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星の海、明るい地平

諸言

今回はSEVENTEEN WORLD TOUR [BE THE SUN]-JAPANの名古屋公演1日目、2日目に参加した文章となります。セトリやメントの内容に触れますが悪しからず。SEVENTEENのワールドツアー、さらには日本公演に二日間参加できた経験は大きな喜びで、自分の凝り固まった思考をSEVENTEENさんが優しくほぐしてくれたような気がします。会場には温かな陽光、太陽に照らされる月があり、微かに輝く星々が散りばめられていた。幻想的な宇宙に旅立った1人の赤ちゃんCARATの感想です。

旅立ち

BE THE SUN-JAPANに参加するにあたり飛行機に搭乗した金曜日の夜。友人に見送られた後の一抹の寂しさと不安を煽るような冷たい暗闇。広々とした搭乗ゲート前は孤独を感じさせ、狭い機内では息苦しさを覚えた。飛行機の離陸後、窓の外に目をむけると美しい地上があった。微かな光は集まり、暗闇の中に街を形成していた。無機質なビル明かりにもどこか親しみを感じた。SEVENTEENに会いに行くこの旅中でしか味わえない感覚。高度の上昇とともに不安は彼らに会えることへの期待に変わっていった。自分はどこへでも行けるような気がする。彼らに会いに行くだけでここまで満たされる自分に驚いた。

CARATと向かうバンテリンドーム

飛行機から会場までの道中、多くのCARATさん(と思しき方々)を見かけた。デートに行くようなおしゃれな服から個性的な装いまで様々だ。誰もが心躍る様子で、恋をしているような、浮かれた空気に自分までも甘酸っぱい気持ちになった。それだけSEVENTEENさんが期待されて愛されていることは希望だと思った。まだ始まってすらいないライブに期待は加速度的に高まっていく。1日目は晴天、2日目はロッカー探しに忙しく動いていたから明瞭に覚えていないが、両日とも善き日だった気がする。街のどこに行ってもどこか浮かれた人がいる光景はあまり経験したことのない非現実的なもので、多くのCARATさんが集うライブというものを経験できてよかった。

ライブ1日目・2日目

今回は大阪、東京公演のセトリは確認しないで参加した。ピュアなリアクションを大切にしたかった。ソワソワとする人、慣れた様子でCARAT棒の準備を始める人、会場の中でもCARATさんたちの様子は様々だった。ライブが始まるまでの間、1日目はずっと涙を流していた。画面に映る彼らのMVをみては歌詞をなぞっては感動した瞬間を思い出して、辛かった時分にも傍らにいてくれたSEVENTEENへの感謝の思いか。理由は分からないがずっと泣いていた。今の自分にはここが終着点で目標だった。SEVENTEENのライブに行きたい。CARATになってからずっと抱いてきた憧れを実現できた達成感に熱くなった。SEVENTEENさん、日本でドームツアーを開催してくれてありがとう。

星の海をSEVENTEENと眺めて

 パフォーマンス中及びアンコールの際には推し2人(JUNとDINO)と目が合ったような気がすると歓喜に溺れた。彼らと刹那の時間、テレパシーで会話したような、通じ合った気がした。多くの人がファンサービスをもらっては同じように喜びの声を上げた。嗚呼、推しと通じ会える、直接目にできる機会はなんと貴重なことか。誰もが歓喜したアンコールの時間には優劣がない幸福に満たされていた。様々な思いがあっても換言できない愛を全身で感じ取ることができた空間だった。
 空間の話をすると、私はSEVENTEENのパフォーマンスを楽しみながら何度かドームを見渡したりした。美しかった。誰もが掲げるCARAT棒は小さく微かな光で、暗闇に対してはあまりにも弱かった。しかし、間隔のある光はドームの輪郭を作り色彩豊かな大海を思わせた。ウェーブの際にもタイミングを図るとき、多くの星にも見える光は大きく動いて生きていた。CARAT棒一つ一つがかけがえのない命の輝きだった。彼らに合図を送るスローガン(クラッパー)を叩く音は感謝の胎動だった。命を燃やすような彼らは大きな恒星で、CARATは彼らを支える。あの場所は有限の大きさだったが確かに宇宙だった。大きくて儚い空間の中私の頬にはまた大粒の涙が流れた。
 SEVENTEENに合うという一つの目的のために人が集い、性別・国籍も関係なくただ一つの太陽に歓喜する。私はあなたで、あなたはわたし。まるで孤独を感じることがなかった。なんと偉大な存在なのだろうか。この宇宙は繋がっている。同じCARATというだけでSEVENTEENを思い続けて、応援する気持ちは同じで優劣もない。きっといろいろな思想の人がいるだろうし、中には不幸を背負っている人がいるのかもしれない。SEVENTEENがいて、CARATがそこに集っている、その景色は個が争う現実とかけ離れた空間と景色で私にとっては希望だった。誰もが手を取り合える世界のようで。

明るい地平


 宇宙に旅立ったということは時期に地上に戻らなければならない。おなじみの「아주 NICE」にも終わりが来て帰路につく。寂しさはやはりあった。誰もが戻らねばならない現実が明日にはあるからだ。帰りの新幹線に乗る前に私は見晴らしの良い高い建物を昇った。色の種類は豊富ではない、想像通りの夜景ではあった。しかし、似たような景色をさっきまで見ていたし私も星の一部になっていた。新幹線の中からも夜景は見えた。私が飛行機で感じた高揚感はどんどんと地上へと降りていくように収まり始めていたが記憶にしっかりとある。私は宇宙に旅立った。誰もが同じ人たちを応援する理想のような景色を目に焼き付けた。きっとこの地平も変わらないのだろう。私達は星屑で微かな存在だけれど何かを照らせたら、それだけで恒星として立派ではないのか。BE THE SUNを経験した赤子が抱く安っぽい感想だが、誰かを照らせるだけでもそこに生きている意味や行動の価値はあって、希望のために地平で力を尽くすしかないのだろう。BE THE SUNが終われば、SEVENTEENが美しいと言ってくれた光の海はただの景色になる。それでも私が暗くて生きづらさを感じた地平にもかつての星々がある。同じものではないけれども次にまた会えるその日まで私は地平の光の一滴になってみよう、そう思えた。彼らが教えてくれたような気がした、きっと地平も美しいと。

届かぬ手紙

 今回のBE THE SUNに関して心残りがあることは2つある。1つはソンムルを作れなかったことだ。現在筆を執っている段階で顧みると、SNS上でつながっている人が居なかったためモチベーションとして低かった。また、病気がちであったため制作は難しかったと割り切れた。次回機会があればソンムルというものを不器用ながらぜひ作ってみたいと思う。
 もう一つはファンレターを投函できなかったことだ。こちらに関しては完全に自分の不注意が招いた結果である。数少ない彼らに感謝を伝えられるチャンスを逃してしまったことが後悔として大きい。しかし、もっと大きいのは友人CARATさんに韓国語訳をお願いしてまで書いた努力が報われなかったことだ。友人よ、本当に申し訳ない。今回思いを認めた不達の手紙はいつかの機会までしっかりと保管しておく。今後このような後悔につながることがないように身体的・精神的・現地での行動に関する準備は長い期間をとって準備を行いたい。このnoteは自分への戒めの意味でも書いた。いつか役立つときが来ますように、いつかこのnoteのことを思い出して笑えますように。


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