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【母の事。】

父は、50代前半で、「名古屋をどり」の記念公演の舞台稽古最終日に、心筋梗塞で入院し、手術。その後も大きな手術を何度もしましたので、父も、母も、家族全員が、必ず母の方が長生きだと信じて疑いませんでした。

けれども、母は、70代前半で脳梗塞を発症し、10年近い介護生活のあと、父を残して亡くなりました。
自宅介護のことはまたあらためて書きますが、
母は、父と一緒になり、長い年月、西川流を支え続けた、一本筋の通った厳しい人でした。

が、案外面白い面もたくさんあったので、その思い出もちょっぴり書いておきます。(これらの話は知っている人は、よく知っています)

①脳梗塞を起こし、自宅介護になってからですが…、TVのCMを観て、「あれ、マンボだろ?」と言うので、振り返ってTVを見てみると、お掃除ロボットルンバでした。

惜しい…。

②車椅子の母を乗せて、母の在所の四間道へ行った時、後ろの席から、80歳の母が「ここ、元カレの家!」と言った。

どこで、そんな言葉を覚えたのか?

「何やってござるかな〜?」と言うので、「ご健在かもしれないけど、会わない方が、お互いのため…。」と言っておきました。

③まだ母が免許とってそんなに経たない頃、父のマスタングと言うカッコいい車を運転していた。確か、私は高校生。
Uターンを失敗した母は、分離帯に車をこすってしまい、ドアの下あたりについているモールとやらが、取れた。

途端に母が、「拾って来て!」と言った。私は高校生、制服のまま、車を降り、身体より長いモールとやらを拾いに行き、信号待ちの運転手さん達の注目の中、モールを車に入れ…、入れ…
入らない!
「何でもいいから乗せなさい!」と母にどやされ、必死で、車にモールを押し込んだ。うら若き高校生なのに…。

④母の得意技は、飛ぶ虫(ハチでも)、えの長いコロコロで、取る。

西川陽子

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