過去の周りにいた人たち③〜高校受験編

中学3年の9月まで体育館であせまみれになっていた割にいい高校へ行けたのは、ひとえに塾の先生の献身的な指導のおかげだ。
地域で名のある塾の、タバコ臭くてブルドッグによく似てる先生。(無印良品みたいな名前の塾だった)
フィリピン人の妻を持ち、夫婦で塾をやっていて、昔は海外に何遍も行って、たしか実業家のようなことをしてた人だった。各学校の事情や対策に精通して、間違いなくプロのコンサルタントだった。先生でありコンサルであり、地域でも1番の塾の経営者。

先生には一目置かれていた、というか地頭はいいが県下一の高校を、3年の9月から目指すという無謀とも言える絶望的な窮地に立つ私を見離せなかったのだと思う。
忙しい中最後まで根気よく面倒見てもらったのはすごく有り難かった。
この状況から受かったらすごい、けどこいつならあるいは?と思ってくれたのかもしれない。ひとは50:50の確率に夢中になるものだ。

私塾だったこの塾は、大部屋にバラバラの学年・学校の生徒が一緒に集まっていて、基本的には自学習+何かあれば先生を呼ぶという、非常に自主性を求められる塾であったが、わたしは集中補講対象だったためか、基本的に先生の部屋に隔離されてそこで勉強していた。
隔離部屋のメンバーは大体において、先生の息子くんか、一年先に高校に行った同中の先輩だった。

当時私はこの先輩という人に首ったけであった。夜の8時を過ぎて電車に乗って帰ってきた部活帰りの先輩が、部活道具の入ったエナメルバッグを机に置くと、いともたやすくそれまでの集中を欠いた。結局付き合えなかったけど、勉強くらい教えてもらえばよかったな。ちゃっかり「教えて」って言えるしたたかさがあったら変わったかもなぁ。なんて。今思い出してそう思った。まともに目を見て話せなかったくらいなので、自分からずうずうしく勉強教わるなんてまず絶対無理だったけど。

受験期に主に関わってた人たちは以上だ。短いけど濃くて、私の学力・思考力・情緒をグッと引き上げてくれた大切な経験だ。