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いのちの時間の使い方

僕が生きるのをやめたくないと思う日

今日は、友人たちが主催した3組合同の結婚式でライブ配信のお仕事でした。

そして夜は結婚式に出席していたわなびば(前に関わっていたイベントスペース)の仲間たちのお誘いでそこのオーナーとも再会して居酒屋でごはん。

わなびばでの日々を懐かしみ、その後のそれぞれの近況を共有し合い、懐かしむも新鮮な時間を過ごしました。

とても豊かな1日で、こういう時間があるから、
『僕は生きるのをやめたくない』
のだなと思いました。

それって相手の命にも自分の命にも失礼だろ。

でね、家に帰ってきてふと思ったことがあって。

『自分に嘘をついて生きることをやめよう』と。

ここ数年自分に素直に生きることをしているけれど、ふと改めて強く思ったの。

最近、自分が違和感を覚えている相手に、思い切ってそのことを伝えさせてもらう機会があって。

『自分がその人のために時間を使うなら、お金をもらわないと割りに合わない!!!』とすら思っている自分がいて。

もっというと、
『俺はあなたのために自分の時間やいのちを消耗してやってるんだから、それに見合う対価をよこせ!』と思っている自分がいて。

いやいやいやいや、
『ってことはそれって、自分の命にも相手の命にもとても失礼じゃない?』って思ったの。

『そのいのちの時間の使い方は本当に望んでいることなの?』って思ったの。

どちらかが、またはお互いが消耗してしまう関係に、僕は身を置きたくない。
望んでいない。

僕の命も、相手の命も限られているから。

僕は僕が紡ぐ関係性には、幸福であってほしいと願っているから。

僕はどうせ生きるなら、マイナスをゼロにしようとする選択ではなく、ゼロをプラスにする選択をしていきたいと思っている。

もしマイナスをゼロにする選択を選ばざるを得ないときにも、そこにゼロをプラスにする選択を上乗せしたり、混ぜたりしていきたい。

この感覚はあまり人に話したことがないから共感や理解を得られるのかはわからないけど、僕はここ数年、そういう感覚を片手間に置いていきている。

自分の人生を自己責任で生きる

6月に個人事業主として開業してから、
「嫌われるかも」とか、
「断ったら悪いよな」とか、
そんな自分がよく顔を出していて。

いつの間にかまた自分の心に嘘をつく生き方をしていて。

それまであった後ろ盾というか、言い訳みたいなものがなくなって、より自分の人生を自分の責任で生きる環境に身を置くようになって、僕は僕を守りの姿勢から解き放つことがなかなかできずにいて。

自由とは、自分の意思で生きること。

だからこそ、人生は輝きだすし、どんなドラマよりもドラマチックなストーリーになる。

僕はこの貨幣経済の中でもそんな自由を生きたくて、”個人事業主”という生き方を選択をしたはずなのに。

いのちの時間の使い方

きっとこれからも、その自由と責任の狭間で僕の心は揺れ動くだろう。

でも、それが僕の選んだ生き方だ。
人生だ。

それでいいじゃないか。

この限られたいのちの時間の使い方を、
悩みながらも
迷いながらも
自分自身で選び取っていく。

不器用でいい。
なんだかんだ、最後は笑っていたい。

やっぱり僕は、
そんな生き方をしていきたい。


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