見出し画像

#20 こんなことがあった(船に一緒にのっていきたかった)

大阪南部の岬町から定期的に高速船が出ていた頃の話。

幼い頃、母に代わって私の世話をしてくれた伯母(母の姉)は、多少気ままなところはあるけれど、手先が器用でなんでもできて、また、イベントの仕切りを任されればしっかり仕切ることができるし、かつ、実家が「男尊女卑の長男教」ということもあって人前に出る時は男性を立てるポーズができたりして、要はすごい人だった。

そのように祖父母から仕込まれて育ってきた点については、「姉ばかりひいきされて、頼りにされて」と恨み言めいたことを母から聞かされて育ったが、娘時代の母は往診の先生が来ていた程度に体が弱い人だったので、「あんたは体が弱いから無理をせんでいい」と言われるのは仕方がないし、私の親になってからも何かあると「ねぇちゃん」と頼っていたので、なんともなぁと思っている。頼りにされたかったらそのようにしっかりすればいいじゃないか、大人になってもちょくちょく頼っておきながら自分が頼りにされなかったことを恨むのは矛盾している。それよりもそこに「私よりも姉が目をかけられてきた分、これぐらい私にして当然だ」というほの暗いものを感じて、兄弟姉妹って怖いなとも思う。

その伯母は女の子が好き、女の子にかわいい服を着せたり髪をアレンジするのが好きだったので、幼少期の私が妙にかわいい服や髪型をして写真に写っているのは伯母の手によるものだとすぐわかる。私の母は良くも悪くも「質実剛健」がモットーらしく、またおそらくは経済的な必要性もあって節約のために私の服を選ぶときは弟も使うことができるものが常に念頭にあった。そのため、かわいい服というのは伯母の目が届く場所を離れてからは社宅で融通しあっていたおさがり以外では着ることはなかった。社宅とはいえ集合住宅から出たあとは女の子っぽいおさがりをもらう機会がほぼなくなるが、そのあたりの服の話はまた思い出した時にまとめることにしたい。

その伯母に待望の娘が生まれてからは当然だが伯母の関心は自分の娘に集中する。もともと私は姪でしかなく、しかも私の父に気兼ねをしつつ(=妹の旦那さんの気を損ねないように、やりすぎないように)世話をしてくれていたのでそういう気兼ねがいらない自分の娘にかかりっきりになるのは当たり前だ。そのことについて「要らない子になった」という思いが全くないわけではないが、思っても仕方がないことは小学生でもわかっていた。

そして、従兄が所属していたボーイスカウト同様に従妹はガールスカウトに入団し、その世話役として伯母が全国を飛び回っているんじゃないかと思うぐらいに活躍し始めるようになるまでそれほど時間がかからなかったと思う。札幌→福岡から大阪に戻った頃には、伯母はガールスカウト業界においてかなり力を持つようになっていた。もともとなんでもこなす人だし奉仕の精神に満ち溢れている人なので、そうなるのは当然だと思う。年に数回会う伯母はいつも忙しそうだった。

そういう状況で、ある日いきなり伯母が従妹を連れてうちの家にやってきた。どういう経緯か忘れたが、そのまま私を連れて岬町、深日港まで一緒に行き、しばらくそのあたりで従妹と遊んでいた。伯母の行動で私がついていけない点はスケジュールを示さないまま巻き込むこと、全体像を先に話さないことで、それは今も変わらないが、その時もなんで私はここに連れてこられて従妹といるんだろう。一年に数回会うか会わないかという程度にしか知らないし年も離れている(小学生にとっては5歳差は大きい)ので共通の話題もないし困ったな、などと思っていたことはうっすらと覚えている。ちなみにその時の従妹はボーイッシュテイストながらもかわいい服と帽子を身に着けていて、さすがに伯母のセンスはいいなとも思っていた。

深日港まで母の車で行ったのか、伯母の車でいったのかは覚えていない。高速船ということから考えると母の車だろうか。

私からすれば不意に母と伯母が現れ、じゃあね、ということになった。
ここでようやく、何かの用事で伯母と従妹が高速船に乗って淡路島に行くのだと知った。私はその時まで高速船に乗ったことが無く、その船がやたらと素晴らしいものに見えて乗ってみたくなった。

多分それが顔にでていたのだと思う。

伯母は私に向かって「一緒に行く?」と誘った。一緒に行って、どこかで母に迎えに来てもらうか?と言った。

行きたいかと言われれば行きたかった。

ただ、その瞬間、母のめんどくさそうな顔を見てしまった。

母の用事を増やすことはしてはいけない。後で何をいわれるかわからない。それに、伯母と従妹の水入らずみたいな状態の邪魔をするのも罪深い気がした。

だから、「行きたい」とは言えなかった。「いやいや急に言われても、予定があるんで」ぐらいのことしか言えなかった。特に予定はなかったけれど。

そうして、伯母と従妹が乗った高速船を見送って、母と家に戻った。

ほんとは、船に乗って行ってしまいたかった。

その時の夕暮れ前の明るく綺麗でまぶしい海をまだ覚えている。