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鈍感力を養う

自分で言うのもなんなのですが私は
よく言えば繊細、悪く言えば神経質な
面倒くさい人間なのかもしれません。

なにぶん90年代後期からネットに
触れているせいか、根底構造が古い
カーネルのままで上部しか更新されず
今だにひっそりとしたあの時代を
心地良く感じているのだと思います。

個人サイトから時代はnoteやブログ
あるいはYouTubeで動画配信したり
良くも悪くも人目につきやすくなった分
読者の反応が作者に届きやすいですね。

昔の殺伐とした個人サイト時代は
反応なんかはない方が普通でしたので
今のようにコメント欄だイイねボタンだのと
そういったものは一見便利な物のように
見えますが、なんだか雁字搦めで窮屈に
感じます。

スキとかファボとか
(以下イイねボタンと呼ぶ事にします。)
ああいったものは誰が幸せになれるのだろう
You Tubeなんかで再生数が数に対して
イイねボタンが押された回数と
コメント数は大体が再生数の1割以下な
事が多い事に気が付きました。
もしや実装されているからとその機能を
使う人はマイノリティなのかもしれないですね

私が青い鳥で何かをつぶやくと
全てにイイねをされる方がいます。
ではこの人にもイイねを返すべきか
時折イイねが歯抜けになった折に、この投稿は
その人には好ましくなかったのだろうかとか。
読み手好みの事を書く必要なんて無いですが
しかし、そうはいってもなかなかどうして
ソワソワしてしまいますわな

あるいは、長文に対して五月雨的にイイねが
付くと絶対読んでないじゃないのと思い
もやもやとしてしまうのです。
フォローバックされるまで、延々とフォローと
解除を繰り返す人などもいらっしゃるようで、
いやあ色々な人がいるなぁ、島倉千代子さんの
言う通りやなぁと楽しめるような余裕は残念ながら私にはないのです。

フォローされたので覗きに行くと、副業関連や
スパム的なものならまだ良いですが、常に
怒っていたりなにかに反対している人だと
げんなりしてしまう。以前は共通の趣味の
方なのかなと期待していたのにね。
所見でそうならまだ良いが、ある程度の
時間やり取りをしてそういったところが
覗き出すと結構つらい、犬が歩かずとも
棒の方から歩いていくる時代の到来ですね。

職場で適度な距離感を保てていると思っていた矢先に〇〇先生の勉強会的なのに誘われた時に近い感覚です、好きなアーティストのライブに行き、熱気の中で急に思想的な話をされると
興醒めしてしまう、そこも含めて好きに
なるのが真のファンなのだとしたら私は
音楽性だけが好きな人で結構です。
好きなお笑い芸人さんが、ある日を境に
文化人のように朝の顔で政治を語り始めたときとかなり近い。そこも含めて彼なのか、仕事で本意ではないのか私には知り及ぶところではないのです。
自分色を出された途端鳩が豆鉄砲を食ったようになるちいせぇ人間なのよわたしは、、

角度が違うのかな、美味しいパンを焼くお店の
常連になったとして、私はパンのファンで
あってパンを焼いている方と別に話したいとは思わない純粋に美味しいパンが食べたかっただけなんだ

イイねボタンを自動で押すbotのようなものも
最近は存在しますが、いっそのこと文章も
AIが読込んでAIなりの感想など書いてくれると
ある意味面白く不快感は減るかもしれない。
機械のすることなのでこちらも気をもまないですむ。SNSもローカルルールが多すぎて、若くないとついていけない部分があるのは事実
それでも私らの時代もキリ番踏み逃げ許さないおじさんとか、トラックバックしない人を
許さない会みたいなのはあったので、いつの世も変わらないのかもしれない。

顔も声も名前も知らぬ相手に気を使うなんて
馬鹿げているといいますけども
だからこそ余計に適度な距離感と礼節を
欠かぬ用にしたほうが良いのではないかと。
それは現実世界と全く変わらないと私は思う

じゃあ私はいいねやコメントをしないのかと
言うとそんなこともなく、改めて考えるとそこに深い意味は無い、心の命ずるままに手が動くのか、あるいは適度に人間臭さをだして、自身の人たるやアイデンティティを保っているのか私は私を演じているのかはわからない。

今私達に必要なのは、鈍感力なのかもしれない
見えもしない敵を作って戦うのではなく
いかにして察しない事が大事ですね

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