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#43 こんなことがあった(ビエネッタ)

ビエネッタはアイスクリームの一種で、チョコのバリバリ感が良い感じのバニラアイスだと思う。思うというのは、アイスよりもアイスケーキのような気もするからだ。

この製品はロングセラーと言っても良いと思う。私の子ども時代にはすでにCMで見かけた記憶がある。そしてこれはそのCMに関しての話。

一家にテレビは一台という時代では、テレビのチャンネル選択権は家父長である父にあった。その次が弟で、私と母はテレビに映っているのでそれを見ているという程度で、特定の番組を絶対に見たいというようなことはなかったような気がする。私がテレビドラマについて理解したのは大学進学後で、その際に、トレンディドラマというものがあること、1クール3ケ月ぐらいでドラマが入れ替わることなどを知った。自分が知らないことがあまりにも多いことを知ることができた大学時代は、周囲とのズレを認識しながら周囲に合わせることが大変だったり、知らないことを突貫工事風に知っていかなければならなかったりしたので辛いことが多かったが、それでもその段階で何か自分の家がズレていることを知ることができたことは良かったと思う。

なお、自分の好みのテレビ番組を特に持つこともなく育った結果、テレビドラマの放送を心待ちにするということは無い。また、朝の連続テレビ小説は存在は知っていたが、細切れの番組を毎日のように見て楽しむということは実は今でもよくわからなかったりする。職場などの雑談で必要な時もあるのでとりあえずストーリーだけは知っておいた方が良いか、という程度の付き合いだったりする。もう少しテレビっ子になってみたかった様な気はする。

逆にテレビっ子みたいな父の場合は、当時は野球は巨人ファンだったが、その巨人の試合がテレビで放送される時、ラグビーやゴルフ、サッカーといったようにスポーツ番組がメイン、その他ニュースや2時間のサスペンスものなどを楽しんでいた。テレビ>>>>>家族 という父と暮らしていると、テレビ関係では特に頭に血が上りやすいみたいで、何かあった時に問答無用でぶたれることもあった。そういうことがあるとテレビはさらに嫌いになる。若者のテレビ離れを嘆く声もあるが、私は昔からテレビとの距離は遠い。

それはともかく、父が楽しむテレビ番組の中で、週末で野球放送が無い夜に見ていたクイズ番組(クイズダービーだと思うがうろ覚え)で流れるCMにビエネッタがあった、お皿の上の白がベースの色合いは洒落ていて、また、チョコレートのパリパリ感を表現した音が本当に美味しそうだった。ただ、かなりお洒落に見えたので、自分には縁のないものなのだろうなと思った。食事やお菓子は十分与えられていたとは思うが、高くてお洒落なものは贅沢品なので買ってもらえることはないことを知っていた。でも美味しそうだった。

そのCMを見ると父は、「うまそうだな、買ってこい。」と言った。一度程度なら聞き流すが、そういうものではなく、CMを見る度に、毎週のように言うのであった。

「うまそうだな。今度買って帰るから食べようか。」ではなく、「買ってこい」である。何だか召使いに言っているような物言いがとても寂しかった。

また、そもそもそのお洒落なアイスが近所で売られているかどうかもわからなかった。アイスが冷凍庫に常備されているような家でもなかったので、そもそもそんな贅沢なアイスを買ってもいいのか、という感じだった。そして、食事後の家事をしている母は父のその言葉を聞いても何もなかったように聞き流すと言う感じで、ここで私が「これ食べたい」とは絶対に言えない状況だった。

そんな感じで、毎週の様に「ビエネッタ買って来い」という父の言葉が空回り、そのたびに「ビエネッタを食べてみたいな」と思い、しかし口には出せないままだった。

食についてはそこそこ情熱がある方だが、20代、30代とビエネッタを買って食べる機会がない状態が続き、そして子どもの妊娠をきっかけに利用し始めた生協のカタログで見つけて40代になってビエネッタを買い求めてみた。

到着したビエネッタは概ね私が記憶していた通りで、やはりお洒落な印象を受けた。ナイフで切り分ける時のチョコレートのパリパリ感はCMを見て思っていた通りだった。味もバニラでくどくない甘さで良かった。子どもも気に入って、甘いものはあまり食べない私が一切れ食べている間に、それ以外を全て食べつくしてしまったほどだった。子どもは正直なので美味しいと思ったものは場合によっては行儀が悪いことに親のお皿にあるものでも欲しがったりするところがあるので、食べっぷりから判断してビエネッタは本当に美味しかったのだろう。

そして、そういう光景を見るとやはり思ってしまうのだ。なぜ、父は美味しそうだと思いながらも自分で買って家族と分け合って楽しむことを考えなかったのか、と。そういう意味で、とても申し訳ないが、ビエネッタに対する思いは揺れ動き続けるのであった。