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#18 こんなことがあった(激昂する男の人が苦手)

先日、愛知県の小学校の先生が5年生の男の子の顔を平手打ちする体罰を加えたとする報道があった。

教育委員会が事実を隠蔽せずに体罰として認定したことは評価したい。ただし、同じ年ごろの子どもを持つ者としては、被害児童が担任に耳の不調を訴えたにも関わらず保健室に連れて行って診てもらうことを指示せずに保冷剤を渡しただけで帰宅させたという話を聞いて胸が苦しくなった。

子どもの話を聞いた保護者が医療機関に連れて行って医学的に被害を確認できていなければ、もしかしたら平手打ち行為自体「無かったこと」にされなかっただろうかとか、不調を訴えてもとりあってもらえなかったことなどから担任教員も加害教員同様に信用できなくなりはしないかなどと、自分がその場に居合わせたのではないけれども、一人反省大会みたいなもののスイッチが入ってしまって気が滅入っている。

それと同時に、加害男性教員の「自分の感情を抑えられず」に非常に既視感があって、それもまた気を滅入らせる原因となっている。

仕事面ではキャリアを重ねている方なので、会の司会を務めることがある。
そのような会議の場で、昨年は二度ほど激昂する男性メンバーの感情のはけ口にされたり、あるいは別の人が攻撃されているのを止めようとしてターゲットが私に切り替わる被害に遭った。そこの傍観している人、ちょっとくらい助っ人に入ってくれませんかね、とか、感情的になる男性のターゲット設定された分の手当てを出せ、などと内心で毒づきながら対応した。

いわゆる「機能不全家族」育ちで幼少期から調停役として、常にアンテナをはって親や弟の状況を把握し、空気を読み、一触即発となる手前でどうにかその危機を回避するために働きかけたり、相手が感情的になった時にはこちらの感情を殺して相手の感情の嵐が通り過ぎるのを待つ、そういったこと何度も経験して大人になっているので、そういう感情的になる人に耐性がある方だ。

たいていの仕事上のトラブルは、成育過程における親とのやりとりと比べればまだまだ大丈夫という感じだ。

基本的に危ない場所への警戒心が強いし、空気が悪くなりすぎる前にどうにかその場を収める方向で上手く立ち振る舞うことがある程度はできる。ただし、気力が消耗するしメンドクサイので基本的に回避できるものは回避する。感情コントロールができない困った大人に付き合わなければならない義理なんて感じない。

また、たとえ回避できない場合でも、運が良いことに感情的に攻撃されると頭が真っ白になって体が固まってしまうという「蛇ににらまれた蛙」状態になるのではなくて、相手が感情的になればなるほど「この人馬鹿じゃない? 恥ずかしいと思わないのか?」と、どんどん醒めて、頭が冷えていくタイプだ。そのせいで子どもの頃は「あんた、その目なに」とさらに母の怒りに燃料を与えてしまったことが度々ある。その経験から多少は相手の内心の希望を踏まえて「誠に申し訳ありません」という雰囲気を漂わせることや「私も困りました」という表情を作ることもできる。

ともあれ、自分が攻撃のターゲットとなってしまった場合であっても、感情の嵐が過ぎ去って疲れが見えた相手がようやく自分の発言などが恥ずかしくなって自己弁解を始めるまで、相手の怒りを焚きつけない程度に淡々とお話をうかがってさしあげるぐらいのことはできるし、相手が自己弁解を始めればそれこそ慈母のほほ笑みを浮かべて言い訳を聞き、心にもない慰めを言うこともできる。

内心は、「わたしはあなたの感情のサンドバッグじゃないんだぞ。他人に甘えんじゃねぇ。」である。

「いやー、自分がこれまで頑張ってきたことなんでちょっとエキサイトしちゃって」とか、「大事なことなので大人げなく強く言い過ぎたかもしれないけれど」とか、いろいろ言い訳してくれるけれど、仕事関連のトラブルで感情をコントロールできない人は仕事はできない人だろうから私はその人の仕事ができないことのとばっちりを受けることは断固拒否するし、気持ちが昂ろうが(あるいはハラスメントでありがちなお酒が入ろうが)口に出したことはその人の真意であるとかお人柄がしっかり出ているものとして今後のリスク対応および仕事の割り振りや交流の参考にしてもらうことは言うまでもない。

女性も激昂して暴言を吐いたりすることはあるとは思うけれども、私がそういう感情をコントロールできずに周囲に当たり散らしているのを見たり、私が巻き込まれたりするのは今のところ9割9分男性だ。

「女性は感情的だから」と言う男性がいるような気がするが、仕事に関しては男性の方が感情的で、しかも激昂することは男性が圧倒的に多いと思う。多少自分に非があった場合であっても大声で言い負かすことで×を〇にすることを狙っているのかと思うような場面にも遭遇している。男女でどうこうというのは不毛な話かもしれないのでここで止めるとしても、少なくとも男性は自分が感情を抑制できずに激昂する時の加害性については知っておいて欲しいとは思う。「ちょっと」ではなく「著しく」相手に恐怖を与えることが多いからだ。海外で著しく大声で、かつ感情的に主張する行為が暴力として認定されるのは妥当だと思う。

そして、子どもがみんな天使ということはないし、小憎らしい子どもも勿論いることは子育てをする身なので重々理解しているけれど、やはり大人が子とも相手に感情をコントロールできなかった、しかも仕事場で感情を抑制できずに手をだすようなことをした、そういうのはどう弁解しても被害者側に理解してもらえなくて当然だと思わなければならないと思う。

40代は、家でも学校でもまだ手が出る時代に学校生活を送ったかもしれないけれど、それでも子どもから見たら巨人の大人が感情を抑えきれずに自分の仕事対象である児童に手を上げたというのは取り返しがつかないことである。

50代の自分自身、親から手をあげられたことは多数、学校では上手くとりつくろっていたとはいえ暴力的な現場は目にしてきている世代なので、自分の子をはじめとする子どもや若い世代に自分が受けたことは絶対にしてはいけないのだと常々自分に言い聞かせているだけに、その意味でもあのニュースがしんどい。