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CARAT(一歳)の日記

緒言


  SEVENTEENさんと出会ってから一周年を迎え、気持ちを整理するためにnoteを書きました。2021年の9月にSEVENTEENさんと出会い、CARATとなった私は2022年11月現在までの間、彼らの姿・曲・歌詞にたくさん助けられました。出会った光はかけがえのない心の支えになりました。ただ1年を振り返っただけの日記のようなものですが私に変化があったので記録として残しています。

 素性を明かすと、現在理系の修士2年です。研究活動は実験を行なって、結果をまとめて…の繰り返しです。進路として就職と進学(博士)があります。

光を見つける


 いつも通りに朝日が昇り希望に溢れたような気がしても現実には悲観に呑まれた自分が鏡の映る。明るいようで暗い道を進んでいる時は後ろに伸びきった影にいつも怯えていた。一日の終わりを告げる夜の時間は暗澹としていて、大嫌いだった。
 CARATである友人からSEVENTEENさんの存在を教えてもらった。自分のアイドル遍歴は嵐やジャニーズWESTで、実態として「推し活」は全くしていなかった。せいぜい友人と一緒にライブ映像を眺めるくらいであった。
 友人にSEVENTEENさんに関する魅力を教えてもらってもすぐに動かず、そのときにもらった「;[Semicolon]」も机の上に置きっぱなしで、編み物を作ってすぐに押入れの奥に行ってしまった。2021年のある日に部屋の片付けをしているときに手に取った「;[Semicolon]」が気になった。その時がSEVENTEEENさんの魅力を知り、CARATになったターニングポイントであった。
 一先ず「;[Semicolon]」に掲載されている曲を聴こうとYoutubeで「HOME;RUN」を再生するとあっという間に魅了された。何度も何度も繰り返し再生した。自分の見たいもの、聴きたいものが映像の中に収まっていて、心を掴まれていた。直ぐに友人に連絡して、おすすめされた曲をどんどんと聴いていった。私というCARATはこの時に確立された。

CARAT爆誕後


 はじめにハマった曲が「HOME;RUN」であった。課題や研究、後ろ暗い気持ちに追い詰められた自分にとっては心強い曲であった。「우린」、「우리는」はまるで彼らの一員になったような気がして、だめな自分の背中に声援をくれるような、励ましてくれているような、安心感と頼もしさに涙が止まらなかった。孤独が嫌いな自分にとって側にいてくれる人の存在は何よりも温かった。
 2021年10月にはメンバーの顔を覚え、初のカムバックを迎える季節になっていた。過去のアルバム・ライブBlu-rayを買ったり、「In the SOOP」を視聴して彼らに関する情報を集めていた期間は好きなことに没頭できる充実した時間だった。研究活動をしながらであっても自分は無敵であるように思えたあの時間は今後の自分の人生にとっても重要な意味を持つような気がする。見通すことのできない終わりに立ち向かえる自分に気づいた瞬間、初めて自分の中で欠けた何かが埋め合わせられたような気がした。SEVENTEENさんを応援していくことで現在を生きる感覚を取り戻したような気がした。彼らのことが心の底から好きで、声援を送り続けたいという気持ちが溢れた。

「推し」決まる


 SEVENTEEN、彼らを応援していく中でどうしても目で追ってしまうメンバーが居た。それがDINOとJUNだ。JUNは私が「아주 NICE」のMVをひたすら再生していた時からずっと印象に残っていた。JUNのことを何度も目で追いかけた。シークバーを操作しながらJUNのダンスや歌声、表情を見て恍惚としていた。自身の思う青少年のイメージぴったりであり、そこに遊びを感じる彼のことがずっと気になっていた。きっと推しなのだろうとふと思った。
 DINOはいつの間にか推しであった。各曲のChoreographでいつも私の目に光って見えた。「In the SOOP」における独白を聞いて涙したこともあった。全メンバー愛している前提で、何故DINOなのか。胸中の奥深く、電撃のような危ない刺激があった。
 SEVENTEENさんに関しては「推し」に関して慎重にならなければならない気がした。魅力あふれる彼らから少しでも贔屓をするには相応の理由がいる。JUNは何故最初に目に止まったのだろう。DINOはいつから明確に「推し」だと感じたのだろう。「推し」に対する感情に名前を付けるにはまだ時間が足りない。結果として推しであるが、根拠がない。偶然決まったことと割り切るにはまだ考えていない。ずっと考え続ければいつかその日が来るのだろうか。彼らに関する悩みは深く、それでいて快感だ。

カムバックを迎える


 「Attacca」は初めてカムバックを迎えたミニアルバムであり、思い出が深い。何枚もアルバムを購入したのは人生で初めてだった。カムバックという単語すら知らなかったK-POP素人の私に友人のCARATは優しく教えてくれた。自分なりに可能な限り情報収集を行い、投票やMV再生回数も自分がSEVENTEENの力になれることはとにかくチャレンジしてみたいと思った。お世話になっているSEVENTEENになにか恩返しをするためと厳かな気持ちで臨んだが、途中からはなぜか楽しくなっていた。後から振り返ると何かを真剣に応援した経験というものが少なかったことが関係しているのかもしれない。自分はCARATというファンクラブの一員、という所属意識がそうさせたのかもしれない。文化祭に向けてあれやこれやと試行錯誤をするような、悩みながらもすっきりとしていて心地の良い疲れ。青春のはじまりであったような、ぼんやりと感じた春の訪れ。

立ち止まった


 2022年を迎え、年頭は進路を考えるにあたって人生の選択について考えていた。周りや常識を物差しに行動していた私は初めて「いいと思う方向」を真剣に思案した。これまでの生き方を疑うのではなく、自分の人生と真剣に向き合った。SEVENTEENさんがいたからこそ不安に呑まれず、自分を否定しなくて済んだのだろう。
 この時期に聴いた「Healing(힐링)」は赦された気分になれて悲しみに呑まれずに済んだ。「매일 날 위해서 웃을 수 있게(毎日自分のために笑えるように)」は忘れられない歌詞であり、きっかけであった。私が毎日笑顔でいるために必要なことは何なのだろうか。本当は時間がないこともわかっていた。それでも笑顔でいたいから、立ち止まった。忙しさや不安の渦に呑まれて、流れに身を任せていた自分がしっかりと立てた。水面をしっかりと視るすることができた。焦燥、苦痛、能力。できること、やってみたいこと、どう生きたいか、笑顔になれるもの…!必死に書き出した。自分の嫌いな部分の煮凝りを否応なく味合わされるようで、ずっと逃げてきた自身との対話ができた。自分の人生をまだ手放せない。詳細には書けないが、きっと自分が笑顔でいれる人生の選択できたと思っている。


Thanks to 


 SEVENTEENさんに言葉を贈れるなら「ありがとう」と言いたい。人生の選択、日々悩んでいた自分の側にいてくれた。SEVENTEENさんに助けられてきた自分の根底にある感謝の気持ちはずっと変わらない。この1年間、あなたたちのことを考えているだけで青春の風に吹かれている。ずっと嫌いだった歪な自分を悪くないと思えるようになった。
 SEVENTEENさんがいるおかげで、優しさを素直に受け取れた。世界は意外にも好きなものにあふれていることを思い出させてくれた。夕方に見える赤黒い雲は一日の終わりを告げる不穏なものではないこと、夜もそれなりに明るいことを知ることができた。「また明日」が呪いのように聞こえなくなった。
 緊張で震えて、凍りつくような手足を温めてくれた歌声。Luckyの「매일 알 수 없는 내일, 내일이면 알게 돼(毎日不透明な明日、明日には分かるよ)」を信じて頑張れたことがたくさんある。
 目を瞑ってしまっても瞼の裏から感じる強い光。暗闇を払い、温かく照らしてくれる太陽だ。
 あまりにも大きな存在で助けてもらった分を返せるかわからない。返したい気持ちも結局は自分のエゴであるけれども、「ありがとう」をSEVENTEENさんに贈りたい。

 文字として残したかったことがすべて書き出せたわけではないけれども、彼らに関する感情や姿勢は今後書き残します。いつかの未来に振り返れるように。

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