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決めました、私のコンセプト

私も自問自答ファッションしてみよう!と思い立って2ヶ月。
じっくり悩んで、色んな方の言葉に触れて、ようやくコンセプトを決めました。

文化と世俗をこよなく愛し、
飄々として掴み所のない自由な隣人

これです。コンセプトこれです!の記事なのでこれで終わりでもいいんですが、自分の解釈を深めるために、なんでこれにしたのかの話をします。


格好良い母、どこいった?

この記事でも触れましたが、子どもが生まれて以来、強くて格好良い母を目指しています。

なので、最初はそれをコンセプトの軸に据えようかと思ったのですが…詰めれば詰めるほど、自分の母にこうあって欲しかったという無いものねだりの恨み節になりそうな気配がしました。母との関係はそこそこ良好ですが、日ごろ見ないようにしている、幼少期から積み重ねてきた色々な思いがあり…。それをコンセプトにのせ、あげく自分の娘に肯定を求めるのはさすがに醜い。

深呼吸してよく考えて、「コンセプトを持ち、堂々と生きている私であれば、きっと娘も格好良いと思ってくれるはず」と、自分を軸にしたコンセプトを作ることに決めました。

文化と世俗をこよなく愛し、

この部分は「私の思う私」の表現です。コンセプトを考えるにあたって好きなものをたくさん考えたのですが、突き詰めた先にあったのは「人間が好き」でした。
私は人間が思慮や感情の末に生み出した文化や慣習がとても好きだし、それが時と共に受け継がれて伝統になったり、時代・社会に応じて姿を変えたりする様子をとても面白いと思うし、例えば宗教や戦争のように、時には他者に仇をなすものとなりうることにも興味があります。それを一文にまとめてみようとしたら、こうなりました。

ちなみに余談ですが、20代後半で転職活動をしてたとき、何の話でそうなったのか忘れたんですが…面接相手の方に「おもしろいねえ、なんか視点が独特というか…俯瞰を越えて、神様みたいな位置から物ごとを見てるよね」と言われたのをコレを書いてて思い出しました。(その会社は落ちました(持ってるスキルが噛み合わなかったので…))
良い意味だったのか悪い意味だったのか、今となってはもう分かりませんが、まあ確かに漫画や映画にいるような「人間って面白いんですよ」「いろんなこと考えて、生み出して、魅力的ですよねえ」なんて言ってる天使・悪魔・神さま的な存在には、なんかなんとなく共感します。こういう気持ちで、本を読んだり勉強をしたりインターネットをしたりしてるなという感じがある。

あと、わたしは写真家のソール・ライターが好きなのですが、市街地の喧騒の中でまるで撮影者自身が透明になったような、カメラの存在に誰も気づいていないような人間の営みの切り取り方が、本当に素晴らしくて。彼もきっと、社会から少し離れた、神さまみたいな何かだったのかなと思ったりします。


飄々として掴み所のない

ここからは「人からこう見られたい私」の表現。前述した、かわいいきれいかっこいいのワークをしたときに、かっこいいを目指す姿として次のように言っていました。

男性的という意味ではなく、頼りになる・スマートである・憧れるというニュアンス。

https://note.com/ten_kabe/n/n59ee8068d97e

人が頼りたいと思える人間には、余裕が必要なのではないかな?と思って「飄々とした」を入れました。で、ついでに言うとちょっと得体のしれなさも欲しい。明るく裏表のない頼れる人、というよりは「きっとなんとかしてくれるんだけど…本当に信じて大丈夫かな?」って少しだけ不安にさせるくらいが丁度いいな、と「掴み所のない」を加えました。
この匙加減は正直、自分でもまだイマイチ分かってません。別にいいじゃんねぇ、分かりやすく頼れる人で!多分、自分の憧れるムードみたいなものなのだと思います。どうしてそこに憧れるのかは、もうちょっと付き合っていきながら探ります。


自由な隣人

隣人のところは、人との距離感を表したくてこの言葉にしました。職業を入れるのがセオリーかと思うのですが、「何をする人か」より、「他者とどう関わる人か」を言葉にしたかった。
ちょっとだけダルい話をしますが、新卒で入った会社の先輩・上司がみんな揃ってとんでもなく、踏み込まれては傷つけられ、病んでその会社を辞めたという過去があります。いまの会社では本当に人に恵まれ、明るく楽しくお仕事できているのでマジで転職してよかった。
と、まあダルい経験からの良い転職を経て20代の終わりに思ったのは「基本的に人はみんな他人!お互い深入りをせんでええ!それぞれ自由に踊って回って、それが楽しそうならそれでいいし、素敵なダンスを見かけたら拍手を送り、また偶然の再会を祈って別れるくらいがちょうどいい!」でした。今も人付き合いの基本はこのスタンスです。
周囲の人のことは大好きだし、大切に思っているけど、誰かに過剰な意味を求めて深入りしたり、されたりするのはもう勘弁です。わたしはわたし、あなたはあなた。
自ら考え選んだ個と孤独、物悲しさはないし、だから人からも「なんだか知らないけど、あの人はいつも自由で楽しそうだなあ」と思われたい。ついでに「ちょっと気になるな、お天気の話くらいしてみたいな」と思われたいし、お天気の話を振られたなら笑顔で応えて、明日はもっと晴れて暑くなる予報でしたよ、洗濯日和ですね、なんて続けられるようにしたい。
踏み込むわけでも、寄り添うわけでもないけれど、飄々とそこで自分の暮らしを送っている、どこか気になる自由な隣人。そういうものになれたらなぁ、とここの部分に込めました。


文化と世俗をこよなく愛し、飄々として掴み所のない自由な隣人。コンセプトを決めるまでずっと悶々としてましたが、「いよいよ固めたい!」と思ってこの言葉に繋がったとき、すんなり胸に落ちる感じがありました。
その勢いのまま、一気にnoteに書き出してみたらちょっと筆が乗りすぎた感もありますが…来月は、このコンセプトを胸にクローゼットの棚卸しに挑みます!どんな世界が見えるか、楽しみだ!







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