メンタルブレイクと能力値
ポジティブなのかネガティブなのかよくわかんない話をします。
未だかつてメンタル不調な時期というのがない。少なくとも「私今メンタルやられてるなぁ」て感じることってなかった。
すごいなと言われることもあったり、それを誇らしく感じることもしばしばあったが、ふと、それって結構壊滅的な能力不足のせいかもしれないと思い始めた。メンタルをやられるような課題を科されるほど優秀じゃない証拠なんじゃないかって。
私がいうのはどうかと思うが、私の夫は優秀だ。優秀なのでめちゃくちゃ仕事が多くなって怒っていることが多い。もっと楽しく仕事すればいいのになと思っていた時期もあったが、気の持ちようだけをとやかくいうのは全く意味のないことだと今では思う。
なぜか。それが彼なりの、自らの状況に対処するアプローチであり、今のところそれで回っているし、何より周囲の環境や、本人の能力値や得意なこと苦手なことなどいろんなパラメータがあって、それらが私とは全然違うのだから。
けどやっぱり単純な能力値の話になると彼は優秀で、私はそうでないんだなぁと(これは悲観的な意味ではなく単に事実として)そう思うのである。
メンタル不調はキャパオーバーになった際にそれに対処する術を持っていないと現れるものだと思う。なので、メンタル不調になるにはキャパが極端に狭いか、膨大な課題が降ってくるかのどちらかの状況が必要だ。後者についてをメインに考える。
仕事においては、上司などが自分の能力を見た上でそれに見合うと判断された量の課題がくるので、能力がそこそこ低ければとんでもないキャパオーバーになることは少ない。
友人関係では、「この人にはどこまで言っていいか」と品定めする場面があるが、そこでも能力が低いとキャパシティーが小さいので「こんなこといったらへそを曲げてしまうかもしれないな」と判断されあまりいじられることもない。
もちろん、家族などプライベートな事柄に関する課題は、能力値と関係ない量がのっぴきならない事情で回ってきたりするのでキャパオーバーになる可能性はある。しかし、他にできる者がいる場合はやはり能力を見て任せるかどうか決められるので、能力が低いと課題は少なくなる。
要は私は守られて生きてきた。
それはすごくありがたいことなんだと思う。
処理しきれない仕事を与えられることも少なく、ひどい言葉を浴びせられることもあまりなく、家族の重たい側面を背負わされることもなかった。
なのでメンタル不調が来ないのはすごいことなんじゃなくて、すごくないために起こってるんだなぁと気づいてしまった。
これだけたくさん文字を書いてきて、私は今のままでいいなぁって思ってしまう。今の私の精神年齢や能力値を評価するに、優秀な中3くらいだと思う。
これは結構自己評価として割としっくりくる。
私が人生最大に努力してたのがその頃で、能力も体力も最高潮に達してたと自分でも思う。その後多少勉強したり熟練したりすることはあっても、トータルでいうとその頃をちょっと上回らないくらいの水準を推移しているような気がする。
優秀な中3はあまりにも居心地が良い水準で、出来れば、その頃から下がらない努力だけして生きて生きたい。
今度は守る者だってあるし、メンタル不調になったらいろいろ大変だしね。
まぁでも、欲を言えば楽しみながら少しずついろんなものに挑戦してキャパを上げていって、それから能力を上げて年収もあげたい。なんていうのはわがままな夢かもしれないけどそういう感じがいいなと思っている。
最後に関係ないかもしれないけど後悔をしないのもおんなじような理由だなと思って書いておきたい。
私はよく、「今までの人生一度も後悔したことがない」と公言している。が、それもこういうことなんじゃないか。
後悔は今の自分に自信がないとできない。昔あった出来事に対して、今ならこうできるのに、という悔しさを感じることだから。
なので過去の出来事に無力感を感じてるうちは後悔することはない。
「無理はしない、楽はしない」で生きていきたい所存です。