おもいだしたこと

昨年から福祉の仕事をしている。一人暮らしの年配の方のご自宅をうかがうことも多い。代々受け継ぐ大きなお屋敷だったり、団地の中の建て売り住宅だったり、1部屋+台所の小さい借家だったり。きれいに掃除されているところもあれば、靴をぬいで上がるのが厳しいなと思うところもある。

小さい頃のことをおもいだした。私の実家は東京・世田谷区。渋谷から数分の私鉄駅からほど近いところで、昭和40年代前半に建てられた鉄骨3階建ての住宅。3階が我が家、2階が父の兄、1階が祖父母の住まいだった。

祖父は時事漫画などを描く漫画家。祖母はわりと厳しくて、就学前に勉強を教わった記憶がある。父は4人兄弟の末っ子で、2階に住む兄は2番目の兄。家族があるのはこの2人で、長兄と3番目の兄は独身で1階の祖父母の家にいた。祖父母の家にはさらに父たちのいとこが1人と祖母の妹が同居していた。当時、叔父たちはまだ老人ではなかったはずだが、誰も定職についていなかったように思う。

この6人が同じ時期にいっしょに暮していたかどうかは、いまとなってはよくわからない。祖父母はわたしが小学生のうちに亡くなったと記憶しているので、それ以降は独身の兄弟2人と、彼らのいとこ、大叔母の4人暮らしだったのだろう。

実は、1階の家は、今でいう「ゴミ屋敷」だった。猫が2匹いて、床は新聞紙が敷き詰められていた。大叔母は寝たきりに近い生活をしていたので、必要なものはベッドから手の届くところにすべて置かれていた。夕飯のおかずを届けるのが日課で、それは私と妹の仕事だった。

子どもながらに、ゴミ屋敷にあがるのは嫌だったが、毎回我慢した。ゴミ屋敷で一緒に食事をすることもあった。子どもだったし、参加しないという選択肢はなかったから。

それでも中学生になるころにはこの習慣もなくなり、1階の住人とのかかわりもだんだんと薄れていった。25歳くらいのときに家を出てひとりで暮らし始めたので、その後のことはよくわからない。

大叔母はもちろん、父も、父の兄たちも、父たちのいとこも亡くなっている。3階建ての家も取り壊していまはもう跡形もない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?