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コラム「涅槃図をながめて」

涅槃図(ねはんず)。涅槃図とは仏教をひらいた釈尊(しゃくそん)が命おわるときの様子を絵にしたものだ。私が時々行くお寺にはこの2月になると涅槃図がお披露目される。住職さんがこの涅槃図はなにやら歴史があるようなことをおっしゃっていたが詳しいことは忘れてしまった。

とにかく素晴らしい絵であることは確かで、横たわる釈尊のまわりに多くの人々が厳かに描かれていた。そして、人間だけでなく虎やら鳥やらさまざまな動物たちも集まり釈尊との別れを悲しんでいる様子が描かれていた。

それを見ながら、私が死んだら動物たちは悲しんでくれるだろうかとふと思った。少なからず、毎日可愛がっている愛犬のアキちゃんだけは、ご主人様帰ってこないな、どうしたんだろうかと玄関先で私の帰りを待ちながら寂しがってくれるかも、、、、、、と思ったが、忠犬ハチ公とは程遠い日頃の振る舞いを思い浮かべ、期待は捨てることにした。私が死んで悲しんでくれる動物はいないだろうが、喜びダンスしている動物たちの姿は容易に想像できてしまう。牛や豚や鳥は、自分を食べる人間が一人減ったと。ホッキョクグマは、温暖化をすすめる人間が一人減ったと。

釈尊という名前は、”釈迦族の尊い方”を略したものだ。釈尊はいつも”十方衆生(じっぽうしゅじょう)よ”と呼びかけられた。十方は東、西、南、北、北東、北西、南東、南西、上、下のこと、衆生は、命あるすべてのものを意味する。つまり人間だけではないということだ。鳥や猫や犬、ミミズやゴキブリにいたるまで命あるすべてのものに向けて、穏やかに暮らしいてゆけるようにと願い、教えを説き、生きられたからこそ釈尊・尊い方と呼ばれたのだろう。

時々、人間の命はなぜ尊いのかという文章を目にすることがあるが、なかなか腑に落ちる文章に出会えたことがこれまでない。食べるためとはいえ、生き物を無闇に殺し、食べずに廃棄処分、動物虐待や殺処分、自然破壊などなどなどなどため息がでてくる現状がある。難しいことかもしれないが、尊い生き方が少しでもできた時に人間の命は尊いと動物たちの方から言ってくれるのではないだろうか。

第三次AIブームの中で(まったくAIについては知らないが、、、)、そんなことを思う。


薩摩川内市 願生寺
亀田信暁


photo by nobuaki kameda 

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