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コラム「不要不急」
新型コロナウイルスの影響で不要不急の外出を控え、会議も飲み会もオンラインになった。
あるオンライン飲み会が終わったあと、ふと思い立ってタンスの奥からホコリかぶったcontaxのフィルムカメラを引っ張り出した。
もう何年も使っていなかったこのカメラにフイルムを入れて、
露出・シャッタースピード・ピントを合わせ、シャッターを切る。
フィルムを巻く音が懐かしい。撮った写真を確認(プレビュー)することはできない。写真屋さんにもっていって現像するまでどんな写真が撮れたかわからないのだ。ひとことで言えばフィルムカメラは不便だった。
しかし、その不便も楽しみの先送りのようで悪いものではなかった。年々色あせてゆく写真も、思い出が思い出らしく残っているような気がした。フィルムカメラが改めて温かいと感じ、デジタルが冷んやりしたのは新型コロナウイルスの影響だろう。
コロナが落ち着いたら、友人と飲みに行こう。そして肩を触れ合わせこのフィルムカメラで写真を撮ろう。現像してみんなに配ってあげよう。
この生活によって気づかされたのは、不急のこと(急がなくていいこと)は意外に多いということと、反対に、不要なこと(必要ないこと)は何もないことだ。このデジタル時代に不要と思えた写真現像の作業もあたたかい作業だったのだ。
薩摩川内市 願生寺
亀田信暁
image by Alexas_Fotos from Pixabay
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