翔び立つ剣(前編)

「どこもかしこも酷い有様だな…少し前までとは大違いだ」

暗くどんよりとした曇り空の下、建物の残骸の散らばる街中を歩きながらアイラは呟く。
昨日までは美しく人の活気で溢れていた街が一晩にして廃墟のような悲惨な状態になっている。

「一体どこの馬鹿なんだ!ユニウスセブンを地球に落とすなんてふざけた真似をしたのは!」

「口を動かしている暇があるなら手足を動かせ!まだ行方不明者が大勢いるんだぞ!」

「誰かモビルスーツを連れてきてくれ!この瓦礫が邪魔で通路が確保できない!」

街のあちこちから聞こえるザフト軍人たちの大声。
どれも必死で中には怒りの感情がこもっているのもある。それは無理のないことだろうとアイラは思ったし、その理由についてもわかっていた。
ユニウスセブンの破片の落下のせいだ。
ユニウスセブンは元々宇宙にあるコーディネイターの農業コロニーだった。
だが数年前『血のバレンタイン』と呼ばれる地球連合軍による核攻撃により住人は死亡し、ユニウスセブンは崩壊した。
そのユニウスセブンの一部が数日前地球へと降り注いだ。実際に落下したのは地球に接近していた破片の一部だったらしいが、それでも地球はどこも甚大な被害を被った。
コーディネイターとナチュラルの勢力圏に関わらず。
その原因がごく一部のコーディネイターの仕業と判明し、地球に住むナチュラルだけでなくコーディネイターで構成された軍のザフトからももうこの世にいない実行犯に怒りと憎しみを向ける者は決して少なくなかった。

アイラが所属している基地から最も近くにある街もユニウスセブン落下の被害を被り、軍が対応にあたっている。
今もアイラの近くではザフトのモビルスーツであるジンやザクが積み重なった瓦礫を撤去し、埋もれた被災者を探すための手助けをしている。

「せめて私にもあれくらいのことができていたら…」

アイラは元モビルスーツのパイロット。それもザフトのエースの象徴の赤服を着ていた程の技量を持っていたが、過去の戦闘で片腕にモビルスーツの操縦が困難になる程の傷を負ったせいで前線から離れ緑服に降格してしまっていた。
腕が満足に扱えていたらモビルスーツを操縦しての人命救助に混ざれるのにできない。
充分に貢献できていない自分に歯痒さを感じつつアイラは街にある唯一の病院へと向かった。

「エリー」

「アイラ…」

病院の中にはアイラの友人エリーがいた。出会ったのは数年程前で性格も大きく異なるものの、お互い良い友人として接してくれている。
衛生兵の彼女は病院での救助活動に勤しんでいる真っ最中だった。

「そっちの状況は?」

「酷いよ。皆傷付いてる。体だけじゃなくて心も…」

「…そうだろうな」

疲れ切った沈痛な面持ちのエリーの表情と彼女の衣服に付いた血からアイラは状況を察する。
さっきまで運ばれてきた怪我人の処置にあたっていたのだろう。
街中での惨状を考えれば病院の中も同じように悲惨な状態なのは中に入る前から想像が付いていた。怪我人の容体や精神状態はもちろん、看護する側の負担も。

「どうしてこんなことになっちゃったんだろう。街の人たちだって皆普通に暮らしてただけなのに。なんで…」

遠くの方から漏れ聞こえてきた怪我人の悲痛な叫びに顔を歪ませ声を震わせるエリーにアイラは言葉を上手く返せない。

「ここにいたのね二人とも!」

そんな重苦しい空気を女性の声が裂いた。二人が声の方角を見ると部隊を指揮する隊長格の象徴である白い服を着た女性、グレイスが駆け足で近付いて来た。

「グレイス隊長」

「二人とも交代の時間よ。今日はもう戻って休みましょう」

「でもまだ手当てが済んでない人が…」

「私もまだ確認しないといけないことが山ほど残ってますし」

「貴女たちは朝からずっと働きっぱなしでしょう。貴女たちだって休まないと。そのために交代の人がいるんだから」

その意見にはアイラもエリーも頷ける部分はあった。
言われた通り二人は作業を他の者に引き継いで、グレイスの運転する車で彼女たちが生活する宿舎に戻ることにした。

「止めてください隊長」

その途中海岸沿いで何かを見つけたエリーがグレイスに車を止めるよう求めた。

「どうしたのエリー?」

車を止めたグレイスとアイラはエリーの顔を見てそれからエリーの視線の先にある景色に視線を移す。
夕陽で橙に染まる海の砂浜に一つの人影と複数の小さな影があった。
小さな影は二匹の動物。エリーに懐いている猫のリオとアイラに懐いている狼のフィン。そしてフィンの体の上には機械の体を持った鳥トリィが留まっていた。

「相変わらずああしているのか」

だがアイラたちの関心は動物にではなく海を眺めている人影の方にあった。
グレイスはクラクションを鳴らすと車から降りて砂浜に向かって声を張り上げた。

「キラー!私たちこれから帰るところだけどよかったら乗ってくー?」

クラクションとグレイスの声に人影は反応して体を三人の方に向けた。
人影の少年の名前はキラ・ヤマト。彼もまたコーディネイターだ。

『ユニウスセブン落下の影響は未だに続いており世界各地で死者行方不明者共に増えているとの情報があがっております。今後ますます数は増えるものと予想されこの事態を受けてー』

「私たちコーディネイターへの風当たりはますます強くなるでしょうね」

世界各地の被害状況を報道するニュースの映像を見ながらグレイスは言った。

「無理もないでしょう。ユニウスセブンを落としたのがザフトのモビルスーツでそれを裏付ける証拠映像が出回ってしまっては」

「ほんの一部の者たちが独断でやったことで私たちは無関係でと主張し続けたところで納得してもらうのは厳しいわね。デュランダル議長も今回の一件で被災した地域の復興支援活動に尽力しているとはいってもついこの間の地球軍の核攻撃のせいで対抗措置を取らざるを得なくなってる」

「本当、嫌な世の中…今に始まったことでもないけど」

エリーは呟きつつ視線を向かいにいるキラに移す。
キラは会話に交わらずにスープにスプーンを漬けていた。けれどもスプーンが口元に運ばれる気配はない。
食事が始まってから手は動かしていても食べ物にはまだ一度も口を付けていない。

「で、そういう世の中で何かできないか考えたんだけど私から一つアイラとエリーに提案があるの。私たちで皆に歌を届けてみない?」

「う、歌ですか?」

「ほら、前から私言ってたでしょ?音楽隊を作りたいって」

「あれ本気だったんですか?また勢いに任せて言っただけかと思ってました」

「こんな世界だからこそ人の心を癒す歌の力が必要だと思うのよ。それになんて言ったってデュランダル議長からも活動の許可を頂いたんだから」

「デュランダル議長が認めたんですか!?」

「よく話通りましたね」

これにはアイラだけでなくエリーも度肝を抜いた。
現プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダル。
アイラたちの所属するザフト軍のトップに立つ存在でその彼が音楽隊の活動を認めたという事実は衝撃でしかなかった。

「提案自体は結構前からしていたんだけどそれがようやく通ったみたい。今のこの情勢だからこそ必要になるだろうし、音楽隊の活動が広まればラクス様の励みにもなるはずだから是非ともやってみて欲しいって」

「やってみて欲しい、ってそんな簡単に…」

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。同じコーディネイターのラクス様にできてアイラたちに出来ないなんてことはないはずよ」

「私たちとラクス様を一緒にされても困ります。そもそもあちらは元から歌手として活動をしていたのに対して私たちは何も積み重ねはないんですよ」

ラクス・クラインと並べられても困る、というより恐れ多いというのがアイラの本音だった。
前大戦以前からプラントの歌姫として国民に馴染み親しまれてきた彼女のカリスマ性と比較されても、自分の惨めさが余計に際立つだけだ。

「でも議長はそうは思ってないみたいよ。私たちに期待してくれてるのよ」

「議長は一体私たちのどこにそんな期待をしてるんですか」

「とりあえず今日基地の上官に話をしてみたら街で何曲か歌う機会を作らせて貰ったわ。デュランダル議長が後押ししてくれたのもあって向こうもすんなり認めてくれたの。日にちは今日から二週間後」

「二週間、また急な話を…」

正直な話アイラとしては断りたいところだった。人前で歌を歌うのは得意ではないし、ナチュラルとコーディネイターの間に燻っていた火種に再び火が付いた世界情勢を鑑みても他にすべきことがあるはず。
しかしそうは思っていても断れない状況になってしまっている上にこうなるとグレイスが引かないのはよく知っている。
やるしかない、とアイラは腹を括るしかなかった。


その日の夜、寝巻きに着替えたアイラは同じ寝室のエリーに聞いた。

「エリーは彼をどう思う?」

「彼って、キラのこと?」

「グレイス隊長に昔の知り合いと初めて会った時紹介されてからずっと気になっていたんだが、彼はどこか普通の人間とは違うように感じる」

「キラだってコーディネイターじゃないの?」

「いやそれはそうなんだろうが私が言いたいのはそういうことではなくてだな…その、普通の生活を送ってきた人の様子じゃないような気がするんだ。あんなにも悲しみを帯びた目をした人間は前線でも見たことがない」

「私も何となくそんな感じがしてた。私も昔に嫌なことはあったけどさ、きっと私なんかよりももっと辛い経験をしたんだと思う」

エリーはブルーコスモスの起こした暴動によって生まれ育った土地を追われ、可愛がっていた野良猫とも別れた。その猫が生きているかは今も確かめられていない。
アイラもパイロットだった頃は戦場でたくさんの人の生き死にを目の当たりにしてきた。
そんな彼女たちから見てもキラの様子は異質に見えた。


それから数時間後、一度眠りについたエリーはふと目が覚めた。
ベッドから体を起こしつつ目を擦る。周りを見ると当然まだ室内は暗くアイラはまだ眠っている。
アイラを起こさないようにそっと廊下に出てリビングに移動すると、窓越しに外に人がいるのが見えた。

「また今日も…」

明かりの付いていない薄暗い部屋でもその人物が誰なのかはすぐにわかった。
これまでも夜の遅い時間に今のように外に出ているのをエリーは何度か目撃したことがあるからだ。


冷たい夜風を肌に感じながらキラは夜空を見上げていた。暗い空には大小数多くの星が煌々と輝いている。
しかしキラの意識は風の冷たさにも星の輝きにも向けられてはいなかった。
彼の意識は自分の過去の記憶の中にあった。

敵対してしまった幼馴染を守るため、自分に攻撃してきた敵のパイロットを機体ごと両断し殺してしまった時のこと。
その仲間の仇討ちに燃える幼馴染によって、自分の力になりたいと戦闘機のパイロットに志願した心優しい友人が殺された時のこと。
自分が傷付けてしまい不幸なすれ違いを経て、戦場で再会した初恋の大切な人を守り切れずに失ってしまった時のこと。
彼女を殺め世界に絶望し、破滅に導こうとした人を否定し暴力で殺した時のこと。

自分が殺めてしまった人たち、守り切れなかった大切な人たちの最期は今も鮮明に思い出せる程記憶に残っている。
そして思い出す度に心が痛む。前大戦が終わって落ち着いた時間の中で過ごすようになってからはずっとこの繰り返しだ。

(なんで僕は…)

「こんな時間に外にいたら風邪ひいちゃうよ」

キラが沈んだ顔をしていたところに両手にマグカップを持ったエリーが近付いた。
声に反応して首を動かすとその時には彼女はもう隣に立っていた。

「はいホットココア。苦手じゃない、よね?」

「エレオノールさん…」

「エリーでいいよ。その代わり私もキラって呼んでいい?」

「うん…」

そう言ってエリーはキラにホットココアの入ったマグカップを差し出す。
キラは彼女の手からマグカップを受け取った。

「景色見るの好きなの?」

「えっ」

「いつも見てるから。そうなのかなって」

それはエリーがずっと聞きたかった問いかけだった。
ここで一緒に生活するようになってからキラは毎日朝も昼も夜も外の景色を眺めている。
その理由が気になって訊ねようと思ったことは何度もあったが、聞いてはいけないような雰囲気がして聞けなかった。
だが今なら聞けるような気がする。そう考えてエリーはついに実践した。

「好き、って言うのは違うかな」

「ならなんでずっと見てるの?」

「なんで僕はここにいるんだろうって…こんな風にここでずっと」

その先はキラは言えなかった。たくさん戦ってたくさん人を殺したのにそれでも守りたいと思った人たちを守り切れなかった。たくさんの犠牲の上に自分は今こうして生きている。
そんな自分が生きていいのか、生きていることに意味があるのか、などという疑問を何も知らないエリーの前で口にはできなかった。

「答えは出たの?」

『ここ』、その言葉が示す意味を考えながらエリーは質問を重ねる。

「…わからない。まだ何も」

「そっか」

一呼吸置いてエリーは口を開く。

「じゃあさ、答えがわかったらその時は教えてよ」

思いがけない言葉だったのか驚いたような顔でキラはエリーを見る。

「キラがどんな答えを出すのか私も知りたいから。だから少なくともその時まではここにいて欲しいなって私は思う」

「エレオノールさん…」

「エリー、さっき言ったばかりなのに」

「あっ、ごめんね」

「ふふ、いいよ。許してあげる」

ちょっとだけ悪い心が働いて不機嫌な顔を作って言ってみるとキラは狼狽えながら謝罪を口にした。
その態度にエリーは軽く笑う。何も謝る程のことでもないのに。
ただ今ので確信した。この人は優しい人だ。
口数は少ないしちゃんと面と向かって話をしたのもこれが初めてだけどもそれだけは間違いないと思えた。

「冷めちゃうよ。早く飲まないと」

「うん」

エリーに言われてキラはこの時ようやく初めてマグカップに口を付けた。
だいぶ熱かったのか苦戦しながらホットココアを飲み進めていくキラの横顔を、無言で見つめながらエリーもまた自分の手元のホットココアを飲んだ。

この人がどうしてこんな悲しい目をして心が泣いているように見えるのか。ここに来るまでに何があってそんな風になってしまったのか。エリーの疑問は深まった。

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