給料と推しとキャパシティ(雑記)

推しの裾野を広げすぎた挙句、晩年金欠状態の私。
給料と推し活のバランスについてふと考えました。
(とても雑記です。予めご了承ください。)

界隈を卒業すると「嫌いになったの?なんで?」とよく聞かれます。
違うのよ、嫌いになったんじゃないの。
いま以上に好きなものができてしまっただけなの。
これがこの問いに対しての常套句。

自分の給料=推しを抱えられるキャパシティだと思っているので、キャパがないくせに推しを抱えすぎると、破産もしくは不完全燃焼となるわけですね。
私の場合は不完全燃焼の界隈からもれなく飽き始める。もういいかなって。

じゃあ不完全燃焼にならない条件って?
それはね、単純よ。※私調べ
\\\\チケットが取れる もとい 生で観れる・会える回数が多い////
やっぱり現場には行きたいし、生で浴びれるもんなら推しのパワーを浴びたい。それが金銭的、世の中的(チケット難とか流行病とか)に叶わなくなってくると、もういいかなーってなる傾向にありました。
だからコロナ禍で一気に推しに冷めちゃったんだろうな(納得)。

最近では推しの取捨選択を検討しています。
推すなら全力で推したいし、なんとなく情で推し続けるのも申し訳ないなと。
推しを増やしたいから給与交渉もしようかな←