見出し画像

君のカケラ、僕のカケラ

最近すっかり出会いの数よりも
別れの数の方が多くなってきました
子供の頃は柔らかだった私の心も
気がつけばカルメラのように硬く
ゴワゴワにひび割れて随分と感受性とか
そう言ったものが乏しくなった気がします。

私を通り過ぎていったたくさん人たち
それでもみんな私の中に生きています。
日常会話で出るちょっとした言い回し
あるいは、何かをする時に現れる所作
みんな私に見えない所へ旅立ちましたが
私が寂しくない様にカケラをくれました。

近所に仲の良い茶飲み友達がおります
どちらからともなくお互い訪ねて
なんでもない会話をして解散するのですが
最近彼女は少し元気がないようです
どこが悪いとかではなく年齢的なもの

少し前は軽快に自転車を乗りこなし
よく手作りの牡丹餅をくれたり元気でしたが
最近では来年はこの世に居ないと言うのが
口癖となってしまいました。

そんな友人の誕生日に、私はいつも
小豆のおこわを炊いて行くのですが
いつになく真面目な声で友人は私に
こう言いました。

おそらく私はもう数年で逝くだろう
その時が来たら私は今日という日を
思い出し、満更でも無い人生だったと
思い返しながらお爺さんの所へ行く
だから寂しくは無い、と

そんな事言うとるうちは死なん
100歳までは平気じゃ、と私が言うと
友人はケケケッと悪戯っぽく笑った

やはり年齢も三桁に近づくと
死への考え方も変わるのだろうか
私達はこれまで充分に言葉を交わし
別れの準備はとうにできている。
それでもその時が来たら、きっと私は
はらはらと泣くのだろうな。

彼女は旅立ちの時に今日を思い出し
私のカケラを持って行くのだろうか
代わりに私は貰ったカケラと一緒に
友人のいなくなった世界で生きて行く
そんな事の繰り返しが当たり前に
感じる程に私も歳をとってしまった

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?