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母の手まり、戦中派の女性の手仕事、昭和の終わりごろ

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アトリエ移転に伴い、収納上の理由で母や祖母の手まりを手放すことにしました。
写真に残しておき、またいつでも見ることが出来るようにと公開する事にしました。
母の手まりは、それなりの数あります。
このページでは母の作品の中でも、昭和60年ぐらいから64年にかけて作られた作品を紹介したいと思います。


戦中派の世代は本当に住んでいる環境によってさまざま体験をされたようです。
しかし母はあの時代としては、かなり恵まれた環境だったのではと感じます。
実家住まいであり父親は早く病死するも、末っ子という事もあり甘やかされたようです。
その為、戦中派にありがちな苦労はほとんどなかったようです。


母にとって本当の苦労とは、周囲の反対を押し切って結婚するもうまくいかず離婚しシングルマザーをしたころが大変だったのかもしれません。
母の思い出はいろいろありますが、実年齢を知られるのが嫌いで12歳年齢を詐称して通して居たことです。
見た目年齢が若かったのもありますが、戦中派にありがちな雰囲気は持たず、どちらかと言えばその後の団塊の世代に近い部分もありました。
しかしちょっとした事で、やはり戦中派だなと感じる場面もありました。


作品のサイズは直径10cm前後、土台の材料はもみ殻がメインですが一部古着も使用されています。
模様をかがった糸は、リリアンをほどいて使用しています。
リリアンは手まり作りに盛んに使用された糸ですが、色あせがしやすいという欠点のある糸です。
糸を見るとチェーンになっているのが特徴なのですが、時々絹と称されている事もあり注意が必要です。


リリアンはレーヨンという糸を編んで作られます。
このリリアンは1923年に京都の糸職人さんが人造絹糸(レーヨン)を使用して発明した物だそうです。
絹糸に似せて作った物だから人造絹糸(じんぞうけんし、じんけん)とも呼ばれたのですが、いわゆる化学合成品で化繊の一種になります。
お蚕さんが作った絹糸は正絹(しょうけん)と呼び区別します。


手まりの糸に使われている物では、レーヨン糸をシルクと言う方が居ましてちょっと悲しく思ったりします。
そういえば昭和の末期に化学繊維の着物を正絹として買ってしまい、仕立てをする方から違いますよ、と言われたなどというお話を聞いたことがあります。
レーヨンの糸は絹糸よりも光沢が強すぎるという特徴があります。
また触った感じで絹糸は独特の暖かさがありますが、レーヨン糸は冷たい感じがします。


母は使わなかった糸ですが手まり糸の名前で売られている糸は化繊と木綿の糸があります。
化繊の糸がレーヨンであることが多く、手まり制作者の方でもシルクと思い込んでいる場合があり注意が必要です。

三つ羽根亀甲

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コスモス

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松竹梅

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椿

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笹舟

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福俵

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菖蒲園

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あめ玉

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蝶々

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コスモス

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さくら橘

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水仙

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巻きかがり

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ねじり三菱の梅

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こぎん模様

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駿府麻の葉

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帯模様

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升かがり(毛糸の手まり)

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星かがりの梅

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蝶々

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石見の手まり(毛糸の手まり)

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蝶々

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ポインセチア

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星かがりの梅

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蝶々

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バラ

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椿

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星かがりの梅

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蝶々

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椿

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昭和の終わりに母が作った手まりは以上になります。

他に25番刺繍糸で作った物がありますが、こちらは比較的数が少ないので別ページにて25番刺繍糸の物だけまとめたいと思います。


最後まで読んで頂きありがとうございます。



読んでいただきありがとうございます。 アトリエを無事引っ越すことが出来ましたが、什器等まだまだ必要です。 その為の諸費用にあてさせていただきます。