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#16 こんなことがあった(転勤族の妻は大変)

父の父も郵便局員のあがりとなる局長時代は数年毎に転勤があったそうだが、父自身も数年毎に転勤があった。

たとえば北海道から福岡、福岡から大阪、大阪から沖縄と、国内とはいえかなり幅広い転勤だった、私が中学校進学の際に中高一貫校の受験に合格してしまうまで、つまりは小学校までは父の転勤にともなって引っ越すことを繰り返していた。

転勤族の子どももそれなりに大変だったが、それはまた別の機会にまとめるとして、転勤族の妻、これも大変で、早く廃れて欲しいと心底願っている。

母の場合、結婚までは豊中の実家暮らしで引っ越し経験はない。

結婚してしばらくは実家の豊中に近い蛍池に住んでいて、寿退社だったので暇な昼間は頻繁に実家に行っていたらしい。私が生まれてからも「体の弱いひとだから」と母を気遣って実家の祖母や伯母が私の世話をしてくれていたらしい。要は結婚して、子どもが生まれてもまだ娘気分のままでいられた時期だったということだ。別居はしているけれどサザエさんみたいなものをつい連想してしまう。

ところが弟が生まれてしばらくした頃、父の札幌への転勤が決まり、弟の首が座るのを待って母と子どもたちは札幌へ引っ越した。

社宅への引っ越しに際しては細かなマナーみたいなものがあったらしいが、実家暮らしが長く気働きは祖母と伯母任せだった母はそのあたりのマナーには鈍感だった。そして父も同様だった。

引っ越し当日に社宅の挨拶周りに行こうとした母に対して、「そんなのは落ち着いてからでいい」と父が言ってしまったらしい。そして母はその父の言葉を信じてしまったらしい。

当日に挨拶に行かなかったこと、社宅でも夫の職位が上という理由だけでボス格であるその妻に直ちに挨拶に行かなかったことで、初めて社宅に引っ越した当初はかなりひどい仲間外れにあったらしい。夫の地位=自分の地位と思ってしまうこともちゃんちゃらおかしいが、家臣の妻は上役の妻の下へ馳せ参ずべしみたいなルールもゴミ箱に捨ててしまいたい。父は仕事があるので社宅のいざこざには巻き込まれないですむが、軽率だったとはいえそれに巻き込まれた母はたまったものではなかったと思う。

また、これは私がやらかしてしまったのだが、子どもが生意気な場合も社宅でバッシングに遭う。社宅の子どもは社宅の外の子どもたちからすれば余所者なので、どうしても社宅内で集まって遊ぶ傾向があった。その中で年上の女の子が「私の方が年が上なんだから、私は偉いの。」と言った時に、私が「どうして年が上というだけで偉いと言うの、どうして偉いといえるの、どうして。どういうところが。」と素で言ってしまったらしい。その女の子は父よりも職位が上の人だったこともあって、私の生意気な発言がその女の子→その母親であって夫の地位=自分の地位を思っている人に伝わってしまい、母が呼び出されて嫌味(「どういう子どもの躾をしているんだ」的な)を言われたそうだ。今でも年配ということだけをもって偉そうにする人は嫌いだし、自分もただ単に年長者であるだけで偉いとは決して思うまいと思っているので、その女の子の発言には全く納得していないが、私のせいで母に被害が及んだことはすまないと思っている。

そして、転勤族の妻は夫の転勤に家族もろとも付き従うものなので専業主婦であるべきという圧力みたいなものがかかっていたし、実際に数年単位で引っ越してしまうので妻側が自分のキャリアを積むことはできない。

勿論、1970年~2000年あたりまでは大黒柱の父、子どもが二人、それを支える専業主婦が会社員世帯の場合は「ふつう」というイメージが強かった上、それに抗ってまで仕事を続ける女性はそんなに多くはないし、仕事にしがみつく女性は医師などのエリートを除いてはシングルマザーなどの訳ありではないかと勘繰られるような、みんなで夫や子ども持ちの女性の足を引っ張るような時代だったので、今から見ればいびつで気持ちが悪いが「それが女性の幸せ」とみんなで思い込んでしまおうとした時代であることは知っている。

それでも、夫の赴任地に付き従って、その時々の場所で一時的な人間関係を形成して、リセットしてまた形成するということを繰り返すことは根無し草生活なので寂しいと思う。夫の方は職場は変わるとはいえ同じ会社で着々とキャリアアップしていくので、その犠牲となる妻子はたまったものではないと思う。

さらに社宅は相互監視体制みたいなところがあるし、子どもの年齢がある程度揃ってしまっていることが多い。前者に関連しては転勤族の妻がパートなどの仕事をすることへの足の引っ張り合いみたいなものがあったし、たとえば幼稚園へ子どもを見送った後にその場でご機嫌伺や情報交換会が始まり、極端な場合は子どもが帰ってくるまでえんえんその井戸端会議に付き合わされるということがあった。また、後者に関連しては夫の地位に基づく社宅のピラミッドとある程度学業が左右する学校でのピラミッドが合致していないと社宅内で和を乱した家族が仲間外れに遭った。

転勤族の妻のメリットも頑張って考えればあるかもしれない。例えば一か所に生まれ育った人には行きづらい場所でも転勤先になれば行くことができる、数年毎に人間関係のリセットもしくはシャッフルが行われるので、気が合わない人とは数年でさよならができるし、気が合った人とは離れ離れになった後でも交流が続き旅行先に選ぶことができる、住居は保障されているし引っ越し手続きも当時は会社から手当などが出たため引っ越し費用を気にせず「お任せパック」を利用することができる、子どもの服のおさがり交換ができる、子どもの幼稚園や学校で知人をあえてつくらなくても社宅に同じ幼稚園や学校に通わせている人がいることが殆どなので情報収集面ではあまり苦労しない……などが考えられる。

ただしそれでも、自分が生まれ育った環境に上乗せするような日常生活を送ることができない分の負荷と、社宅というかごの鳥生活のストレスはたまったものではない。狭い社宅の中で波風を立てないように、ボス格の奥様方の機嫌を損ねないように、他のところと違ったことをしないように、何かしら社宅でミスをして夫の評判を落とすようなことがないように、そういったことを気にしながら生活することはつらい。

メリットが全くないわけではないにせよ、それでもやはり、「よそはよそ、うちはうち」ということができないこと、社宅内の同調圧力の強さと夫の職位を気にして生活しなければならないこと、さらには数年ごとに環境が強制的にリセットされてしまうなど、転勤族、転勤族の妻は大変だと思う。

既に共働き世帯が半数以上となっている今、妻のキャリアや人生を無視するような転勤は絶滅して欲しいと心底願っている。