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自撮りがダメダメ問題

タイトルそのままです。自撮りがダメダメなんですよ、わたし。ダメダメでゲンナリ。
スタイリングの自己分析を捗らせるためには自撮りが必要なんじゃない?と思ってやってみるものの、本当にダメダメで、楽しくなくて…。
なにがそんなに上手くいかないのか、ちょっとそこから考えることにしました。


そもそも撮り慣れていない・撮られ慣れてない

10代前半でガラケーを、20歳でスマホ(初めてのスマホはiPhone4でした📱)を手にした私ですが、まず自撮りというものを殆どしてきませんでした。
写真そのものはとても好きで、風景を撮ったり友だちを撮ったり…大学時代はいつもカメラを持ってたし、皆へレンズをむける側の人だったので私自身が写ることはごく稀。
撮られ慣れていないので写真のために顔をつくるのが恐ろしく下手で、撮ってる人に向けて笑うことはできても一人でカメラに向かってセルフで顔をつくるなんてハードルが高すぎる。もちろんポーズもつけられません。
あとね、同世代の人間が人生で一番プリクラ撮ってたでしょっていう10代の頃、ヴィジュアル系⇒アングラ系と進化していったのが割と影響デカい。
スカしたイケてるポージング(V系基準)か、死ぬほどふざけ倒した変顔かの二択で生きてたんですよね〜〜〜自分を明るく可愛く見せる工夫の修行をしていない。この世の全てを見下す顔とイカレた笑顔なら今でも得意です†

神宮橋で麺のコスプレをする17歳のわたし
メチャンコたのしそう

客観視の問題ではなさそう

あるあるとして「写真を撮ってみると自分の顔やスタイルを客観視できるよ!」という話があります、そのへんのギャップで自撮りがダメダメなんか?と思ったのですが、そうではなさそう。
この辺りはそれこそ10代後半にさんざ通り過ぎたというか…「あっ、私がスキニー履いても漫画の男の子みたいにガリガリにはならないんだな!?」とかね…。逆にこのころ鏡の前でうんうん唸って見つけた自分なりの解が骨格診断だとかパーソナルカラーだとかによく書いてあって、おお〜あってたあってた、と答え合わせのような気持ちになったりもします。余談。
お仕事で写真を撮られることもあったりするんですが、それを見ても自分の自己評価どおりかな〜と思います。そん時も撮られ慣れてなさには苦しめられるんですけどね…!出てきた写真を見て、もっと目が大きくて顔が小さければな〜とかは思いますが、まあよく知ってる自分の姿だなと。知ってる顔の大きさ、知ってる背中の丸さ、知ってる腰の位置、知ってる尻のデカさ。はい。

そもそも鏡で全身見ているとき、試着室やお店で自分を見るとき、街中でふと写った自分を見たとき、そんなにギョっとすることないんだよなあ。なんなら街歩いてるときなんて「やっば今日足の長さ2メートルあるわ、カッケエ〜」くらいのノリノリ感ある。
じゃあ、一体わたしは「自撮り」になにを求めてそんなにダメダメゲンナリとなっているんだ…?

自撮りをしてみて眺めて考える

と、いうわけで、とりあえず撮ってみるよね自撮りを…ゲンナリしながら…。

あまりにゲンナリするので見れる画像になるよう
ゴリゴリに加工しましたスミマセン

ちなみにコーデ自体は普段どこで見ても納得できているもので撮りました、自撮りだけのことを検討したかったので。お気に入りの幾何柄レースパンツに、袖と裾がプリーツになったトップス。引越しによりこの部屋にしか全身鏡がなく、まだ片付いていないグチャグチャの納戸で撮っています。

う〜ん、とりあえず靴下で撮ったけど、やっぱり靴は履いたほうがいいよね、靴履くと足の長さ2メートルになるもん。表情とポージングは固い。まあそれは知ってる。体型のバランスや服の見え方も鏡で感じ取ってるものとそんなに違いないな。やっぱ靴かなあ〜、靴履くなら下になんか引くか。段ボールでもなんでもいいけど、素敵なスタイリングアカウントの人は小さいラグとか引いてるよね。ギャッベとかでもいいかな、そういうのがあると絵として完成度が高まるよね。周りもちゃんと片付けて、鏡前に植物置いて見切れるようにして、自然光も入った方が綺麗な写真になるから、鏡そのものの場所をやっぱり見直したくて…と、そこまで思ってふと気づきました。

私、自撮りにおいてその内容(自身の顔・スタイル・コーデ)よりも「絵として完成度が高いもの」かどうかを気にしているのでは…?

コーデ云々以上に
オレンジとグレーとデニムの色合わせがとっても美しい
これも鏡やその奥のふんわり感と
隠れた目元がミステリアスで素敵

(画像はどちらもフリーサイトから引用しました)

いや、それはそりゃあ、ただペシャリと自撮りしたんじゃゲンナリでしょうよ!?!!
自分で自分にほんと〜うにびっくりして、そこそこのデッカイ声が出ました。まじで。
はあ〜、全然気づかなかった。絵としての完成度ね…そこを造り込みにいってないから楽しくないと…ゲンナリすると…ははあ〜…。

そもそも自分はどんな写真/イメージ/グラフィックを見ても、まず「美しいかどうか」を判断してから、「示されている情報は何か」を読み取っているんだと思います。
例えば支出収入管理アプリとかありますよね。あれは自分のお金についての情報を読み取れて管理できたらそれで良いはずなんですけど、私はど〜してもUIが美しいかに引っ張られる。例えどんなに使いやすく、機能が充実していても、色使いやフォント選び、ボタンの大きさや形、アイコンのデザインに納得ができないと使い続けられない。めっちゃストレス。逆にそこが納得できれば、機能面に少々の我慢が必要でも構わない。

自己分析の自撮りなので「なにを着てどんなスタイルをしている」かを判断するための【情報】があれば十分なのに、自撮りがスマホの中で【写真】の形になっているので、それが美しい絵であるかどうかの方が気になって、引きずられてしまうという…。ズレてる…。でもどうやらこれは自分の質(タチ)みたいなので仕方ない。

ゲンナリポイントはわかった…けれども?

なんとなく、自分が自撮りに対してどうして「ダメダメ」で「ゲンナリ」と思ったのかはわかりました。自分の中に無意識にストックされてるハイクオリティなたくさんのスタイリングカット。それと比較して落ち込んでいる事実。
素敵なカットはその背景にたくさん努力と工夫があることは知っています。だから、ただ撮っただけの自分の自撮りとそれを比べるのはそもそもお門違い。じゃ〜どうしたいんだろう…?

手間と時間をかけて、丁寧に自撮りを造り上げることは多分できる。アコとしてセルフブランディングしていた頃のインテリアや雑貨の写真を撮って、造っていた感じ。あれを応用したら出来るなという感触はある。
でもじゃあそれ、撮ってどうする?という疑問もある。そもそも別に毎日のスタイリングをどこかに投稿したり、見てもらったりする予定はないのです。ちょっと自分のためにやってみようとしたら、なんか引っ張られちゃっただけじゃない?
っていうか、私が「こうありたいな〜」と思ってる姿、なりたい人、毎日自撮りする?

…しないかもしれないな???(こんなに長文書いておいて、まさかのオチ)

まだコンセプトが描き切れてないので説得力ないんですが…私がなりたいのは多分、好きなものに囲まれ、自分の頭の中をぶち撒けたような、人から見たらごちゃごちゃだけど、自分だけにわかるルールで創られた心地良い暮らしをしていて、なおかつそれが当たり前だという顔をしている人。

これは5年以上前に買って、まだ持っているPOPEYEに載ってたお家。NYのライターの方だそうだけど、理想の暮らしのイメージにすごく近くてずっと頭に残っています。

この人多分、誰かに見せるための自撮りはしないよな〜、うん、しないなあ。しない。
遊びに来てくれた人が「その格好、いいじゃん」ってパチリと撮ってくれることはあるかも。外に出て「ここにいる自分」が魅力的だと思う場所があったら、撮るのかも。う〜ん。

結局、わたしはどうするのよ

唸りながら首をひねりながら書き出してみて、コンセプトのようなものをかすめ…とりあえず、今後自撮りと付き合うにあたり、次のように決めてみようと思います。

①記録・確認のために撮るものは、割り切る
「素敵なスタイリングフォトとの無意識の比較」を自覚できたので、そこと勝手に比べて勝手に落ち込まない。【情報】が手元に残ればよいのだ、と割り切る。
あと、これまで鏡や街角でチェックしてきたのと比べて自撮りに特に発見もないなら、無理に撮る必要もないなと開き直る。これ大事かも。なんかハウツーにとらわれて、その上余計なことで落ち込んでる気がしました。

②残したい姿はとびきり素敵に残す
コーデ・空間・気持ちなどなど…これはハマった!と思ったときには照れずに自撮りするようにする。別に友だちや夫に「撮って!」って頼んでも良い。頼んで撮ってもらうのが下手なのも、撮られ慣れてなさに繋がってると思う。
そういう瞬間にゲンナリしないよう、顔をつくったりポージングをしたりの練習は、ときどきやるようにする。

こんなところかなあ…。長々書いてパンチ弱いまとめですが、「う〜ん?」と思い続けていた事柄に自分なりの答えが出たかな、うん。思いがけず、コンセプトにも繋がりそうなビューが見えましたし。

自撮りとの付き合い方、コーデ写真との付き合い方、自分はこうしているよというお話があったらぜひ聞かせてください〜!

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