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【母の介護について】…少しずつ。⑰

母が大府の医療センターを退院し、自宅に戻ったのは、亡くなる1ヵ月前、2016年12月の事でした。
これは良くなって退院と言うわけではなく、やはり自宅で過ごさせてあげたいと言う父の思いでした。

母は病院にいても、はじめのうちは家に帰りたかったり、家のことを心配したりしていましたが、だんだんその興味がなくなってきた様子を見て、父がやはり家に返そうと思い、病院で相談をして決めたことでした。

驚くことに…母は、帰ってきてすぐその日に私の車に乗り、以前行っていたようにデパートへ買い物に行きたいと言い出しました。

そう言われても、体も弱っているので、腰掛けさせる事はできたとしても、車で、デパートに行くと言う事は難しいわけです。しかし、どうしても行きたいと言う母の姿を見て、それでは、「車に乗り、近所を一回りドライブしてくれば、きっと母の気も済むのではないか」と、小さな子供を納得させるような気持ちでした。

母は、倒れるまでは、自分で運転をしていたので、たとえ病気になっても、道は覚えていて、「近所を一回り」のつもりで、デパートとは、反対方向へ進もうとすると、後ろの席から、「反対!」と間違いを指摘しておりました。

自宅での介護はと言いますと、私ができる事は、母は胃瘻になっておりましたので、栄養や、お薬を、時間で入れる事のほか、日々のお世話で、専門家の力を借りなくてもよい事を、なるべくするようにしていました。

その他はほとんど訪問医療、訪問看護、訪問介護の方々に専門職として任せていました。病院で、人工血管を入れる手術はしましたけれども、やはり左の麻痺がある方の足は、血流がかなり悪くなっておりましたので、傷になりやすく、その傷の手当てを毎日看護師さんがしてくださっていました。 

決してどんどんと良くなるわけは無いのですが、私の希望としては、とにかく昨日よりもほんの少しでも、傷が良くなっていたり、痛みがなかったりする方がいいと願っておりました。

ありがたいことに、母はその年のクリスマス、そしてお正月を自宅で家族とともに過ごすことができましたし、充分ではなかったけれど、姉が準備したクリスマスディナーや、お正月のおせち料理も味わう事ができました。

西川陽子

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