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僕の人生.5

今回も見てくれてありがとうございます。
きさっちです。

前回までは、
僕が小学生の時に苦労したことについて
書いていきました。

僕の中で小学校生活は病気との戦いで、
本当に苦労した記憶があります。

もちろん、楽しかったことなどもありますが
やはり病気のことは忘れることは
ないと思います。

そして中学校生活も、
僕にとって苦しかった思い出は大きいです。

中学校生活は、
3年という短い期間なのですが
多感な時期というのもあるし、

人によっては反抗期というものに
なる人もいるでしょう。

僕の中学校生活は、
あまり楽しい記憶はありません。

勉強の成績が良かったほうでもないし、
部活動の成績も普通だったし、
学校生活も普通に時間が過ぎていました。

これといって喜ばしいことや
嬉しかったことも
記憶にはないし、

付き合っている彼女もいなかったし
熱中したものもなかったから
とくにいい思い出がないのです。

そんな中学校生活にも、
僕の人生の節目ともいえる出来事が
ありました。

中学校2年生の夏でした。

きっかけは忘れてしまったのですが、
僕は市内で一番大きな総合病院で
検査をすることになったんです。

たしか心エコーだったと思います。

心エコーとは、
仰向けに横になった状態で
心臓の近くにゼリー状のローションを塗って
トラックボールのような機械を
肌に当てると患部が視えるというものです。

産婦人科で、
お腹の中にいる赤ちゃんの状態を見る機械と
同じだと思います。

その検査を受けている時は、
中学生ながらもあまり理解していなく、
その後大変な事態になるとは
思ってはいなかったと思います。

そして、検査後すぐに告げられた検査結果は

別な病院で精密検査を受ける
だったのです。

たしかその帰り際の気持ちは、
僕は病気なんだ。
これからどうなってしまうんだろう。

頭の中は不安でいっぱいだったのを
覚えています。

中学2年生の夏休みといったら
友達と自転車でプールに行ったり
暑い中部活動を頑張ったり
遊び放題の満喫した夏休みを
思い浮かべますが、
僕はそんな記憶はないのです。

そして夏休みが終わり、
2学期が始まった頃に
県庁所在地にある、国立病院にて
さらに詳しい検査を受けに行きました。

レントゲン・心電図・心エコー
これは、後にずっと続く
検査の3点セットになるわけですが、

その3点は今まで生きてきて
もう何回やったかわからないくらい
やりました。

そして、検査の結果から
今まで不安でいっぱいだった中、
ようやく病名を知ることになります。

それは、
心房中隔欠損症でした。

心房中隔欠損症は、
先天性心疾患のひとつで、
生まれつき心房に穴が空いている病気です。

穴が空いていると、
心臓の中の血の流れが
正常に流れないことで、
血流が悪くなり負荷がかかり
気付かないままだと
最悪死に至ってしまう病気です。

それを知った僕は
生きた心地がしなかったと思います。

僕はこの後、
どうなってしまうんだろう。
そんな気持ちだったと思います。

そして、この病気の
一番肝心なところがありまして、

それは、
穴がどのくらいの大きさなのか。

これによって治療法が変わるそうで、
穴が小さければ
成長と共に自然に塞がるそうですが、
穴が大きい場合は
手術が必要だと。

その穴の大きさを知るためには、
またさらに精密な検査が必要になるそうで
その検査を受けることになりました。  

どうやって検査をするかというと、
カテーテルを使った検査だそうで、
股の部分にある太い静脈から
心臓へ向けてカテーテルを進めていき
画像に映し出された穴を計測して
実際の大きさを割り出すそうです。

検査は入院が必要で、
麻酔をかけて行い1時間程度です。

この検査結果次第で、
手術をするかしないかが決まることには、
もうもはや僕の体をどうにもすることは
できないので 
時の流れに任せるみたいな
そんな状態だったと思います。

検査入院は
たしか3日間だったと思います。 
僕の人生で3回目の
入院でした。

まだ中学生だったので
小児科病棟での入院でした。

小児科病棟は外来棟から
真っ直ぐ進んだ1階の
向かって左側にあり、
感染対策として扉を隔てていました。

小児科病棟は
僕が入院するまでに通院していた間
気になる場所となっていましたが、
その気になる場所に入ることに
なるわけです。

そこは、
感染対策の扉を進むと
長い1本の廊下になっていて
ちょうど真ん中にナースステーションが
ある配置になっています。

僕は、その長い廊下を
ずっと進んだ奥のほうの
6人部屋に入ることになりました。

僕が入院していた時のイメージは、
天気はくもり。
部屋の電気は昼間は消してあるから暗く、
色はモノクロ。
そんな感じです。

現在は1ベッドに1台テレビと冷蔵庫が
あるのが主流かと思いますが、
当時はテレビや冷蔵庫はなく、
ベッドと引き出ししかありませんでした。

テレビは、絨毯が引いてある部屋が1部屋あり、
そこで共有して見るのが1台あるだけでした。

入院してる時のイメージは、
天気はくもり。
昼間は部屋の電気は消えており
薄暗い。
色でいえばモノクロでしょうか。

たった数日の入院生活は
もしかしたら不安が
このような色に染めてしまって
いたのかもしれません。




 









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