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怒髪天と私とゴール裏

怒髪天。4人組ロックバンドの彼らの音を初めて聴いたのは2010年の夏。
カーラジオから偶然流れてきた「真夏のキリギリス」だった。

 中2の夏休み あれからギラギラギラ
 無駄な期待ばかり 胸騒ぎ

ボーカルの滑舌の良いダミ声、ストレートな歌詞、シンプルなメロディー。
瞬間的に「これだ!」と感じた。何がこれなのか言葉にするのは難しいけれど、とにかくグッときた。琴線に触れたってやつだ。

興奮して夫に強制的に聴かせたけど、その時はあまり反応頂けなかった。
人の琴線も十人十色だから仕方ない。

およそ半年後2011年。
あの大震災とその後。家も家族も失わずに済んだ私は、それでも前を向くという気持ちには到底なれなかった。
虚ろな日々を過ごしていた。
生まれてからずっと見てきた景色を一変させてしまったあの日が、ただただ憎かった。

2011年夏。福島県出身のプロデューサー箭内道彦氏が中心となって、「LIVE福島 風とロック SUPER野馬追い」が福島県を6日間かけて横断しながら開催されることを知った。

私の中で何かがやっと動いた。
当時船引町に住んでいた弟と連絡を取り、猪苗代と郡山へ行くことにした。
仕事で平日は休めない夫も、最終日のいわきは行けることになった。

初日・二日目の南会津と会津若松をネットの生配信で観ながら、私は怒髪天に釘付けになった。YouTubeの動画とは違うLIVEならではの熱気。会津は二会場ともアコースティックだったのだが、それでもこの人達に会える!という嬉しさに胸が高鳴った。

猪苗代・郡山・いわき。三会場全てで熱狂し、手を叩き、拳を振り上げた。

その後、夫婦揃って界隈の仲間入り。
年始の中野サンプラザや渋谷AXに出かけては、二人揃ってインフルエンザに罹ったこと、東京がまさかの大雪で帰れなくなったことも今はいい思い出だ。
最初で最後と本人達が言った武道館も行った。
LIVEDVDに2秒位映っているのも、本当にいい思い出。

ツアーに郡山があれば必ず行った。地元のclub SONIC iwakiでは、最前列を取る事もできた。

こうして、怒髪天は私達の人生にあって当たり前のバンドになった。

2022年春。前年から通い始め、ゴール裏に足を踏み入れたばかりの私が見た光景。



この時はまだ、誰が誰か全く知らずにただただ笑い転げていた。
家に戻り楽しかった余韻と共にリーこママの動画を見返しているうちに、私の脳内に自然とこの曲が流れてきた。

俺を見てみろ このバカぶりを
見事なまでの 振り切れ具合
立派なオトナ そいつは無理だ
でも 立派な俺様になる


ボードを持つ人々の中で知っているのは夫とマスクドさんだけだったのに、こんなツイートをする私の図々しさ。そして即反応してくれたボードを持つ人々。この日から私はいわきFCゴール裏の虜になったのだった。

あれから4ヶ月半。
ボードを持っていた人々は全員、スタジアムで会えばグータッチする仲になった。
ここに映る人達だけじゃない。
いつの間にか、本当にいつの間にか、ご挨拶したりグータッチしたり雑談したり喜びあえる仲間が増えていった。

「いつも元気だねー笑」と、私はよく人から言われる。
でも私を元気にさせてくれているのは、怒髪天でありいわきFCでありゴール裏でありいわきFCのサッカーを応援する全ての人達だ。

怒髪天がいてくれてよかった。
いわきFCができてくれてよかった。
みんなに会えてよかった。
私のセイシュンはまだまだ続く。


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