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私と着物

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私と着物


私が初めて着物を着たと思っているのが小学校入学前、母が七五三で着物を着せてくれた時の事です。
しかし寝間着をカウントに入れるのであれば、1歳から5歳のお誕生日直前まで父方の祖母の家に居ましたがこの時の寝間着が浴衣でした。
お気に入りの猫柄の浴衣があり、母はそれを長い間保存していました。
母が他界した時に寝間着に来ていた浴衣が出てきてびっくりしたのです。


小学校4年の歳に漁村地域に引っ越しをするのですが、お祭りには浴衣を着て女子も太鼓をたたくのです。
転校生だった私もメンバーに混ぜて貰えたので良い経験をする事ができました。
その後も何回かは浴衣を着ましたが、高校になった時に母の命令でお茶のお稽古をするようなります。


最初は近所の家に先生が居たのでその先生に習っていました。
この先生は規模は小さいのですが、利休が目指したお茶を追求したい先生でした。
地域の先生方からはいろいろ言われていたようですが、この先生から最初に習えたのは良かったと思っています。
お茶などを習っていれば自然と着物を着る機会も増えます。


高校卒業後、私は和裁の専門学校へ進学します。
最初に行った学校は先輩たちが工場と呼んだくらいにいろいろな面で厳しい学校でした。
カリキュラムは良かったのですが、全寮制だったので食事その他が合わず半年で帰ってきました。
この学校で多くの着物を見て触れたことは、良い経験だったと思います。


翌年の4月から別の学校へ行きなおすのですが、この学校を紹介してくれたのが近所の先生ではなく別のお茶の先生でした。
いろいろありその先生に母はお茶を習うようになっていたのですが、その時に私の話になったようです。
私が和裁を習うために学校を探していると母が話をしたようです。


ここでその後私が通う事になる和裁の先生の話が出て、お茶の先生はすぐに私の所へ電話をかけてきました。
どうなさいます?と先生に言われたので、私は即答でお願いします!と伝えました。


後で聞きましたら多くの方がこういう場面で、のらりくらりいろいろ言うらしいです。
私はとりあえず入学案内を見て、先生にお話を聞いて合わないと思ったらその時にお断りすれば良いぐらいのつもりでいました。
4年間の専門学校を半年で帰ってきたので、選択肢は家から学校に通うしか無かったのです。


2番目に行った学校は教材は自分で持ち込みでしたので、いろいろ教材を集めるのが大変でした。
しかしありがたい事に珍しい物を知り合いから預かる事ができて良かったです。
母の着物も何枚か縫いました。


結婚して子供が出来てしばらくの間は着物とは縁の遠い世界でした。
母が他界する年、なじみの生地屋さんで折り鶴柄の布をワゴンセールで見つけます。
まだ小さかった息子に浴衣を作ってあげようと布を買いに行った時だと思います。


それまで母の勧めで何枚かの着物や反物を購入しましたが、私自身が心からそれらの着物が欲しいわけでは無かったのです。
お茶のお稽古をしていく中で、持っておくと良い物として購入した着物がほとんどでした。


しかし折り鶴柄の布を見た時、本当に欲しい着物の1枚になったのです。
売っている布は2mでカットされていましたが、2番目に行った学校で先生からいろいろなお話を聞いていましたので前身頃にハギを入れれば仕立てる事ができるとわかりました。
そして大切な1枚になったのです。


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結婚生活の中で、着物を着れる日などもう無いのだろうと覚悟を決めていた部分があります。
そして4年前、いろいろ身辺整理をした時に母から譲り受けた箪笥2竿の着物を手放しました。
母が他界する前に、良い物が入っている箪笥は1枚**万円する着物がたくさん入っていると聞かされていました。


しかし母がその着物を求めた時期は、私が結婚をし子供が生まれ母と一時絶縁状態になっていたその頃の物だったのです。
いろいろな感情もあり見たくない気持ちが強かったです。
着物をゴミにすることなく引き取ってくれる方の所へ送る事ができて良かったと思っています。


その2年後、離婚を決意し家を出るまで更に2年かかりましたが今、一人暮らしを始めて9か月が経過しました。
最初は夏に外を歩くのに、腕が紫外線アレルギーで痛くて痒くてこれは和の服しかない!と思ったのがきっかけです。
ありあわせの布で作務衣を縫いました。



作務衣を縫って着た結果、自分の意識の変化に驚いています。
毎日着物が着たい!
1つ目の意識の変化がこれでした。


着物を着ることなど無いと覚悟したのが、毎日着たいに変わったのですからびっくりです。
でも母の着物を箪笥ごと手放したことは1ミリも後悔していません。
なぜなら母の着物は絹がメインで、お茶会着物だからです。普段着はあまり気にしなくて良いのですが、着物には格がありTPOにより模様や帯合わせなどに決まりがあります。
毎日その着物を着るにはちょっと考えます。


絹の着物はそれなりに良いですが、毎日着て洗濯機でお洗濯する訳にはいきません。
普段着の着物は、木綿やウールになります。着心地やお手入れなどを考え、着やすさと言う点では最高になります。
残念ながら母はそういう着物を好まない人でした。


毎日の着物


昔は今みたいに洗濯機があったわけでは無く、着物のように丈の長い物はお洗濯が大変でした。
母が言うには「昔は洗い張りも何でも自宅でした」と言うのですがそれでも大仕事です。
そこで二部式の物がいろいろ考案されています。


また日常着だった時代は庶民は通常、綿や麻の着物で単衣(ひとえ、裏の無い着物)でした。
毎日お洗濯しなくても大丈夫のように、一番汚れる肌に触れる部分は全て襦袢(じゅばん)と呼ばれる下着になり表の着物には直接肌に触れないようになっています。。
襦袢は毎日お洗濯しますが、着物は何回か着た後にお洗濯するのが普通でした。


襦袢も一番汚れや痛みの激しい襟は、半襟をかけてその襟だけのお洗濯でした。
着物の仕組みを知れば知るほど、なんて合理的なのだろうと思ってしまいます。


そして先日二部式のうそつき襦袢を縫い上げ、お気に入りの折り鶴柄の着物を着てみました。
非常に快適でした。


よく小さいお子さんが知り合いに居る場合、勉強として浴衣を縫う事がありました。
子供物を勉強する機会が少なかったので、お子さんが居ると聞くと半ば押し付けのプレゼントで浴衣を縫う事も多かったのです。
お子さんのほうは気に入ってもらえると、脱ぐのを嫌がり着替えが大変だと言うお話をよく耳にしました。


お気に入りの着物を脱ぎたくないのか?と思ったのですが、自分で着てみて納得しました。
着心地の良さから、他の服を着たくないのです。
ただ1つ問題は木綿の着物は着心地は良いのですが、1日着ていると膝が抜ける(着物の膝の部分が膨らみくたびれた印象になる)のです。
それを見た時、母もよく言っていたと思い出したのです。


洗えば解消しますが、お洗濯は布に負担をかけ傷ませます。
とりあえずハンガーにかけてぶら下げておきました。
3日ほど経過しましたら、膝のあたりが膨らんでいたのが元に戻ったのです。


ここで納得しました。
複数の着物を休ませながら着る必要性を理解したのです。
今までの私の服の着方は、少ない枚数で(3-5枚)それらをローテーションで着潰すのです。
特に気に入った服ではないので、何とも思わずに着てきました。


しかし現在普段着で着れる着物は折り鶴柄1枚だけです。
お気に入りなので着潰したくないのです。
ゆっくり着て何年も着たいと思っています。
そうなるとやはり所定の枚数着物も必要になります。


とりあえず着る物は何とかなるので順番に毎日着れる着物を縫っていこうと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

読んでいただきありがとうございます。 アトリエを無事引っ越すことが出来ましたが、什器等まだまだ必要です。 その為の諸費用にあてさせていただきます。