいなと思う。

なぜ僕が当たり前とはという題名でこの文章を書くのかというと一つは、高校生から大学生になって一人暮らしをして気づいた事を発信したいと思ったというのが一つと、コロナ化の中沢山の当たり前が当たり前ではなかったなと思ったからである。

では、僕の経験から僕自身が当たり前について考えたことを伝えるので読んでほしい。

今から僕が高校生までの話をする。
僕は、今まで何不自由のない生活をしてきた。
毎日朝が当たり前のようにきて、毎日当たり前のように寝ることができ、朝ごはんがあり、帰ったら美味しいご飯がある。
そして、学校に行けば仲の良い友達がいて、学校が終われば当たり前のようにサッカーができる。

この頃はそれが全て当たり前にできていて、それが全て当たり前だと思っていた。

でも、ある時からコロナというものが流行って、学校に行けなくなったり、行動に規制がかかったり、今まで当たり前にできていたことができなくなった。
コロナが流行る前までは当たり前に毎日学校に行けていた。
でも、コロナが流行ったせいで友達とも遊べなくなり、サッカーも出来なくなった。
毎日相手の表情が見れていたのにマスクをしないといけなくなり、相手の表情すらも見ることができなくなった。

ここで僕は初めて今の生活は当たり前ではないと思うことができた。
毎日当たり前に学校に行けること、友達と毎日会えること、サッカーすることができること、それらは全て当たり前じゃないということに気づけた。

そして最近、大学生になり一人暮らしをするようになった僕は、より当たり前が当たり前じゃないなと感じてる。

まず、一人暮らしをすることによって自分で決断することが圧倒的に高校生の時より増えた。
朝起きる時、高校の時なら寝坊しても親が起こしにくる。
でも、一人暮らしをすると起こしてくれる人なんていない。だから、時間を自分で把握しないといけない。
朝起きて毎日のように食卓にあった朝ごはんは一人暮らしをすると全て自分で作らないといけない。
昼になれば高校生の時は当たり前のように弁当あったが、今は自分で作らないとない。
家に帰ってもただいまと言ってくれる人もいなければ家に帰って食卓に美味しいご飯があるわけでもない。
でも、高校の時は家に帰ったら誰かがいて、ただいまと言ってくれる人がいて、美味しいご飯が食べられる。

まだまだあるが、僕はこれら全てのことを高校生の時は当たり前だと思っていた。
だが、一人暮らしをして自分で全て考えて決断して行動しないといけない状況になり、本当に当たり前じゃないなと日々思っている。

今の世の中、色々なものが出てきて、今までできなかったことが簡単にできてしまう。
仕事に関しても今就職先なんか探せばいくらでも出てくるし、働こうと思ったらバイトでもなんでも当たり前のように働ける。
学ぼうと思ったらスマホで調べれば、本を見れば当たり前のように学ぶことができる。
困ったら誰にだって相談できるし、悩んでも友達がいる。

そんななんでもできてしまう世の中だから当たり前とはということに対して僕たちは鈍感になっていると思うし、当たり前ではないことも当たり前だと思ってしまう。
だから感謝するということがなくなってしまっていると僕は思う。

ここで僕は考えた。
当たり前とは、感謝を忘れたことだと。
読者にもここでもう一度最初に僕が質問したことに対する答えを思い出してほしい。
それら全てが当たりある前にできる。当たり前のことだとおもっていないだろうか?
それが当たり前のことと思っている時点で感謝の気持ちがなくなっているのではないだろうか?
その当たり前の裏では、誰かが苦労して働いて、誰かが大変な思いをしている。
これは恋愛でも友達関係でも一緒だなと僕は考える。
そばにいてくれるのが当たり前。
自分を理解してくれるのが当たり前。
なんでもやってくれるのが当たり前。
これら全てを当たり前だと思っている時点で、相手に対する感謝の気持ちが薄れている証拠なんじゃないのかな。
(もちろん人それぞれ価値観は違うし、考え方だって違うのも理解している。)

そして、最後に僕が考える当たり前について書いておく。

この世の中に当たり前のことなんて何一つもない。

ということである。

まず最初は朝起きられることだと思う。
毎日当たり前のように朝が来て、起きられる。
まずはこのことに感謝しなければならない。
そして、朝ごはんが食べられること、毎日学校行ける、職場に行ける、そして勉強ができ、働くことができる。
そこで沢山の人と出会うことができ、友達と毎日遊べ、職場の人と話が出来て、なんなら恋愛だってできる。
スポーツをしているのなら、毎日当たり前のように人が集まってスポーツをすることができる。
疲れて家に帰れば、美味しいご飯が待っている。
結婚していれば、好きな人と同棲していれば、家に家族がいれば、毎日お帰りと言ってくれる人がいる。
そして、今日も何事もなかったかのようにまた布団に入り寝ることができ、次の日を迎えることができる。

僕たちは、なんでもできてしまう世の中だからこそ、このようなこと(当たり前のこと)がいたって普通になっている。
しかし、少し考えてみれば、当たり前のことは「当たり前だ」と感じさせられているだけなのかもしれないということに気がつくのではないだろうか?
どんな状況でも普段やってくれていること、できることが普通になり、それが当たり前になっていくし、だから人間はその当たり前がなくなるとイライラしたり、怒る。
だけど、そういうことを考えると本当に怒れたりできるだろうか?
僕と同じように一人暮らしをしている人もいればそうでなくて、家族がいる人もいると思う。
読者に問う。
今家族がいる人、彼氏、彼女がいる人、いろんな人がいると思う。
そんないろんな人がいる中で問う。
家に帰ったら、毎日洗濯してくれる人がいる、ご飯を作ってくれる人がいてご飯が食べられる、通話で話してくれる人がいる、デートに行ってくれる人がいる、これら全てが普通の生活なっているのではないだろうか?
多分大体の人が、というかほぼ全員が「なってる!」
と思ったのではないだろうか?
僕は、そんな時に感謝を伝えるべきだと思うし、「いつも〜してくれてありがとう」と伝えることが大切だなと思う。
伝えられない人は、心の中で「ありがとう」と思うだけでもいい。そうことも必要だと僕は思う。

だから僕は、毎日生きていられることに感謝している。
これまで関わってくれた全ての人、今関わってくれている人、友達、本当に感謝しかない。
そして、これからも当たり前のことを当たり前だと思わずに何事にも「ありがとう」と思い、感謝し、人を大切にできる人間でありたいなと思っている。

最後に読者にもう一度問う。
読者にとって当たり前とはなんですか?

この文章を読んで少しでも何か感じてくれるものがあれば嬉しいなと思います。

今回も見ていただきありがとうございました!





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