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母の手まり、戦中派の女性の手仕事、25番刺繍糸で作る手まり、平成5年くらいまで

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アトリエ移転に伴い、収納上の理由で母や祖母の手まりを手放すことにしました。
写真に残しておき、またいつでも見ることが出来るようにと公開する事にしました。
母の手まりは、それなりの数あります。
このページでは母の作品の中でも、25番刺繍糸を使って作られた作品を紹介したいと思います。昭和の終わりから平成5年くらいまでの間に作られた作品です。


母はリリアンを好んで使っていました。
私はリリアンの色数の少なさと、仕上がりの雰囲気が嫌いで好みませんでした。
母にはかなり早くに、オリンパスの25番が良いと言ってくれた人が居たのです。
しかしなかなか25番刺繍糸を使わずに、リリアンを好んでいました。


おそらくキラキラした雰囲気が好きだったのだと思います。
またリリアンは2本どりでかがりますが、25番刺繍糸の場合は3-4本を合わせて使うことが多いです。
2本どりと3-4本どりでは手間が圧倒的に違います。
その為25番刺繍糸に慣れていないと、綺麗にかがれないし時間はかかるしで途中で投げ出したくなる時もあります。
母は1個の作品を作るのに非常に時間をかけて作っていたので、扱いやすいリリアンを好んでいました。


それでもいくつかの作品はDMCやオリンパスの25番刺繍糸で作った物が残っていました。
ここでは数少ない25番刺繍糸で作った作品を紹介します。


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椿

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バラ

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コスモス

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てっせん

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バラ

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向日葵

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椿

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ポインセチア

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コスモス

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バラ

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三菱模様と花

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変わり暫

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昔の手まり

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椿

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ポインセチア

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三菱模様と花

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椿

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椿

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昔の手まり

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母が他界した時、諸事情で大急ぎで実家の片づけをしなければいけなかったのです。
母は作品を制作年月日の書いたメモと一緒に保管していました。
私はそのメモを頼りに、とりあえず制作した順序に箱へ仕分けをしました。
大雑把に作品を見ていましたが、当時の私はまだ手まりの経験が浅かったので数字だけを頼りに仕分けをしたのです。


母が他界し約20年が経過しました。母が残した作品はほぼ作れるようになり改めて残された作品を見るといろいろな思いがあります。
そして残された作品の箱もあとわずかになりました。
どんな模様の手まりが出てくるのか?私自身もドキドキワクワクしながら写真を撮っています。


最後まで読んで頂きありがとうございます。

読んでいただきありがとうございます。 アトリエを無事引っ越すことが出来ましたが、什器等まだまだ必要です。 その為の諸費用にあてさせていただきます。