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私にとって書くこととは

 前回の初投稿は、おもいのほか反応があり、嬉しい反面多少なりとも動揺(笑)それにしても改めて読み返すと、文章がくどい^^;それでも熱量だけは少しは伝わったかと、新たな世界に一歩踏み出したこれまで感じたことのない高揚感を一人かみしめています。名もない私の文にスキを押してくださった皆様、ありがとうございます!

 さて、2回目の投稿。早速何を書こうか迷ってしまいますが、とにかく書き始めてみます。そう、書くことに対して多く人が感じているように、私自身もどうしても億劫なことと感じていました。今でもそうです。ただ、一度書き始めると勝手に手が動く。何を書こうと決めて書こうというよりは今頭の中で考えていることが自然と指先を通して降りてくる感じ。この書き方でいいんだと肯定してくれたのが、斎藤孝氏の「書ける人だけが手にするもの」という著書でした。

 この本の冒頭「書くネタは思い浮かばなくていい」という一見矛盾していると思えるタイトルに惹かれ読み進めたのですが、それは今まで私が内に抱えた思いをただただ吐き出すように、思うがままに綴った日記も立派な文章であることを全面的に許容してくれる内容でした。

 これまでを振り返ってみても、あれこれといろいろなことが起こり、もやもやとした感情がいくつも混在している時に日記を書き始めてみる。すると、今自分がどういう思いでいるか、何にイラついているが整理され、書き終わった後で頭も心もすっきりしていることに気づきます。

 書くということは、私にとって自分自身と対話する時間であり、自分の思いをアウトプットすること。そしてその文章を書くという繰り返しの中で、前よりも少しだけ自分自身を客観的に見つめることができるようになってきたとかなと思います。その結果が今回のNoteへのチャレンジなんですけどね。

 この書くと一言で言っても、事実だけ述べるのもあれば、感情だけを思いつくままに綴るのもある。書くことは実に自由なんだとこのnoteの皆さんの期記事を読んでつくづく感じます。ただ、私としては、何かという事実に対して、自分はそこから何を感じたか、どう考えるのか、どんな思いになったか、それを加えて書いていきたいと思います。

なんか書いていたら初回の内容と重なってしまった気がしますが・・

最後に

コムドットのやまとが書いた「聖域」には私がぞくぞくする共感ワード、勇気をくれたメッセージがいくつもあったのですが、その中でも好きな言葉を思い出します。
「必要なのは、「まずやり始める」という、一歩目の踏み出しだけだ」
分かる~。で、まずやってみた、投稿してみたのです。私もめんどうだなと思っていることはいつまでも後回しにしがちで、とりかかるまでに時間を要します。だが、いざ「えいっ」と始めると案外簡単に解決することも多いです。ことさら、研修レポートを仕上げる時は億劫きわまりないですが、そう思う時でもとりあえず、タイトルと名前、日付といった形を入れ始めるとあら不思議、気づけば没頭して文を打ち込んでいて、ほっとします・・汗

この感覚は誰もが感じたことがあると思いますが、その見切り発車が今の私を成長させてくれています。

そして、もっともっと書くことに対して自信をつけていきたい!

そう思います。

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