お風呂についての雑感


少し前に、有名な芸術家らが講師をした京都の大学のヌードをテーマにした講義に対し、その講義内容で精神的な苦痛を受けたとして受講者の女性が大学側を訴えた裁判のニュースがあり、原告側勝訴という判決について批判的な内容を示した文章の中で、#ドラえもんのお風呂シーンのカットを希望します というハッシュタグを伴った署名活動がある、というのが触れられていたので、発起人含め色々な方のツイートを見たり、ググってみたりした。


内容を精査もせずにフェミうんぬんと主語がデカくなっていたり、作品を改変する行為だなどとする批判的な記事も多かったけど、僕は『ドラえもん』でのお風呂シーンは別に作品に必要不可欠なものじゃないから、新しくストーリーを作るならいらないと思う。まったくありえない話ではあるのだが、仮に自分が脚本を書けと言われても入れない。


なぜ原作にそのシーンがあるのかは今となっては故人である原作者の意図がわからないからなんとも言えないけど、単なるサービス精神(そもそもそれをサービスとすることに問題があるのは言うまでもないが)的なものではなく、「勉強が嫌いで、女の子の裸を覗き見たがっちゃうようなダメダメなのび太」というキャラクター作りの一環だったのかなと思う。同じ作者の『エスパー魔美』にも似たように裸のシーンがあって、画家である父親の絵のモデルという設定はあったものの、僕は子ども心にいやにリアルに描くなあという印象があったから、もしかしたら作者の嗜好による部分もあったのかもしれない。

そもそも、それらの作品が放送されていた80年代から90年代半ば頃までの当時はそんなレベルではなく、『志村けんのバカ殿様』とか2時間ドラマとか、家族全員がお茶の間で見るようなゴールデンタイムにもかかわらずテレビに女性の裸が溢れていたので、問題にすらされていなかっただろう。しかし、今はテレビ局サイドがポリコレに配慮したり、その時代の反省もあるのかほとんどそのようなシーンはなくなった。しずかちゃんのお風呂シーンも、仮に直接的な描写を控えるにしても、お風呂に入っている女の子とクラスメイトがそれを覗くという行為を放送する意味合い自体がバカ殿様の裸と何ら変わらない、もしくはそれよりタチが悪い可能性がある以上、他の流れと同様に描写を控えたほうがいいのかもしれないなと思う。


僕はすべての人のすべての主張や思想信条は、その善悪や公序良俗の有無にかかわらずあらゆる角度で見て首尾一貫していなければならない、ブレてはならないと思っているので、テレビ局サイドとしてはもし他の作品において同様の配慮をした番組作りをしているのであれば、『ドラえもん』も特別扱いをしてはならないと思う。もちろん、本当に作品にとって欠かすことのできないシーンだと考えるなら続けるべきなのだが、カットしてもまったく問題がないなら早々にカットするべきだ。だって、他の番組作りはそうやってきているんだから。


今回の件を、またフェミのヒステリーが始まったよ、みたいなバカの一つ覚えのような盲目的議論に収斂させず、指摘に真摯に耳を傾けた上で、一貫性をもって冷静に判断してもらいたい、というのが今の僕の雑感です。


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