テルグ映画雑談

 金・日用務の東京出張の間の土曜日に『ブリンダ―ヴァナム』を見てきました。Jr. NTRのダンスは大画面・大音量で見るのがやっぱりいいですね。少し解説を入れておきます。


クリシュナ神のバクトラール(女信者)

 ラストの逃げがラブコメとしてはいかがなものかというご意見もあるようですが、クリシュナ神テーマだと致し方ない、というお話から。
 二人のヒロインのどちらを選ぶかの選択を両家の縁者の前で迫られる、というエンディングは、Jr. NTR の主演作品としては2回目になります。1作目はラージャマウリ監督との第2回作品で、主役として大ブレークした『シンハドリ』。こちらのヒロインは恩人の孫娘二人で、「こういうときはシンハーチャラムにお詣りして神様に聞こう」で終わるのですが、2回目の『ブリンダ―ヴァナム』ではお詣りしても神様は無責任に消えてしまう、というところまでやっています。『シンハドリ』では、お詣りに向かう一行が画面から消えたところで鴨居の上の神様の絵がアップになってశుభము。女神二人を従えたこの神様は、たぶんクリシュナ神です。ただし、ブリンダ―ヴァナムではなく、マハーバーラタなどのヤーダヴァ族の王として都ドワーラカに移ってからのクリシュナで、二人の女神は正室のルクミニーと、側室サッティヤバーマでしょう。
 ルクミニーは、兄から命じられた気の進まない結婚からクリシュナが救い出した姫、サッティヤバーマは、宝石スヤマンタカを取りかえした礼として王から与えられた姫です。スヤマンタカを奪い返すためにクリシュナが闘った森の王からも娘をもらっていますので、アシュタバーリャ(8妻)の3人目ということになるのですが、美貌と富を誇るサッティヤバーマはクリシュナ神のナラカースラ討伐(クリシュナはナラカーアスラが幽閉していた16000人の女たちもみな解放して妻としてドワーラカに迎えます)にも同行して功があったため、アシュタバーリャの筆頭としてクリシュナの寵愛を独占しようとします。ドワーラカでのこの女の戦いとその結末を描いたテルグ映画が『シュリークルシュナ トゥラーバーラム(クリシュナ神を秤にかける)』です。クリシュナ神はもちろんシニアNTR、サッティヤバーマ役が、『ブルンダーヴァナム』の冒頭に出てくる映画『ミッサンマ』(1955)で踊っているほうのジャムナです。踊りよりは歌がメインだった時代の名残りを残した古風な映画ですが、何しろ3時間超と長いので、このマハーバーラタ・スピンオフ民話の要点だけ紹介します。
 サッティヤバーマを諌めるために、マハールシ・ナーラダ(『ヤマドンガ』でも「ナーラーヤナ」を連発する神話キャラクターとして登場)が、クリシュナ神を自分に寄進し、クリシュナ神の重さに釣り合う黄金で買い戻せるかとサッティヤバーマに持ちかけます。お安い御用と挑発に乗ったサッティヤバーマでしたが、全財産をつぎ込んでもクリシュナ神とつりあいません。ナーラダはクリシュナ神を町に連れ出し奴隷として売りに出すということになってしまいます。そこで登場するのが正室ルクミニー。日頃儀礼を欠かさず大事にしていたトゥラシ(バジル)の葉を一枚秤に載せただけでクリシュナと釣り合い、無事にクリシュナを買い戻すことができるのです。冨や美貌ではなく、クリシュナ神(ヴィシュヌ神)に一心に帰依することに価値があると気づいたサッティヤバーマはルクミニに倣ってヴィシュヌ神のアヴァターラ、クリシュナに心から帰依し、二人並んでクリシュナ像に現れるようになった、というお話です。
 この映画ではルクミニがトゥラシの木の前で儀式を行なっているシーンがよく出てきますが、南インドの田舎に行くと、軒先に土盛りした石組みの台があってトゥラシが植えられているのをよく見ます。ルクミニのようにこのトゥラシを守り育て、何かと儀礼をするのが一家の主婦の役目なのです。「妻の座」の象徴だったのかもしれません。
 同じエピソードが繰り返されるのが『シュリークルシュナとサッティヤ』(1971)。こちらはNTR最初の大ヒット作『パーターラ・バイラヴィ』(1951)や代表作『マーヤーバザール』(1957)を世に出したK. V. レッディ監督の遺作であり、クリシュナにNTR、サッティヤバーマにジャヤラリタという、後のアーンドラ・プラデーシュ、タミルナードゥ両州の州首相の共演としても有名です。サリーとブラウスの間の露出部分に3本の線が見えるのが美しい、とされていた時代を思わせる体型でジャヤラリタが得意の古典舞踊を披露しています。この映画が面白いのは、サッティヤバーマの前世の因縁として、ラーマーヤナ(のスピンオフ民話)がマハーバーラタに組み合わされているところです。NTRは、ラーマ神とクリシュナ神(とラヴァナ)を両方演じています。ラーマ神はハヌマーンと共にラヴァナの兄弟マヒラヴァナを倒し、囚われのチャンドラセーナを救い出すのですが、チャンドラセーナがラーマ神に身を託そうとするのを押しとどめ、「クリシュナ神のアヴァターラとして生まれかわったときにサッティヤバーマとして生まれかわったおまえを迎えよう」と約束してラーマ神のキャラ(シータ一択)を守ります。同じヴィシュヌ神のアヴァターラでもキャラがそれぞれ違うのです。
 クリシュナ神は何人といい仲になっても問題がないキャラです。ジャヤラリタとの神話ものでの共演は、もう一本、『クルシュナ・ヴィジャヤム』がありますが、こちらではジャヤラリタはクリシュナ神の9人目の妻ヴァスンダラとして出演、ジャムナ演じるサッティヤバーマの目を盗んでクリシュナ神が逢瀬を重ねるという展開です。
 『ブルンダーヴァナム』に話を戻しましょう。冒頭の映画『ミッサンマ』(1955)は、まだNTRが神話映画に出はじめる前の作品です。むしろ、伝説の大女優サーヴィトリの初主演作として知られているといっていいでしょう。この時代、マドラスのヴィジャヤ・ヴォーヒニ・スタジオ制作の映画はテルグ語版とタミル語版を吹替ではなく同時進行で制作したものが多いのですが、『ミッサンマ』のタミル語版ではテルグ語版のNTRに代わって、ジェミニ・ガネーシャン、サーヴィトリの浮気な夫です。ストーリーは、大学は出たけれど職のない二人が、ザミンダール経営の私立学校に職を得るために、夫婦と偽って住み込む、と、ちょっと『ブルンダーヴァナム』とも通じるところがあります。引用されているシーンは、NTRが上述のジャムナ演じるザミンダールの娘に音楽とダンスを教えているのをサーヴィトリが面白く思っていない、というところ。モノクロの映画ですが、『マーヤーバザール』の着色公開をした会社が着色はしたものの公開は見合わせたフィルムを使っている、ということのようです。
 踊りは古典舞踊ですが、歌のほうの歌詞は「ブルンダーヴァナマディ アンダリディー ゴーヴィンドゥどぅ アンダリワーでー レー」(ブルンダーヴァナムはみんなのもの ゴーヴィンダもみんなのもの)、クリシュナ神への頌歌として歌われる民謡のようです。ブルンダーヴァナムは、ヤムナー川沿いの地名で、クリシュナ神が子供時代から青年時代を過ごした場所です。ゴーヴィンダやゴーパーラはこの時代のクリシュナ神を指す別名で、「牛飼い、牧童」という意味です。ゴーは、英語のcow と同根のサンスクリット語で、ゴーピー(乳搾り女)たちにモテモテで、笛をふいて同時にそれぞれと踊ったり、天女の羽衣的セクハラにいそしんだ、というのがゴーパーラにまつわる伝説の原型のようです。このゴーピーたちの中でいちばんのお気に入りがラーダで、ラーダとクリシュナを理想の恋人たちとする数々の物語が生まれ、やがてクリシュナの力の源となる「シャクティ」をもつ女神として信仰の対象となっていくわけですが、ゴーピーのほうも、108人いた、とか、そのうちの8人がアシュタ・サキー(八友)とそれぞれ名前と個性をもつキャラとして確立されていく、というような流れになります。マハーバーラタよりは後に成立した物語なので、クリシュナ神とラーダとの関係はブリンダーヴァナムで完結してドワーラカとは別の世界ということになりますが、クリシュナ神自体はどちらも共通して「みんなのもの」なのだから、「ラーダよ、妬くな。美しいものは皆の歓び」ということになります。一方、クリシュナ神の恋愛の舞台としてのブルンダーヴァナムは、牧歌的な楽園として捉えられるようになるわけです。「ブリンダーヴァン」は家の名前としてだけでなく、新興住宅地の地名としてもあちこちにあるようですが、私がまず思い出すのは、マイソール王国のハイダルアリー・ティプースルターン父子の居城、スリーランガパトナのブリンダーヴァン・ガーデンです。マイソール藩王国時代の20世紀初頭、カーヴェーリ川にクリシュナラージャ・サーガル・ダムが作られたときに、下流側に付随して作られた庭園で、噴水をたくさん配したちょっとムスリム庭園仕様の楽園イメージです。
 ところで歌の歌詞の『ゴーヴィンドゥどぅ アンダリワーでー レー』(2014)は、ラーム・チャラン主演のクリシュナ・ヴァンシー監督(Jr. NTRでは『ラーキー』2006)の作品のタイトルにも使われています。ロンドン育ちのチャランが絶縁した父と祖父の関係を修復するために田舎の祖父の大家族の家に素性を隠して入り込み、目的を達する、というちょっと『ブルンダーヴァナム』とも似たファミリードラマです。『ブルンダーヴァナム』のNTRが自分には何の欲望も不満もないご身分でひたすら他人の幸福に関わり合う立場なのに対して、この映画のチャランはもっぱら家族の幸福のために行動します。そのため、チャランの行動のスケールは小さくなりますから、スター映画としては祖父役のプラカーシュ・ラージに食われてしまっているというちょっと気の毒な作品です。「ゴーヴィンドゥどぅ」の恋愛ものとしてみても、ヒロイン役のカージャルと「え?あれで結婚まで行っちゃうの?」というような盛り上がりを欠く展開ですが、逆に、インドの「恋愛」結婚の描写としてはリアルかもしれないなと思います。なぜこのタイトルなのか。どうも、クリシュナ神のストーリーとしてよりは、ブルンダーヴァナムのストーリーとして、田舎の人たちの生活を描いているんじゃないかという気がします。田舎の風景を美しく見せる、という点は『ブルンダーヴァナム』と同じですが、生活ぶりはもっとリアルです。今はもはや田舎ですら架空の楽園になりつつある大家族の暮らしぶりを懐かしく描いた映画ではないのか。ロンドン育ちで西洋流の個人主義が身についているはずのチャランが、村へやってきて田舎の人々の「家族」を中心とした行動原理にすぐに順応していく、というあたりに監督の意図を読み取るべきかと思います。みんなのものである「ゴーヴィンドゥどぅ」がいるとしたら、チャランではなく、伝統的な村の指導者として家族以外にも心を配らなければならないプラカーシュ・ラージなのかもしれません。あと、『ブルンダーヴァナム』の祖父役のコータ・シュリーニヴァーサ・ラオがプラカーシュ・ラージと反目する兄として悪役を演じているとか、『テンパー』で実直で頑ななNTRの部下としていい味を出していたポーサーニ・クルシュナムラリが悪役側の田舎弁護士として出てくるとか、ほかにも見どころのある作品です。
 『ブルンダーヴァナム』に話を戻しましょう。エンディングに出てくるNTRが演じている神様は、間違いなくクリシュナ神でしょう。NTRは『マーヤーバザール』以降、たくさんの神話映画に出て、クリシュナ以外の神様や英雄の役をこなしています。1980年代にNTR率いるテルグ・デーサム党が選挙で無敵だった頃には、田舎の無学な有権者はほんとうに神様だと思っているんだ、と陰口を叩かれたほどです。しかし、中でも圧倒的に多いのはクリシュナ神役で、17作品に及びます。ひとつには、クリシュナ説話は映画以前からヴシュヌ派信仰の「ハリカタ」として村芝居で演じられていた演目も多く、映画化しやすかった、ということもあるだろうと思います。でも、「人気者」といえばクリシュナ神で、この『ブルンダーヴァナム』はストレートに祖父の路線をJr. NTRが継承してみせた、というところでしょう。

(追記) ラーム・チャランの父チランジーヴィの『アンダリワードゥ』(みんなのもの、2005)の主役がゴーヴィンダであることにさっき気がつきました。こちらの「みんな」は(Man of the) masses のちょっと品のないヒーロー映画。プラカーシュ・ラージ演じるエリートの父娘は信用ならんけど助けてやろう、というようなストーリー。チランジーヴィが二役でやってるエリートだけど親思いの息子の役、チャランがやったほうがはまりそうな映画でした。

『バードシャー』のテルグ映画オタククイズ

 1980年代までインドのテレビ局は国営のドゥールダルシャン一局でした。テルグ語放送は夕方の1時間程度、前半は州政治家の動向を伝えるニュースでその後はローカル番組ですが、週1回の映画のミュージックビデオを流す番組に人気があった以外はほとんど覚えていません。全国放送の時間帯にもヒンディー映画のミュージックビデオを流すチットラーハールという番組があったのですが、テルグ語版も同じ名前だったかどうだか。
 それが、1990年代に様変わりするのは、インド洋上の(旧ソ連の?)衛星から降り注ぐ番組を巨大アンテナで受信しケーブルテレビとして流すビジネスが成立してからです。一日中テルグ語を流すチャンネルがいくつもできるのですが、チャンネルはあっても流す番組がないので、各局は競って古い映画の放映権を獲得して、どのチャンネルを選んでも一日中映画が流れている、という状態がしばらく続きました。最初に現れたテレビ局制作の視聴者参加番組がクイズ番組だったのですが、どれもそろいもそろって映画関連のクイズ番組。映画挿入歌のイントロ当てクイズあり、知識を問うクイズありと内容もさまざまだったのですが、何でこんなことまで知っている?とインドの映画ファンのオタクぶりに驚かされたものです。Jr. NTRの『バードシャー』(2013)のコメディー部分には、そんなクイズ番組を思い出させるようなやりとりやシーンがいろいろあります。どれも割と初歩的な(テルグ映画ファンなら誰でもわかるような)内容なので、解説します。
 まずは、前半、M.S.ナーラーヤナ演じるリヴェンジ・ナーゲシュワル・ラオ監督とのやりとり。ミラノ・ロケのサポートビジネスの顧客として愛想よく接していたカージャルが逆上するのが、監督が自分を実在の4人の監督に並べてみたセリフです。
 まずはK.V. レッディ監督。『パーターラ・バイラヴィ』『マーヤーバザール』『シュリークルシュナとサッティヤ』はもう挙げましたが、何と言っても代表作は『マーヤーバザール』でしょう。ラージャマウリ監督も、この監督の特撮とセリフ回しにいちばん影響を受けたと言っています。NTR、SVR、ANRというイニシャルは、テルグ映画界ではサーヴィトリと並んでこの映画の主要登場人物を演じた3大スターで、この時代の有名作品にはほとんどこの誰かが出ていると言ってもいいでしょう。演技派のS. V. ランガーラオは、大柄な体型を活かして、この映画のビーマの息子ガトートカチャのほか、ラーマーヤナならラヴァナ、マハーバーラタならドゥリョーダナ、ナラシンハに成敗されるヒランニャカシプなど神話ものの敵役を演じているほか、現代ものでもサポート男優として存在感があります。細身のアッキネーニ・ナーゲーシュワル・ラオは、この映画ではサーヴィトリの恋人で、アルジュナの息子アビマニュ、タミル語版ではサーヴィトリの夫ジェミニ・ガネーシャンの役です。他の映画では時代物なら詩人や聖人、現代ものなら恋人役といった配役が多いです。そしてサーヴィトリ。『ヤマドンガ』ではヤマが化けているという設定のダナラクシュミをマムタ・モーハンダースが好演していますが、この原形は、SVRが化けているという設定のサーヴィトリの演技だろうと思います。(ちなみに、『ディーパーワリ』(1960)ではSVR演じるナラカースラがクリシュナ神に化けて女たちを拉致するというシーンでNTRが同じような演技に挑戦しています。)
 続いてK. ヴィシュワナート監督。古典音楽映画『シャンカラーバラナム』(1980)で全国的な名声を得た監督で、古典舞踊ものでも『シリ・シリ・ムッヴァ』(1975)、『サーガラサンガマム』(1983)、『スワルナカマラム』(1988)といった有名作品がありますが、芸能ものというよりは、もともと社会派の文芸映画を志向した作家だと思います。チランジーヴィが単なるアクション映画のスターに終わっていないのは、1980年代にヴィシュワナート監督の2作品(『シュバレーカ』(1983)と『スヴァヤン・クルシ』(1987))に起用されて演技が認められているからでしょう。ここでは、『スワーティムッティヤム(白真珠)』(1988)を挙げておきます。音楽担当はイラヤラージャ、挿入歌の「ワタパットラ・サーイキ(トゥラシの葉の君に)」は子守歌として有名です。(『ナラシンフドゥ』(2005)のコメディーシーンでも登場)トゥラシの意味付けについてはエンディングで明かされます。
 この映画のテーマは、女性の再婚です。ヒロインは、息子が一人できたところで夫と死に別れ、帰された実家でも兄嫁からつらく当たられるので、知的障がいをもつ男性(カマラ・ハーサン)と再婚して子供たちを育て上げて死にます。女性の再婚を認めない、という多くの高位カーストの慣行の廃絶は、19世紀以来、文学界を含む社会改革運動のテーマのひとつでした。これは、サティー(貞女)は夫の火葬の火に飛び込んで死ぬべし、という、イギリスが根絶しようとした慣行と表裏一体の関係にあります。テルグ語をならいはじめたとき、罵り言葉の vedhava 「大馬鹿、死に損ない」が英語の widow と同系語であると知って愕然としました。さすがにサティーや再婚禁止は今ではもう問題にならなくなっていて、映画でも、孫娘に対する祖父の回想という形で物語は進むわけです。

(追記) インド映画で水辺でヒーローとヒロインが二人で踊るシーンがあればセックス(まさに「濡れ場」)を暗示している、という説を聞いたことがありませんか?『スワーティムッティヤム』の「マナスパリケー」が歌われるのはこの説通りのシチュエーションです。ヒロインが「この人の子供を産もう」と心を決めるようなエピソードと、富裕な婚家からの復縁の申し出をお腹の子供(と「夫」)のために断るというエピソードに挟まれています。映像も「濃密」ですが、ポルノとしてではなく、ストーリー上の必然としてのセックスです。ここをスルーしないところに儒教文化圏との違いを感じます。
 もう一つ、この映画、カマラハーサンの孫役で子供時代のアッル・アルジュンが出ている、という説がけっこう広く流布しています。映画関係者の子供が映画に使われるというのはよくあるといえばあるのですが、アッル・アルジュンの身内の映画関係者(父と祖父)はスタッフではないですし、なにしろこのときアッル・アルジュンはまだ3~4歳ですから、少なくともセリフのある役のはずはないと思います。ありうるとしたらエンディングのタクシーでカマラハーサンの横に座っている子供(性別不明)あたりでしょうか。

 あとの二人、K. ラーガヴェーンドラ・ラオ監督とダーサリ・ナーラーヤナ・ラオ監督についてはキャリアが長く、1980年前後の政界進出直前のシニアNTRの中年太り現代劇諸作品からはじまって、さまざまなスター俳優を使った多くのテルグ映画主流作品があります。とりあえず1作品ずつあげておきます。
 まずは、ラーガヴェーンドラ・ラオ監督。ここはチランジーヴィ主演作『ジャガデーカヴィールドゥ アティローカスンダリ(世界一の勇者と絶世の美女)』(1990)を。絶世の美女が当時人気絶頂だったタミル女優シュリデーヴィ。インドラ神の娘が地上に降りて帰れなくなり、ちぐはぐな会話で頭おかしいと言われる、というちょっと変わったヒーローものです。もう30に手が届くというのに相変わらずちょっとロリっぽい演技っぷり(女学生の制服を着てみたりとか)ですが、美人です。あと、チランジーヴィが冒頭ちょっとですがハヌマーン装束で闘うシーンがあります。「チランジーヴィ」は世界の終りまで生き続ける者、という意味で、7人とか8人とかいるのですが、神様系ではハヌマーンとパラシュラーマだけです。ハヌマーン神は肉体労働系の人たちに人気の神様で、神像や映画での配役も筋骨隆々のマッチョに描かれることが多いのですが、テルグ映画スターのイメージとして大々的に使うには難があります。ハヌマーンはブラフマチャーリ(終生独身)なので、ヒロインと絡めないのです。ただ、どうだろう、チランジーヴィってヒロインと踊ったりヒロインを守るアクションはあってもロマンスのイメージがないのは気のせいかな。
 ダーサリ・ナーラーヤナ・ラオ監督は、ちょっと変わった経歴です。NTRのほか、ANRがハイダラーバードにアンナプールナ・スタジオを作ったころからANR作品を多く手掛けていますので、マドラスから移ってできた「トリウッド」の初期からのキャリアということになりそうです。『メーガサンデーシャム』(1982)は、K. ヴィスワナート同様、ジャヤプラダを起用した古典舞踊映画で、ANR演じる詩人の不倫を描いています。政治的にはゴーダワリ地方の有力カーストであるカープの運動に関わっていて、テルグデーサム党に代表されるカンマに敵対する立場になるのですが、映画に関してはNTR, ANR, ヴェンカテーシュなどのカンマ俳優の作品を多く手掛けていて、同じカーストのチランジーヴィ作品は人気急上昇中で映画が量産された1989年のアクション映画『ランケーシュワルドゥ』ぐらいだろうと思います。映画製作の教育も行っていて、自前のプロデュース作品も多いのですが、異色なのは、サイキルリキシャ引きに偽装した共産ゲリラ(ナクサライト)がヒーローの『オレイ・リキシャー』(1995)で、同時期に公開されたチランジーヴィがリキシャ引きの主役を演じる『リキショードゥ』(1995)を完全に食ってしまった、という作品です。自主制作作品に出演することも多いです。若き日のラムヤ・クリシュナ(バーフバリのシヴァガーミ)がインド社会の女性差別を厳しく糾弾する『カンテー クートゥルネーカヌ(産むなら娘を産め)』(2000)では、アメリカに渡った二人の息子が兄は事故で死に、それを知らせに帰ってきた弟はアメリカで外国人で結婚していて帰って来る意志はなく、妻と二人で心中したのに火葬に立ち会うべき息子はアメリカに行ってしまう、という役を演じています。どぎつい内容のドラマですが、アリやブラフマーナンダンのコメディーシーンはちゃんとあります。

 さて、『バードシャー』に戻りましょう。リヴェンジ監督の先人への敬意が足りないと怒るカージャルは、K. V. レッディの作品を挙げよ、と迫ります。

 テルグ映画の大スターで次のラージャマウリ監督作品の主演となるマヘーシュ・バーブの実父、クリシュナが主演のインド風ウェスタンです。ヒロインはクリシュナの後妻。マサラ・ウェスタンとでも言いましょうか。でも舞台はインドで、インディアンの代わりにネイティブ・インディアン(先住部族民)が登場します。ダース監督は、カンナダ映画界から招かれ、ヴィシュヌヴァルダンと(まだ悪役時代の)ラジニカントを主演とする一連のヒットを生み出したことで知られています。

  •  ジュニアNTRが引き取り、「じゃあK.S.R. ダース監督の作品は?」『モーサガーッラク モーサガードゥ』「それは言った。」『パンダンティ カープラム(実りある家庭)』平手打ち「それはラクシュミー・ディーパク監督」

 『パンダンティ カープラム』もクリシュナ主演ですが、こちらはディーパク監督のスリラー作品。女の復讐で家庭が破壊されていく、というストーリーです。でも最後は大家族ハッピーエンドにむりやり持って行くんですが。このあとクリシュナは『アッルーリ・シータラーマ・ラージュ』で大ヒットを飛ばすのですが、ヒットしすぎてその後やりたい映画がみんなこけてしまった、というキャリアになります。ディーパク監督はほかに『カールティカディーパン』(1979)という三角関係恋愛ドラマのヒット作がありますが、ショーバンバーブが二人を妻とすることに成功したところでシュリーデーヴィのほうが子供を残して自殺してしまうなんていうドラマがなんでヒットするんだか。シュリーデーヴィの葬式のあとに、もうひとりの妻に託した息子(ショーバンバーブ二役!)の結婚式シーンが続くという無神経なエンディングです。

  • 「まだある。初めてダーダーサーヒブ・パルケー賞を受賞したテルグ映画人は?」「ドクター・アッキネーニ・ナーゲーシュワル・ラオ」平手打ち「あってるだろ?」「ナーゲーシュワルラオさんは1990年。1976年にボンミレッディ・ナラシンハ・レッディ受賞」「誰だそれ」「B. N. レッディ」「B. N. レッディって監督もやってたの?」カージャル乱入して平手打ち「B. N. レッディを知らないなんて」

 初めて映画をとったダーダーサーヒブ・パルケーの名を冠したインド国家映画賞の功労賞です。B. N. レッディは戦前から戦後にかけて11作品を監督していますが、ヴォーヒニ・ピクチャーズを設立します。K. V. レッディもここから映画製作にはいります。戦後すぐにマドラスに巨大スタジオを建設、1961年に同じイニシャルの弟ナーギ・レッディのヴィジャヤ・プロダクションと合併し、ヴィジャヤ・ヴォーヒニ・スタジオとなります。監督作品としては、ヴィジャヤナガラ帝国時代のNTR主演、時代劇ロマンス『マッリーシュワリ』(1951)が名作とされています。

 次はブラフマーナンダンのコメディーシーン。「生贄の羊(バクラー)」として夢を見ていると信じ込ませるシーンですが、夢から覚めたいときに歌う歌、「レー、レー、ナー、ラージャ (起きて、起きて、私のラージャ)」は、ANR主演のベタベタなメロドラマ『プレーマ・ナガル(愛の街)』(1971)のアイテム・ナンバーです。踊っているのは1960年代から1970年代初頭に南インド映画のアイテム・ナンバーの多くに出演していたジヨーティ・ラクシュミー。映画自体はANRの最初のヒット『デーヴァダース』の焼き直しみたいな作品です。ザミーンダールの息子が恋に破れてアル中になって野垂れ死ぬ話から、最初からアル中で毒をあおって死んじゃいそうになるという展開になっていますが。
 夢の世界でJr. NTR がNTRを演じて見せるのは『チャウダリ判事』(1982)。政治家として俳優活動を休止するちょっと前の作品。59歳。これ、(実は)息子と二役で、こちらの恋人役が18歳のシュリーデーヴィ。顔はメイクで何とかなるとして、体型は変えられないんです。若い方の髭は、当時流行っていたと思われる、唇の上だけ1ミリぐらい残すという剃り方。80年代後半でもときどきこういう人いましたが、何と言っていいんだか。昔の映画が見られる環境ではなかったですから、何でこのデブのおっさんがこんなに人気なのか、当時の私にはほんとうに謎でした。
 Jr. NTR の声真似ですが、この頃まではそんなにつぶれてないですね。NTRの年齢からみて、首相活動を経てからの90年代ぐらいのだみ声の印象が強いんだろうなと思います。

 最後がぶち壊し結婚式の出し物ですね。まず、ナッサルがやってみせる「バラタナティヤム」は、K. ヴィシュワナート監督の『サーガラサンガマム』のカマラハーサンです。ナッサルは、タミル映画『ナーヤカン』以来のカマラハーサンとの共演を意識しての選択だろうと思います。Jr. NTRの『ラバサ』でもブラフマーナンダンがペッディ・レッディの息子を昏睡状態から一旦は目覚めさせるのに使っているダンスです。
 女性陣はみな1980年ごろのNTR作品のアイテムソング。すべて、ジヨーティ・ラクシュミーの妹、ジャヤマリニの演目です。(NTRのパートはほとんどないので、ほんとうはJr. NTRが出てくる必要はないのですが、『ヤマドンガ』のノリで踊っています。)

タマン×Jr. NTR作品のテルグ映画オタククイズ続き

 『ブリンダーヴァナム』『バードシャー』と、パーカッショニスト出身のS・タマンが音楽担当のJr. NTR作品が続きましたが、この組合せ、個人的に好みです。ダンスナンバーが映える楽曲の数々。
 『アラヴィンダ・サメータ、ヴィーラ・ラーガヴァ』(2018)はダンスナンバーが少なめなんですが、「レッディ、イッカダチュードゥ(こっち見てレッディ)」、ちょっとスローテンポで重厚な感じがいいですね。で、この入りのところでポータブル・ラジオから流れる楽曲「ウェイイ・シュバムル(千の吉兆)」ですが、K.V. レッディ監督作品『シュリー・クリシュナールジュナ・ユッダム(クリシュナとアルジュナの戦い)』(1963)の挿入歌です。NTRがクリシュナ、ANRがアルジュナを演じています。前半は、クリシュナの兄バララーマが弟子ドゥリョーダナとの縁談を進めている妹スバッドラを、クリシュナが幼なじみのアルジュナと駆け落ち結婚させる、という、『マーヤーバザール』と似た設定です。パーンダヴァ兄弟の都インドラプラスタにアルジュナとスバッドラが旅立つのをクリシュナと共に見送るサッティヤバーマとルクミニが歌う、というシーンになります。でも駆け落ちの見送りにしてはちょっと人が多すぎないか。コーラスの女性たちは女官?いや、待ってください。歌詞ではコーラスでも「マラダラー(義妹ー夫の妹あるいは弟の妻ーよ)」です。ひょっとして、これはクリシュナがドワーラカに迎えた16000人の妻たちではないのか。こっそり見送るのも大変です。
 この映画の後半は、親友同士のクリシュナとアルジュナが戦うことになる、という19世紀末に書かれて20世紀前半にはテルグ演劇界で人気のあった戯曲『ガヨーパキャーナム(ガヤ物語)』の映画化です。ガンダルヴァの王、ガヤがアプサラたちを伴って空を飛んで帰る途中、吐き出したキンマの葉が外でスーリヤ神に祈りを捧げていたクリシュナの掌に落ち、怒ったクリシュナがガヤを滅ぼすと誓い、マハールシ、ナーラダの入れ知恵で助けを求めに来たガヤに、事情を知らずにアルジュナがガヤを守ると誓ってしまったために、ガヤを引き渡す引き渡さないでクリシュナとアルジュナが戦いをはじめてしまう、というストーリーです。エンディングはこの二人の戦い。ほとんどは論戦ですが、後ろのほうで『マーヤーバザール』にも似た、初代ウルトラマンのスペシウム光線的な特撮の弓矢対決が出てきます。どちらも神から与えられた武器を操るため、決着はつかず、戦いはエスカレートして地球破壊(短い特撮)に至るのですが、ナーラダがシヴァ神に仲裁を頼んで幕、という、実にテルグ映画的なスピンオフ神話です。
 『ASVR』での歌の入り、何か意味ありげに見えますが、私は単に楽曲としてつながりがよかったから入れてみた、に一票です。(追記)「レッディ、イッカダチュードゥ」の間奏、短く「ウェイイ シュバムル」というコーラスがはいってますね。サンプリングかな。
 『バードシャー』に続く『ラーマイヤーオスターワイヤ(ラーマさん、来ますか?)』(2013)も懐メロ満載です。ただし、この映画、テルグ映画基準でも前半の能天気コメディーと後半の復讐劇の分裂ぶりが甚だしく、前半ヒロイン(サマンサ)は父親をJr. NTRに殺され、後半のヒロイン(シュルティ・ハーサン)は、テルグ大衆アクション映画に昔からよくある殺されて復讐劇を成立させるだけの役回りという、タマンの音楽とJr. NTRのアクション/ダンスのファン以外にはお勧めできない作品です。懐メロ満載なのは前半のコメディー部分です。
 まず、登場シーンの演劇の長い台詞は、NTRの監督主演作品 『ダーナ・ヴィーラ・スーラ・カルナ』(1977)から。カルナは、『マハーバーラタ』のパーンダヴァ5兄弟のうちの上の3人の同母兄に当たりますが、母クンティが結婚前に(リシから授かった神の子を産む呪文を使って)生んでしまったために捨てられた、というドラマチックな過去をもつキャラクターで、このカルナ(と母)とのドラマとしてマハーバーラタのエピソードを語った3時間半超えの力作です。NTRがカルナのほか、クリシュナ神とドゥリョーダナの3役で出演、息子二人もアルジュナ・アビマニュの親子として共演しています。Jr. NTRが再現しているのは、ドゥリョーダナ役でのセリフ。アルジュナの師匠ドローナからカルナが父親もわからない卑しいものとして辱められたのに対し、ドゥリョーダナがドローナも我々一族も決してほめられた一族ではないのになぜ出自で差別する、と糾弾する内容です。これに恩義を感じたカルナは、自分の出生が明かされた後も、ドゥリョーダナへの忠誠を守りパーンダヴァ5兄弟と闘い、アルジュナとの一騎討ちで倒されるのです。
 続いて前半ヒロイン役のサマンサとの出会いのシーンでは、サマンサが登場するたびに店のラジオから懐メロが流れる、という繰り返しです。
 「カラヤーニザマー(夢かうつつか)」:『クーリーNo.1(赤帽1号)』(1991)。音楽担当のイラヤラージャが歌っています。
 「キーラワーニ(オウムの声の君)」:『アヌウェーサナ(探索)』(1985)。イラヤラージャの曲をS. P. バーラスブラフマニヤムが歌う、というこの時期のテルグ・タミル映画では鉄板の組合せ。
(追記)「ラーサリーラウェーラ」:もう1曲ありました。サマンサが父差し向けのグンダ(やくざ)を連れて来るところ。『アーディッティヤ 369』(1991)。Jr. NTR 叔父のバーラクリシュナ主演のタイムマシン映画。ヴィジャヤナガラ王クリシュナデーヴァラーヤと二役です。イラヤラージャ/S.P. バーラスブラフマニヤム。
 「マディローヴィーナルムローゲー(心でヴィーナが鳴り響く)」:『アートミーユル(我が君)』(1969)。ANR主演映画。音楽は戦前からの天才アーティスト、ラージェースワラ・ラオ。

 懐メロだけではなく、同時期の作品である『シータンマ ワーキトロー シリマッレ チェットゥ(シータンマの窓の茉莉花の蔓)』(2013)の主題歌を、「おばあちゃん子だっているだろう、映画見てないのか」とJr. NTRが口ずさむシーンがあります。プラカーシュ・ラージュの父親にヴェンカテーシュとマヘーシュ・バーブの新旧大スターが息子たちというファミリードラマ。ヒロインとしてサマンサも出ているのですが、おばあちゃん子はシータのほうです。

 『ラーマイヤオスターワイヤー』でNTRファンのサマンサの大叔母さんとのJr. NTRが踊るのは、NTR作品ではなく、ヒンディー映画『ティースリー・マンズィル(三階)』(1966)の「アージャーアージャ―、メーンフーンピャールテーラー(おいでよ、俺が君の恋人だ)」。歌っているのはアーシャ・ボースレー、ギネスブック掲載級のレコーディング曲数を誇るヒンディー映画の吹き替え歌姫です。(バーラスブラフマニヤムもギネス級です。なにしろ南インド4言語で歌いますから。)
 しかし、なんか懐かしいですね。メイクといい、振付といい。ヒンディー映画の1966年。そう思った方は『ラブ・イン・トーキョー』(1966)から「レーガイーディル」「サヨナラ、サヨナラ」の2曲もどうぞ。(1980年代のハイダラーバードでもサヨナラ歌える人には何人か出会いました。なんか「ペルシャの市場にて」を思い出すメロディーです。)
 ヒンディー映画といえば、『ラーマイヤオスターワイヤー』と同年に、ヒンディー映画の『ラーマイヤオスターワイヤー』が公開されています。シュルティ・ハーサンがこちらでもヒロインと紛らわしいのですが、実はこちらの作品は、大ヒットしたテルグ映画『ヌッヴォスターナンテー ネーノッダンターナー(来るんだったらダメとは言わないよ)』(2003)のプラブー・デーヴァ監督自ら手掛けたヒンディー語リメイクで、原作では妹思いのヒロイン兄を演じた故シュリハリが事実上主役の身分違いファミリードラマです。なぜタイトルがテルグ語で、しかも原題と違うのか、というと、「ラーマイヤオスターワイヤー」というテルグ語がヒンディー映画ファンに(意味はわからなくても)馴染みのある言葉だからです。往年の名優ラージ・カプール監督主演の人情コメディー『シュリー420』(1955)の挿入歌「ラーマイヤオスターワイヤー、メーンネ・ディル・トゥジコ・ディヤー(私はあなたに心を捧げた)」でなぜか使われているリフレインです。実はこの映画、もう一つ今もよく知られている「メーラージュターヘ ジャパーニー(俺の靴は日本製)」という名曲があります。靴は日本製、ズボンは英国製、帽子はロシア製、だけど心はインド製、という歌です。
 テルグ映画に話を戻しましょう。タマンの音楽にJr. NTRのダンスの組み合わせというと、『ラバサ』(2014)で、この映画の5曲はどれも見ごたえあります。映画の構成はファクショニストのコメディーで『ブルンダーヴァナム』とよく似ているのですが、ただし、「母の願いをかなえるために」縁談が拒否されている交叉従妹(サマンサ)をたらしこんで恋愛結婚にもっていこう、というストーリーが日本的にはどうよ、という作品ではあります。最後の死闘もヒロインではなく母たちの願いであるもう一組の結婚を実現するためですし。この作品では懐メロというと、『バードシャー』でも出てきた『サーガラサンガマム』の古典舞踊だけですが、こちらはコメディアンのブラフマーナンダンが踊っています。
 ブラフマーナンダンが老俳優としてシリアスな演技を見せるクリシュナ・ヴァンシ監督の『ランガマールタンダ(舞台王)』(2023)、インドのアマゾンプライムでしか配信していないようですが、マラーティー語映画『ナートサームラート』(2016)のリメイクです。名優ナーナー・パテーカルのシェークスピア(だけじゃないですが)のセリフがぽんぽん出てくる原作と比べて、演劇よりはファミリードラマ的側面がより強く出ているんじゃないかと思いますが、インドも高齢化社会の入り口だなと感じさせるドラマです。こちらでは老親と核家族の同居の軋轢がドラマになる時代は遥か昔になってしまいましたね。主役のプラカーシュ・ラージュ、妻役としてヴァンシ監督が起用した妻ラームヤなど、お馴染みになってきた俳優陣のこんな作品が日本でも見られるような時代は来るんでしょうか。

シュリーニヴァーサ・ラオ、ジャンディヤーラ両監督作品私感

 『ラーマイヤオスターワイヤー』のラジオ懐メロで追記した『アーディッティヤ369』は、シンギータム・シュリーニヴァーサ・ラオ監督のSF作品。インド初のSF映画監督として、今夏公開予定の大作『カルキ 2898AD』の脚本にも助言、と報じられていますが、御年92歳、どの程度の助言なんだか。
 『アーディッティヤ369』(1991)は、脚本もジャンディヤーラ(初めてみたテルグ映画『アーナンダバイラヴィ』(1983)の監督)ということで、この二人の作品について個人的な思い入れを少々。
 シンギータム・シュリーニヴァーサ・ラオ監督は、1980年代はカンナダ映画の大スター、ラージュクマールの作品を撮り続けたことで知られますが、私がはじめて見たのはカマラ・ハーサン主演のコメディー『プシュパカヴィマーナム』です。これ、実はカンナダ映画『プシュパカヴィマーナ』と言うべきかもしれません。よく見てみると、街並みはどうもバンガロール(現ベンギルール)のようですし。しかし、吹替ではない、というのは、セリフがまったくなく、ほとんどカマラ・ハーサンのパントマイム的演技でストーリーが進行する映画だからです。テルグ語版ではクレジットや効果音としてのラジオ音声を入れ替えているだけでしょう。大学を出たけれど職がなく、(暑いので)家賃の一番安い屋上ペントハウスで一人暮らししている主人公が、高級ホテルのスイートルームに泊まっていたアル中の富豪と入れ替わって思いきり羽を伸ばす、という、会話のないシチュエーションが続きます。
 アイデアが認められて、映画賞も受賞しています。ただし、一般の観客には歌もダンスもないこの映画、必ずしも好評とはいえないようです。テレビで放送されたとき、知人の奥さんの酷評(主としてダンスシーンがないこと)を聞きました。一家で映画を見るのが当たり前だったこの時代、アイテムソングがお父さんやお兄さん向けだとすれば、ヒロインが目まぐるしくサリーを着替えて踊るダンスシーンは奥様向けのファッション番組の役割もあるのです。
 セリフがないことのメリットは、ヒロインを演じたアマラ(その後アッキネーニ・ナーガールジュナ妻)の魅力が存分に発揮されていること、というのが私的な感想です。今はそんなことはありませんが、この時代のヒロインのセリフは子供っぽく可愛らしく、というのが普通で、この後(わくわくして)見に行ったアマラのヒロイン役は、毎回テルグ語吹替に辟易しました。上で、シュリーデーヴィがロリっぽいと書きましたが、これも多分に演出によるものです。極めつけがタミル映画『ムーンドラム・ピライ』(1982, テルグ語吹替が『ワサンタ・コーキラ』)、事故で記憶喪失になったシュリーデーヴィを避暑地ウーティで保護したカマラハーサンが恋に落ち、家族に連れ戻された彼女に一目会いたいと必死の思いで駅にたどりついたら記憶の戻った彼女は見止めてもくれない、という大メロドラマなのですが、記憶喪失で幼女化するのはなぜ?というストーリー。カマラハーサンのオーバーアクション気味の演技が最初の主演男優賞と来ると、インド人男性総ロリコン疑惑も浮上します。
 鬼才シュリーニヴァーサ・ラオ監督はアニメにも挑戦しています。『ガトートカチャ』(2008)は、テルグ語など南インド4言語のほかヒンディー語版、英語版などもありますが、前半のガトートカチャの子供時代のあとは、ほぼ『マーヤーバザール』のストーリーに沿った展開になっています。セルアニメ作品ですが、ダンスシーンでは一部CGアニメも使われています。ただし、英語版ではインド風メロディーの曲が一部差し替えられていて、在外インド人子弟を意識した作りになっています。「バザール」は、ショッピングモール風に表現されています。(日本の「商店街」もインドの人にとっては「バザール」です。)曲はほぼオリジナルだと思いますが、1曲だけ、ガトートカチャが結婚式用に用意された料理を夜中にこっそり食べてしまうシーンの「ヴィヴァーハ・ボージャナンブ」は『マーヤーバザール』の有名曲がそのまま流用されています。
 一方、ジャンディヤーラは演劇出身で、ヴィシュワナート監督作品や1970年代後半のNTR主演作品の脚本担当として実績を挙げた人ですが、1980年代の監督作品で群を抜いて有名なのが、100パーセントコメディーから成る映画として記録的なヒットとなった『アハ、ナーペッリアンタ(へえ、俺の結婚だってよ)』(1987)でしょう。こちらもマーヤーバザールの有名曲が表題で、イントロでSVRが化けている設定のサーヴィトリのダンスシーンがそのまま使われています。脚本家出身なので、セリフのやりとりで笑わせるタイプのコメディーです。主役は、長い自伝を聞かせるのが好きな会社社長の父親と親一人子一人の生活、なにごとにつけ親子で競い合う暮らしぶり。父親がそろそろ息子に縁談をと考え始めたので息子は友人の結婚式で恋愛結婚の相手を見つけてくるのですが、相手の父親が度を越した守銭奴であることを知った父親は、3か月以内に結婚にこぎつけられるかどうか、息子と賭けをする、というストーリーです。守銭奴役がコータ・シュリーニヴァーサ・ラオ(『ブルンダーヴァナム』の祖父役)、その使用人に映画初出演の若き日のブラフマーナンダンで、それぞれこの映画の大ヒットでコメディアンとしての地位を確立します。そして主役がラージェーンドラ・プラサード、コメディー映画の大スターとしてブレイクします。近年ではJr. NTRの『ナーンナク・プレーマトー(父さんに愛をこめて)』の父親役で元気に死んでいます。
 単なるドタバタではなく、古典落語にも通じるような風格のあるコメディーです。テルグ文学古典の放浪詩人ヴェーマナが引用されていたりします。音楽の担当は、監督の古典舞踊映画作品『アーナンダバイラヴィ』(1983)と同じくラメーシュ・ナイドゥで、いわゆるフィルム・ソングのダンスだけでなく、古典舞踊のダンスシーンもあります。店のラジオから流れる音楽に合わせて踊っている設定なので、途中CMがはいったりするのですが、このCMもきっちり踊っています。守銭奴の娘の縁談でたずねてきた花婿候補の太った兄たちが守銭奴が出した菓子を大食いしてしまうシーンでは、バックに「ヴィヴァーハ・ボージャナンブ」のメロディーが流れていたりします。監督の次のコメディー作品が『ヴィヴァーハ・ボージャナンブ』(1988)で、こちらは「女嫌い協会」を率いるラジェーンドラ・プラサードが最終的に結婚に至る、というヒット作品ですが、こちらはちょっとドタバタ化が進んだ残念なできばえだと思います。
 シュリーニヴァーサ・ラオ監督も100パーセントコメディーの作品を撮っていて、これが『ブリンダーヴァナム』(1992)です。こちらはクリシュナ神とは関係がなく、「ブリンダーヴァナム」という名の屋敷を祖父からだまし取った相手から、ラジェーンドラ・プラサードがその娘(ヒロイン時代のラムヤ[・クリシュナ])と協力してあの手この手で取り戻す、というストーリーになります。ブリンダーヴァナムに接近するにあたって、ラジェーンドラ・プラサードは、日系企業の従業員を装って間借りするのですが、北東インドのモンゴロイド系のインド人/ネパール人を日本企業社員に仕立てて怪しげな日本語を操る、というシーンがちょっと面白いです。「~シ」で終わる単語の連発で、「トーシバ、ミチビシ」などというセリフも出るのですが、留学時代にテルグの友達が「三菱」を「ミシビシ」と発音していたのを思い出します。「これは極秘だが、日本は近くアメリカと開戦する」などという、ちょっとドキッとするセリフもあります。ヒロシマ、ナガサキはインドでもよく知られていましたが、なぜ日本はアメリカと仲良くしているのか、というよくある質問は、ちょっと返答に困ったものです。
 こちらの『ブリンダーヴァナム』では、ラムヤを嫁に差し出して両家和解のあと、ラジェーンドラ・プラサードが「ブルンダーヴァナマディ・アンダリディ、ゴーヴィンドゥドゥ・アンダリワーデーレ」と歌い出し、ラムヤがひっぱたこうとする、というエンディングになります。





これで終わるのがきりがいいかもですね。
 

ジャイ・ラヴァ・クサと神話モチーフ

 テルグ映画ファン、というよりはJr. NTRファンの間で『ブリンダーヴァナム』に続いて『ジャイ・ラヴァ・クサ』が話題になっているようなので、ちょっと付け足します。Jr. NTR が三つ子だけどそれぞれ異なるキャラクターの兄弟ジャイ、ラヴァ、クサとして出突っ張りの、ファン大喜びの映画ですが、ファンサービスだけでなく、Sr. NTR の後継を自認する Jr. NTR のための作品、という面もあるんだろうな、というお話。
 まず、直接のオマージュ元は、間違いなく『ラヴァ・クサ』(1963)でしょう。テルグ映画としてははじめて全篇カラーで制作された大ヒット作品です。何しろ、タイトルロゴが『ラヴァ・クサ』とほぼ同じデザインで、上に「ジャイ」1文字が付け足されている、というだけです。映画冒頭の3人の子供時代の芝居一座の演目で、最初に出てくるのが『ラヴァ・クサ』の原作である『ラーマーヤナ』の「ウッタラカンダ」です。ラーマとシータの双子の息子がラヴァとクサです。ジャイなんて登場人物はいませんので、村芝居の観客がジャイをなりすましの偽物と判断しても、まあ仕方がない、とは言えるでしょう。ジャイの役は白い馬です。ただ、この馬はけっこう重要な役目ではあります。
 「ウッタラカンダ」は、ラーマ一行がランカーのアシュラ、ラーヴァナを退治してシータを取り戻してアヨードヤの都に戻るという『ラーマーヤナ』本編が成立した後で加えられた部分だと考えられていますが、せっかくのハッピーエンドを台無しにするような、ちょっといやな話です。映画のはじまりは、Sr. NTR 演じるラーマが王座について、その後、理想の統治とされるようになった「ラーマラーッジヤ」をはじめる、と景気がいいのですが、「王座にあるものは民の声に耳を傾け、正すべきは正さなければならない」などと言ってしまったために、長い間ラーヴァナに幽閉されていたシータの貞操に関する民の心ない噂を耳に入れてしまうことになります。「被害者バッシング」なんて概念のなかった時代のこと、ラーマは弟ラクシュマナに命じて、シータを森へ追放してしまうのですが、これは、王座の大義のために私的な感情を殺す「ラージャティヤーガム」として描写されています。この映画の英雄ラーマは、ほぼ全篇、自分が追放したシータを思って悲しみ続ける、という情けない男なのです。
 シータは森で、ラーマーヤナ本編の作者とされる聖仙ヴァールミーキに拾われ、産んだ双子、ラヴァとクサを素性を隠して育てます。このラヴァとクサが、最終的にラーマが父親であることをシータに教えられるきっかけが、この白い馬なのです。この馬は、ラーマが王位の正統性を世に示すために行う儀礼、「アシュヴァメーダ(馬贄)」で放たれて、1年間、護衛を従えて領土内を巡回します。この馬が誰かに捕獲されたり殺されたりすることなく無事宮殿に戻れば王位は正統である、と認められたことになります。クサとラヴァは、この馬が森を通ったときに捕まえてしまい、護衛についてきたラーマの弟たちを弓対決で次々と倒してしまいます。とうとうラーマ本人と対決ということになったときに、ハヌマーンの知らせでシータが気づき、無事、親子の身元確認ができてめでたしめでたし、となるかと思いきや、シータは「これ以上望むことはありません」と母である大地女神ブーデーヴィを呼び出して、地中奥深くに消えてしまうのです。
 ストーリー的には『ジャイ・ラヴァ・クサ』との接点はなさそうですが、あの白い馬がアシュヴァメーダの馬であれば、無事に宮殿に戻った後、生贄として神に捧げられる運命にあります。アーリヤ人がインドに入ったばかりの初期ヴェーダ時代にはいろいろあったとみられる生贄の儀礼は、正統派バラモンの儀礼ではほとんどなくなりますが、王位の正統性を示すという重要な役割のために残されたのがアシュヴァメーダだったようです。この馬を演じたジャイ、Jr. NTR の作品としては珍しく(『ヤマドンガ』ぐらい?)、作品中で命を落とす、という役柄になっているのは関係ないのか。母親と暮らしてきたラヴァとクサ、つまりJr. NTR の、ナンダムーリ一族継承者としての正統性を証明してみせたのではないか、なんて下世話な想像はやめておきましょう。ただ、プロデュースが Jr. NTR の異母兄である、というのは、ちょっと考えてみてもいいような気がします。
 ストーリーの点で関係しているかもしれないのは、上でも挙げた『ダーナ・ヴィーラ・スーラ・カルナ』(1977)です。こちらは『マハーバーラタ』で、パーンダヴァ5兄弟から疎外された(川に流して捨てられた)兄カルナが主人公として、弟たちと戦うことになります。名乗りをあげた母の願いを聞いて、弟たちを殺さないとは誓うのですが、師匠との因縁のあるアルジュナとは戦うことを許してもらい、伏線としてしかれた神々の呪いの通りに敗れ去る、というストーリーです。Jr. NTR がSr. NTR の出演作の中でいちばん好きな作品として挙げているのは、プロデュース、監督、原作、主演(含む3役)を Sr. NTR がこなし、息子たち(Jr. NTR の父と叔父)も共演させている、という、Sr. NTR の「やりたかったこと」への敬意があるからだろうと思います。
 ただし、Jr. NTR の役作りとしていちばん力が入っていると思われるジャイは、血縁(母)と義理(ドゥリョーダナ)の板挟みのカルナではなく、暴虐の限りを尽くす魔神ラーヴァナです。こちらは Sr. NTR が初監督作品『シーターラーマ カリャーナム(シータとラーマの結婚)』(1961)で演じているラーヴァナを思わせます。この作品も、『ラーマーヤナ』本編のラーヴァナ討伐ではなく、「ウッタラカンダ」など、後付け的なストーリーの部分のうち、なぜラーヴァナが無敵なのかと、ラーマとシータの出生から結婚までの冒頭の、ラーマとシータが結婚に至るまでを扱ったストーリーです。前半は、シヴァ神への一心不乱の帰依により、無敵の力を手にしたラーヴァナが、プシュパカヴィヴァーナム(空飛ぶ屋敷)に乗って各地で悪行を尽くすけれど、ラクシュミの化身の美女に手を出そうとして呪いをかけられ、灰になった美女をランカーに持ち帰ったものの、妻が命じてミティラーに捨てられ、土の中から大地女神の娘シータが生まれた、という因縁を描いた物語です。この作品で、Sr. NTR は生き生きと悪役の演技に挑戦しています。悪役風の笑い声といい、目つきといい、Jr. NTR との血のつながりを感じさせる演技です。このラーヴァナ役は、最初から本人の希望で、弟とやっていた自分のプロダクションの企画としてK. V. レッディに監督を依頼したところ、NTR がアシュラなど想像もできないと断られ、それでもやりたいと自分で監督までやった、という作品なのです。後半の主役となる若いラーマは、二役でやってもおかしくないとは思うのですが、もうヒーロー役は次の世代にという希望があってか、自ら若手俳優を起用しています。後の大スター、ショーバン・バーブはラーマの弟ラクシュマナとして初の大役です。
 『ジャイ・ラヴァ・クサ』のこのポスター画像は、「ラーヴァナーヌグラハ」というラーヴァナのエピソードを意識したものと思われます。ラーヴァナはもともと、ダシャーナナ、ダシャグリヴァ(10の頭)という名前で、シヴァ神とパールヴァティ女神の住むカイラーサ山への御目通しをナンディに断られたために、この山を持ちあげようとしたところ、シヴァ神が上から踏みつけたために悲鳴をあげたのに因み、シヴァ神によって「ラーヴァナ(叫び)」と名付けられた、というのがウッタラカンダの説明です。『シーターラーマカリャーナム』では、Sr. NTR の別撮りした10の頭の画像が特撮で並び、シヴァ神とパールヴァティ―女神が古典舞踊を踊り続けるカイラーサ山を揺らす、というシーンが有名です。この後さらにラーヴァナは、自ら腹を引き裂き、自分の体でヴィーナの弦を作ってシヴァ神への頌歌を奏でる、というシーンが続きます。
 Sr. NTR は、結局この後も、60歳までヒーロー役を演じ続けることになります。Jr. NTRもそろそろ曲り角の時期にさしかかっているのでしょう。祖父の轍を踏まないで新境地を切り開いて行ってくれることを祈っています。


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