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コラム「仏教の面白さ」
仏教、仏さまの話というと、人によっては「難しい」「つまらない」イメージがあるかもしれません。また、どこか自分とは関係のない話に思えて、そもそも興味が湧かないという人もいるでしょう。しかし、仏教は思っているよりも面白く、楽しく、明るい教えです。
今回は私が感じた「面白さ」について書かせていただきます。
罪に対する考え方
私達は、日常の中で罪をおかす瞬間があります。犯罪にならなくても、例えば 信号無視、駐車違反、他の人の物を借りて返さなかった、など、形になる小さな罪。あるいは、知らず知らずのうちに人を傷つけてしまった、などの形にならない罪。誰にでも経験はあると思います。特にスピード違反などは車を運転すれば誰にでも起こりうるわけですから、知らず知らず行っているかもしれません。
罪には二種類あります。
一つは、「ダメなことと知っていてわざと行った罪」そして「ダメなこととは知らず、つい行っていた罪」です。
例えば、
①見通しのいい道路を気分よく運転していた。何度か通ったこともある道路で、速度制限は50キロとあったが、人も車も周りにないので60キロだした。
②見通しのいい道路を気分よく運転していた。全く走ったことのない道で、50キロ制限とは知らず、60キロ出していた。
この二つ、どちらが より重い罪でしょうか。
世間的にいえば、①のほうが悪い!という人が多いように思います。わかってるのにわざとスピードを出すなんて、と。私も、仏法を聞く前はそう思っていました。しかし仏教的にいえば、②のほうが遥かに悪いのです。
なぜなら、①のパターンは自分が悪いことをしたと知っています。多かれ少なかれ罪悪感もそこにはあるでしょう。またこの道路を通ることがあれば、次はちゃんと50キロ以下で走るかもしれません。
しかし、②のパターンは自分が悪いことをしたと知りません。ですから、またやります。誰かに注意されるまで、スピードを出すことはやめないでしょう。また、自覚のない罪は、罪悪感もありません。①よりだいぶタチが悪いのです。ですから、仏教的にみれば②のほうが罪は重い、となるのです。
私は10年近く前にこの話を聞きましたが、純粋に「面白いな」と思いました。自分の価値観、感覚と全く違った見え方ですから、とても新鮮でした。
仏教にはこのような「自分とは違った捉え方」があります。私たちの積み上げてきた感覚とは違ったものがある。そこに「面白さ」を感じたのです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。みなさん、仏教は面白いですよ。
※スピードの出しすぎには注意しましょう。
薩摩川内市 慶光寺
黒屋 慶信
Image by ErikaWittlieb from Pixabay
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