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祝福の水路として生きてみる

(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。

ケイシーの述べる霊的なトピック。
今日は、ケイシーリーディングによく登場する『祝福の水路』という言葉にフォーカスしていきます。

ケイシーはリーディング中「祝福の水路になりなさい」「祝福の水路でありなさい」と、様々な状況の人に、言葉を変え表現を変え、時にやさしく、時に厳しく、そう生きよといさめました。

ケイシーリーディングに基づく霊的成長のためのテキストブック『神の探求』の第一課の課題は『協力』。

神の探求Ⅰ

その第一課のアファメーションにも祝福の水路という言葉がでてきます。
*アファメーション:以前は確信の言葉と翻訳されていました。ケイシー流の瞑想では、瞑想に入る前に何度かこのフレーズを唱えます。

ケイシーは敬虔なクリスチャンでしたので、ケイシーを通して伝えられた言葉にはキリスト教的な表現がたくさん使われています。言葉そのものに抵抗を感じる方がいらっしゃるかもしれませんが、エッセンスやニュアンスを受け取っていただければと思います。

【神の探求Ⅰ 第1課 アファメーション】
わたしの意志ではなく、おお主よ、あなたの御意(みこころ)が、わたしの内に、わたしを通して行われますように。
わたしがさまざまな形で接するすべての人に対して、わたしを今日、いま、祝福の水路としてください。
わたしが(心の奥深くに)入るときも、(そこから)出るときも、いつもあなたがわたしに望まれるものと調和していますように。
あなたが呼ばれるとき、私は答えます。
「わたしはここにおります。どうかわたしを遣わし私を用いてください」(262-3)

*ちなみに上記のアファメーションは私には少し長すぎるので、私自身は、下記を使っています。

『私の意志ではなく、あなたの御心が、わたしの内に、わたしを通して行われますように。私がさまざまな形で接するすべての人に対して、私を今日、いま、祝福の水路としてください』262-3

普通に暮らしていると、ああしたい、こうしたい、私が、私が・・・といった自己主張や欲がつい出てきてしまいます。が、そういったこといったん脇におき、自分を神の手足として差し出す、あるいはそうであることを前提に生きてみる。

『他の人を助ける者となり、慰める者となり、救う者となろうと努める・・・』281-23

神様は目の前に困っている人がいても直接は手を出せません。そんな場合、おそらく神様は誰か人を遣わせて助けようとされるんじゃないかなと思います。

例えば、盲腸患者を助けたくても神様は直接手術ができないので、その人に良い医師を遣わすでしょうし、喉が渇いている人に神様は水を差しだすことはできないので、誰か人に水を運んできてもらうでしょう。困っている人、絶望にいる人には、じっくり話を聞いてくれたり、直接のサポートをしてくれる人が必要になります。

もちろん私たち全員が医師やセラピストではないので、できることには限りがありますが、日々の生活の中で周りの人にとっての神の遣い手になる。どうか私を使って下さいと神に願い、そう日々を生きるわけです。

『祝福の水路』と書くと何か特別なことをしようと身構えてしまいがちです。もちろん、出来るならしてもいいでしょうが、まずは、今、自分がいる場所、今いる環境で、目のまえにいる人、ご縁のあった方に自分ができることを少しずつ行っていく。そうすれば自然に次なる道が示されてくるとケイシーは述べています。

『魂が、実体が、同胞への祝福の水路にならんことを求めるにつれて、一歩一歩導きが与えられる。自分で正しいと思うこと、正しい関係と思うことを実行するならば、その者は成長する能力を日々に得る。なぜなら、霊的法則の知識が自分の精神活動に活かされるにつれて、真理は成長するものとなる。 日々に道が示される。

途中でくじける者にはその道は見出せない。 それ故、(人生において)変えるべき唯一のものは、同胞への祝福の水路にならんがために《無限なる神》の力に用いられることを、自己の内においてさらに確固として決意することだけである』(423-2)

電車に乗っているとき、ご高齢の方に席を譲ることでその方にとっての祝福の水路になれるかもしれませんし、朝、ゴミ置き場の掃除をすることが祝福の水路の第一歩かもしれません。

自分は祝福の水路として神に差し出されている、差し出すと決意したならば、日常の何気ない行為、義務的なことですら意味づけが変わってきます。

例えば会社でお茶を入れるとか、上司の指示でコピーを取ることすら、祝福の水路としての役割になってきます。

『祝福の水路となろうとする時に、義務として行なってきたことを前進させている。聖霊は、その水路を通して人と人の関係の中に姿を現わすことができるのである』(281-6)

でも時には自分が生きるのに精いっぱいで人のことを考えられないような苦しい時期もあります。

こんなリーディングもあります。

Q)『どのように仕事に取り組めば、経済的な安定を得られますか?』
A)『先ほど述べた仕方によってである。なぜなら、あなたが与えるものを、あなたは得るからである。 あなたがより多くを与えるようになるにつれて、命でありる主、この世の希望、果実がやって来るのである。なぜなら、銀と金、千の丘の家畜は主のものであるからだ。あなたが、その奉仕において、これらの[財産]を自らの活動に貸し与え、使うに値するならば、汝は物質的な安定を得られることを確信できるだろう。
むしろ「主よ、私はここにおります――汝がふさわしいと思うように私をお使いください。あなたは私の心配事をご存じです。あなたは私を不安にさせるものをご存じです。この人生で他の人々に対して祝福の水路となれるよう、私を清めてください。
数千人に食べ物を与えられたように、手を差し伸べてください。おお神よ、私を正しい道に保ってください」という態度において、もっともっと成長せよ。
この態度において成長し、ここに寄り頼むべし。なぜなら、これらのもののみが、真実の道であるからだ』1404-1


まずはそう生きると決意する。そしてそう振る舞ってみる、そう考えてみる。

何が変わり始めるか、その体験を味わい、楽しんで下さい…。

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それではまた!

(有)テンプルビューティフル メルマガ536号 2014年5月24日配信号を加筆修正しました。

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