テコンドーの、この漫画が凄い!BEST3 ver 2021
こんにちは!テコンドーです!!!
2021年もそろそろ終わるので、今年に読んで最高だった漫画を3つランキング形式で紹介していきます。
紹介のルールとしては
発行年は2021年でなくても良い
読んだ年が2021年であればOK
評価ポイントは面白い、面白くないも当然重要だが、
自分の人生に対する影響度合いなども加味される
ものとなっています。
ちなみに去年のランキングは書いていないですが、
「チェンソーマン」がぶっちぎりでした。
チェンソーマン最高ですよね。。。
そんなチェンソーマンを超える漫画はあったのか?
それを今回ご紹介できれば幸いです。
では、発表の方に移っていきます!
第三位
第三位は、「僕とロボコ」です!!!
三話まで無料で読めます。
週刊少年ジャンプで連載中の漫画になります。
こんな子供向けの漫画が三位!?
そう思われた方も多いのではないでしょうか?
この「僕とロボコ」という漫画、絵柄で非常に損をしていると思っています。同じ年代で読んでる人に会ったことがないです笑。もっと多くの人間が「僕とロボコ」を読んでくれるように、その魅力を存分に伝えていきます。
概要
一言でいうと、「ドラえもん」オマージュのギャグ漫画です。
世界観としては、ドラえもんの世界のように、一家に一台OM(オーダーメイド)というロボットが家政婦として利用されているようなものになります。
物語は、ジャンプが大好きな少年ボンド(のび太くん)の家に、ロボコ(ドラえもん)というOMが届く、というところから始まります。ロボコのボケにボンドが突っ込むという形を主軸として、ガチゴリラ(ジャイアン)や、モツオ(スネ夫)などのキャラクターとの日常が、作中では描かれています。
ホントにこれだけ、パロディ色が強い、一話完結のギャグ漫画です。
対象読者年齢は20代!?
絵柄だけを見ると、この漫画はターゲットとしている読者の年齢層が低いように見受けられます。ドラえもん、キテレツ大百科のオマージュであり、幼稚なギャグも多いので、そう捉えられがちです。
しかし、この漫画の真のターゲット層は、実は小中学生ではなく、大学生、若手社会人ではないかと考えています。もう少し詳しく書くと、
「小中高生時代にめちゃめちゃジャンプ読んでた大学生、若手社会人」です。
なぜなら、この漫画に散りばめられているジャンプパロディが、
昔のジャンプを読んでないと認知出来ないものが多いからです。
例を挙げて説明するため、第三話のあるシーンを抜粋します。
第三話では、ロボコが主人公であるボンドとヒロインである円ちゃんに占いをしてあげるシーンがあります。そこでの占い結果として「よさく」と書かれた紙を出してきます。
ヨサクってなに!?とボンドが突っ込むわけですが、読者もなんのことやらわかりません。これは、恐らくONE PIECEの超序盤に出てくる、ゾロの弟分の一人である、ヨサクのことを指しています。ヨサクには、相棒といえるジョニーという仲間がおり、その関係性のことを指しているのでしょう。ロボコの占い結果は、ヨサクとジョニーの関係性を知っていないと真に笑うことは出来ないようになっています。
当然、知っていなくても一つのボケとして成立するようになっていますが、パロディ元を知っていれば面白さが倍増することは間違いありません。このように、「僕とロボコ」では、これまでのジャンプ作品について知っていることで、面白さが何倍にもなる仕掛けが非常に散りばめられています。
To LOVEる、HUNTER×HUNTER、SLAM DUNKなど、これまでジャンプを読んできた者ならわかる面白さが詰め込まれています。
これはどういう元ネタなのだろうか。。。そういう観点で読んでみるのも面白い読み方のひとつなのかもしれません。
自分にできる方法で、価値を提供するということ
前の章では、パロディに関して述べました。
しかし、パロディがうまいくらいでは、凄いランキングには入りません。
「僕とロボコ」最大の魅力というのは、漫画というものを単行本単位で捉えるのではなく、雑誌に連載している連載漫画として捉えた時に発揮するものになります。
今のジャンプが、どれだけ「僕とロボコ」に支えられているのか、それを考えた時に、「僕とロボコ」に深い感謝をしなければならないと考えていました。それが今回選出した大きな理由になります。
週刊少年ジャンプという日本最強の漫画雑誌で連載を続けるということの難しさは、「バクマン。」を読んだことのある方であれば容易に想像がつくかと思います。
そして、「僕とロボコ」は、その作品にしかできない価値の出し方で、過酷な環境を生き抜いている作品なのです。それが本当に素晴らしい。
感動しているポイントはいくつかあるのですが、いくつか例を出します。
一話完結を貫く
ギャグ漫画というのは、毎週ネタを考えるのがすごく大変だそうです。毎週なのでそれは本当にそうだと思います。。。そういう事情や、人気などを考慮して、最初はギャグ漫画として始まった作品でも、後からテコ入れが入り、バトル漫画になったり、途中でシリアス展開を挟んだりします。
「家庭教師ヒットマンREBORN! 」などはバトル展開に移行することで成功した部類になります。「銀魂」もシリアス展開を挟むことで、物語に厚みが出ました。なので、テコ入れが悪いわけではないです。
しかし、それをすることで、「一話完結」でなくなってしまう。
これが読者にとっては非常に大きな痛手になります。
読んでもいいし、読まなくても良い。そんな手軽さが本当に渋く効いてきます。ジャンプというのは、いつも落ち着いて読めるわけではありません。
食堂に雑においてあるジャンプを読む場合、料理が来るまでに読まなくてはならないので、必要なものだけを効率的に読む必要があります。そんなとき、「僕とロボコ」なら迷わずスルーすることが出来ます。それが嬉しい。
一話開けていても、変わらず同じ価値を提供してくれるというのは、先週を読んでいるという条件を必要としないので、
ジャンプの面白さの下振れを抑制してくれる機能があります。
物語ベースの話は、どうしてもシナリオによって、面白さにブレがでます。導入部分で盛り上げることは出来ません。そんなとき、「僕とロボコ」は渋くジャンプの価値を支え続けてくれています。
常に新しい取り組みにチャレンジし続ける
また、もう一つの素晴らしいところとして、
常に新しい取り組みにチャレンジし続けています。
一つの例としては、ジャンプが1週間休みになってしまう「合併号」という特別なジャンプの場合に、物語が「合併号」仕様になることなどが挙げられます。
ある時の合併号の「僕とロボコ」では、現実世界の読者の状況とリンクし、ジャンプを1週間読めなくなった主人公ボンドがポンコツになってしまう様が描かれています。
これは、1週間ジャンプが読めなくなった読者と通ずるものがあります。本当にこの話はよくできていて、腹抱えて笑いました。HUNTER×HUNTERのパロ多めなので、読んでないとですが。
現実世界の週刊誌特有の読者条件を物語の設定として取り入れ、それを活かして話を作る。こういうメタ的なことをするためには、日頃の細かい部分でしっかりとその世界観を意識させていないとグダグダになります。
また、他の作品とのパロディも作者自身が積極的に行っています。
単行本発売記念として、「呪術廻戦」のEDのパロディを制作し、
youtubeで公開するなどの取り組みを行っています。
これが本家の方。
これがロボコの方。サムネが一致しているのが芸が細かいですね。
これの何が凄いって、全部作者である宮崎周平先生が書かれていることなんです。週刊連載してるのに、、、本当に宮崎先生には頭があがりません。むちゃくちゃ面白いので是非両方見てみて下さい。
ここまで見てきましたが、「僕とロボコ」は、あの手この手で読者に笑いを届けようとしてくれています。
はっきり言って、「僕とロボコ」が後世にまで語りづがれることは無いと思っています。パロネタは水物だし、風化が激しい。そして、「僕とロボコ」目当てにジャンプを読む人もまたほとんどいないと思っています。
真っ先に読む漫画は当然、「続きが気になる漫画」なのです。ONE PIECEの戦いの結末や、呪術廻戦の衝撃的なラストの続きを読むために読者はジャンプを手に取ります。「一話完結」の手軽さは、物語の起伏の乏しさに直結し、人の意識に残りづらくなります。
しかし、それでもなお自分のスタイルを貫き、「僕とロボコ」は依然として週刊少年ジャンプにおいて影響力を発揮し続けています。
全ての漫画がONE PIECEを目指さなくても良い、自分だけのやり方で、読者に価値を届ければいいんだ。そんな深いメッセージを僕は「僕とロボコ」から感じています。
「僕とロボコ」は、一話完結の岬として、どんな時も一定のパフォーマンスを提供し続けてくれています。呪術廻戦とONE PIECEが休載で、他の漫画もなんかパッとしないときなど、どれだけロボコに救われたかわかりません。本当に「僕とロボコ」は素晴らしい。
単行本で読んでくれとは言いません。是非ジャンプを読むことがあれば、
一緒に「僕とロボコ」を読んでみて下さい。その価値に気づくはずです。
第二位
二位は、「撃滅のジェノサイドギグ」です!!!
↑こちらから読めます、無料です。
撃滅のジェノサイドギグは、読み切り作品なので、ページ数にすると90ページほどしかないのですが、僕に与えた衝撃があまりにも大きく、見事二位にランクインしました!!!
ジャンプルーキー!という、プロを目指す漫画家さんたちが作品を投稿できるサイトがあり、そこで、毎月行われている表彰が月間ルーキー章になります。
「撃滅のジェノサイドギグ」は、そこで銀賞を取ったため、ジャンプ+というWeb漫画サイトに載ることになっており、そこで僕は作品を読みました。
僕は元々、ジャンプ+に掲載される読み切り作品の中で、特に気に入ったものにお気に入りボタンを付け、愛でるのが趣味でした。ただ、「撃滅のジェノサイドギグ」を読んでからというもの、全てのお気に入り作品のお気に入りボタンを外さなければならないほど、脳みそが揺さぶられました。。。
たった90ページ弱の漫画で、ここまで衝撃を受けるのか、、、と。。。
これまでいろいろな読み切り作品を読んできましたが、本当に次元が違うなと思いました。一気に読んでから、もう一回ゆっくり読み直しました。
それでは、この作品がどんな作品なのかを説明していきます。
概要
一言で言うと、「高校生が文化祭でジャズを演奏する」漫画です。
雰囲気的には、漫画で例えると、「BLUE GIANT」+「チェンソーマン」みたいな感じです。
タイトルの意味から考えても、
撃滅 → うちほろぼすこと(コトバンクより)
ジェノサイド → 国家あるいは民族・人種集団を計画的に破壊すること(wikipediaより)
ギグ → ジャズ・ロックミュージシャンなどが一晩限りの契約でライブ演奏に参加すること。(デジタル大辞泉より)
なので、ジャズでぐっちゃぐっちゃにしてやるぜ!!!
という漫画になります。
登場人物は以下のようになっています。
メインの構成人物は主人公であるピアニストの藤原重音(以下重音)と、同じクラスのサックス奏者の赤井の二人になります。
サブキャラとして、世界的なクラシックピアニストである重音の父親の恭平と、重音と一緒に文化祭で演奏するクラスの人達です。
重音が別の学校から転向してくるところから物語は始まります。
重音は、世界的ピアニストの娘であるのにも関わらず、ピアノの才能が無いことをコンプレックスに感じています。自分の価値を見出すことが出来ず、自分を受け入れてくれる存在に迎合してしまう性格です。ただ、その自分の情けなさにも無意識的に気づいているが、あえて見ないようにしています。
そこで、もうひとりの主人公とも言える赤井と出会います。
赤井は、傍若無人な性格で、絶対に他者に迎合せず、世界的ピアニストの娘である重音に向かっても自分の音楽論が絶対だとして自分の意見をぶつけます。
そんな水と油のような性格の二人が出会うことで、物語は進んでいきます。
こんなきつい言葉を浴びたり、セッションを通して自分たちの気持ちをぶつけ合いながら、とうとうピアニストとして登場する予定だった文化祭が始まって。。。という話です。
概要はお話したので、ここからは、
何がそんなに凄いのかについて語ります
決めゴマの破壊力
絵がうまいとか、下手とかは、全然わからないのですが、
全体的に見るとそんなにうまい方ではないと思います。
音がなっていることを示すために集中線を使っていたりするのですが、これはどういうことだ?何を表現している?と初見では思うところもあるかもしれません。
でも、決めゴマの破壊力は異常です。撃滅されます。
首がめちゃめちゃ細くておかしいコマとか普通にあるのに、キャラの表情がめちゃめちゃ繊細で、感情がめっちゃ伝わってくるんです。。。
うまいこと顔を髪で隠して表情は見えないんだけど、ああ、作り笑いなんだな、自分の感情を押し殺してるんだな、とか、めっちゃ伝わってくるんです。。。
そして、物語の最後は演奏シーンになるのですが、ここはもう半端じゃないです。才能とセンスのオンパレードです。キャラの表情、動き、観客、会場、全てを活用して撃滅のジェノサイドギグを表現しています。確実に撃滅されるはずです。
(注)必ず縦画面で読んで下さい。アプリ漫画よろしく、縦画面で最適化されているため、見開きコマというものがありません。なので、決めゴマは縦画面なので、横画面で見てしまうとページ半分になってしまい破壊力が落ちます。
セリフもキレッキレ
描写も最高なんですが、セリフもキレッキレなんですよ。。。
演奏が終わり、自分の気持ちに対して向き合い答えを見つけた重音が、
と言い、赤井が
と続けるのですが、この後なんて言ったと思いますか???
僕はあとに続くセリフを読んだ時に、
あぁ、作者は天才だ。と思いました。
凡人にはあのセリフはひねり出せないはずです。
漫画でこのセリフを言うのか、みたいな。
実際に重音が何て返したのかは、
是非漫画を読んで確かめてみて下さい!!!
殺す、押し殺す
もうただの感想ですが、シナリオも最高です。
重音は、「世界的ピアニストの娘」としての記号的な自分に対するプレッシャーに悩み、自分を表現することが出来ずにいました。本来の自分を押し殺しながら、生活してきていたのです。
作中において、重音は自分の悩みを吐露します。自分をごまかしていることは分かっているが、なかなか一歩踏み出すことが出来ないままでいました。
そんな中で、音楽に対する興味だけはどうしても捨てることが出来ません。
父親と比べられてしまうことが分かっているピアノ、いっそピアノを辞めてしまえば、比較されることもなくなり、平穏な人生を送ることができるかもしれません。しかし、重音はどうしても音楽を捨てることが出来ないでいました。自分の奥底にある、自分自身の中にある音楽と向き合いたい気持ちが重音の中にあったのです。最後、その感情をぶつけ、重音はピアノの前に立ちます。自分の音楽で観客を塗りつぶしていく様は、まじで震えます。
前にも述べましたが、感情の表現力が凄く、もうめちゃめちゃ苦しんでいること、自分の全部をさらけ出して行きたい気持ちなどが、本当に痛切に感じられます。もうホント読んでみて下さい。。。
読んだ後の楽しみ方
撃滅のジェノサイドギグを読んで度肝を抜かれた方は、
作者のTwitterもチェックすると良いかもしれません。
フセキという方が作者になります。フセキ先生です。
何が凄いって、まだフォロワー数がたったの1500人程度なんです。
フセキ先生はいつか必ず連載を獲得し、人気漫画家になると信じているので、このフォロワー数は少なすぎます。今からフォローすれば、確実に後ででかい顔できるようになるはずです。。。
あと、質問箱を公開しているのですが、返信が来ます!!!
1500人程度だからですね。
ちなみの僕の投稿。
トマトが嫌いだが頑張って食べているという重要な情報をGetできました。
撃滅のジェノサイドギグ、読みたくなりましたか???
ジャンプ+でほぼ永久的に読めるので、みなさんも是非ブックマークして、定期的に読んでいきましょう!!!
第一位
一位は、押見修造先生が書かれた、
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」です!!!
たった一巻だけの漫画なのですが、僕に与えた衝撃があまりに大きく、
見事一位になりました。まさにバイブルというやつです。
前はkindle unlimitedで読めたのですが、
今は無料期間が終わっているようですね。
本書は、連載されていたものを書籍化したものになり、
2011年12月21日から2012年10月17日の期間で連載が行われていました。
本書は実写で映画化もされています。PrimeVideoで見れたと思いますが、
漫画で一巻しかないものを間延びさせた印象があり、個人の感想ですが
あんまりおもしろくありませんでした。
押見修造先生といえば、「悪の華」が有名ですね。
悪の華でいうと、
5巻 2012年1月6日初版発行
6巻 2012年6月8日初版発行
7巻 012年12月7日初版発行
(wikipediaより引用)
のあたりであり、本書は、ちょうど悪の華第一部のラストあたりと執筆時期が被っていたことになります。
僕のイメージでは、悪の華一部終盤は、画力・内容が異次元レベルに上達していた時期と勝手に思っています。佐伯さんの「許せない…」のコマ、ガチで鳥肌たちます。
その時期に書かれた本書はまさに押見修造先生の到達点の一つと言えるのではないでしょうか。
概要
どういう話かを説明していきます。
一言で言うと、「それぞれの悩みによって上手く周りになじめない女の子達が、ガール・ミーツ・ガールする話」です。
主人公は志乃という女の子で、高校一年生です。物語は高校の入学式から始まります。志乃ちゃんは吃音(上手く声が出せない?)症状に悩まされており、上手く話せないかもしれない不安感といつも戦ってきました。タイトルの「自分の名前が言えない」というのも、その症状から、自分の名前を上手くいくことが出来ない悩みを表現しているタイトルになります。
そして、高校の入学式においても、自己紹介で上手に話すことが出来ず、孤立します。そんな中、ふとしたきっかけで、クラスメートである
"かよちゃん"と友達になります。かよちゃんも、人に打ち明けることのできない悩みを抱えており、孤立してはいないが、孤独感、焦燥感を抱えています。方向性は違えど、自分の悩みに苦しめられている女の子たちが出会い、文化祭をきっかけにして物語は大きく動き出す、というような内容となっています。ジェノサイドギグでもそうでしたが、文化祭ってそんな凄いイベントなんですね。僕の文化祭はたこ焼き焼いていた思い出しかありません。
本書の大きなテーマである吃音という病気に関して、作者の押見修造先生は、自分自身がこの症状に中学生の頃悩まされていたそうです。その経験から、本書を書かれたとあとがきに書かれています。
また、あとがきにおいて
と書かれています。
志乃ちゃんの悩みは自分の名前が言えないことなのですが、そんな悩みがない人達においても、誰しも自分のなんらかの悩みを持っています。
その悩みに対して向き合う時に、本書は必ず大きな力となって読者を励ましてくれるはずです。
えぐられるくらいリアル
この作品の特徴的なところは、えぐられるくらいリアルなところです。
面白さを優先しマイノリティを集団で叩く残酷なクラスメート、
自分の考えを押し付ける教師、どもる時の志乃ちゃんの表情、気持ち悪さ、全てがリアルです。読んでいて嫌になることも多いです。押見先生の作品は、読んでいて暗い気分になることが多いです。序盤にひしひしと感じる抑圧感が、志乃ちゃんが自分自身と向き合う物語のラストに大きく効いてくるような感じがします。
志乃ちゃんは聖人君子ではない
僕が本書中盤で電撃が走った言葉を紹介させて下さい。
志乃ちゃんは、作中において、いじめられてしまうような、被害者として描かれているのですが、本書において、志乃ちゃんは
聖人君子として描かれているのではなく、加害者にも、被害者にもなりえた一人の女の子として描かれているのです。
この言葉の経緯としては、志乃ちゃんがかよちゃんの悩みを打ち明けるシーンが発端となっています。ある程度仲良くなり、かよちゃんが志乃ちゃんに対してある程度心を開き、自分の悩みをさらけ出すシーンがあります。そこで、志乃ちゃんはなんとその欠点をあざ笑ってしまいます。そして激怒したかよちゃんと仲違いしてしまう。。。というシナリオになっています。
志乃ちゃんも、自分の名前を普通に言うことが出来たら、きっとかよちゃんのことをなんの悪気もなくめちゃくちゃ馬鹿にしていたでしょう。持っているものは、持たざるものの苦しみに気づくことは出来ないのです。聖人君子では、持たざるものの苦しみに寄り添うことができるのですが、志乃ちゃんは普通の女の子として描かれているため、意識的にこのシーンが描かれたのではないかと思っています。
比較対象として、「聲の形」という漫画を取り上げます。
ヒロインである西宮硝子は、耳が聞こえない障害を持って生まれた女の子であり、主人公である石田将也にいじめられるところから物語が始まります。西宮は、聖人君子タイプです。優しさを忘れず、どれだけ虐げられたとしても、自分の芯を持ち続けることのできる人物として描かれています。
しかし、志乃ちゃんはそうではありません。かよちゃんの悩みをあざ笑ってしまう志乃ちゃんは、精神的に強いわけでも、弱者の気持ちが分かる器の大きい人間でもありません。たまたま吃音という特性を持って生まれた、一人の普通の女の子なのです。
そして、志乃ちゃんはかよちゃんに対して謝ろうと決意し、最初に引用したあの言葉をかよちゃんに対して述べます。この言葉によって、僕は志乃ちゃんが、ただの女の子であるということ、そして、誰もが人生のサイコロの出た目によって被害者にも加害者にもなりえるのだということを感じました。
物語のラスト、志乃ちゃんが感情を爆発させるシーンがあり、そこでのセリフになります。この言葉は、本書を象徴するようなセリフとなります。志乃ちゃんは生まれながらに持つ不公正さに苦しめられる、一人の女の子なのです。
押見先生が「誰にでもあてはまる物語」と述べていたのも、こういう所に現れているのではないかと思います。偶然によって苦しめられている志乃ちゃんに、僕は感情移入をより深めることになりました。
自分の課題は、世界の課題より重い
この漫画を読んで痛烈に感じたのは、個々人が抱えている問題の痛みは、その自身にしかわからないということです。そして、その課題は、その人の目線からすれば、世界の課題より重いのです。
また、世界を変えるヒーローは当然かっこいいが、自分の課題に対して命をかけて取り組む人間もそれに全く劣らないほど光り輝いているのだと気付かされました。
僕は、世界を変えるようなヒーローに憧れており、実在の人物で言うと、イーロン・マスクとか、マーク・ザッカーバーグに憧れていました。今の世界では到底考えられないようなビジョンを持ち、不可能を可能にし続けたり、世界中の人間が使うプロダクトをたった10年程度で作りあげたりするような、そんな英雄たちに憧れていました。
しかし、自分自身は、そのレベルでは全く無く、もっと前の挑戦する段階で尻込みしてしまうような、本当に卑俗でどうしようもない凡人でした。僕はどうやら何者かになりたい気持ちが人より強いようで、自分の実際の姿と、憧れている人たちとのギャップに苦しめられていました。そんな時に偶然手にとったのが本書です。
志乃ちゃんの悩みは、名前が簡単に言えるような僕にとっては、悩みですらありません。それこそ登場人物のように、「言えてあたり前」だと思っています。しかし、その大したことない悩みは志乃ちゃんにとっては世界の課題より重い悩みでした。
作中のラスト、志乃ちゃんは自分の悩みと対峙し、苦しみ抜きながら答えをだします。僕はそのシーンを読んで、どうしようもなく感動しました。そして、世界から見ればどうしようもなく小さい悩みに命をかけて取り組んでいるその姿は、イーロン・マスクを始めとする英雄たちの姿と比較して、何も劣るものではないと感じたのです。
志乃ちゃんの立ち向かう姿の美しさに、僕は救われました。凄い人からすれば、僕の悩みなど、ゴミのようでしょう。なぜ出来ないのかがわからないと。しかし、その課題の大きさというのは、その人自身にしかわからず、その苦しみも、また同様にその人にしか理解することが出来ません。
そして、その課題に懸命に立ち向かう姿というのは、美しいのです。だから、僕も自分の等身大の悩みに対して体当たりすれば良いのだと気づくことが出来ました。
本書の大きなテーマである不公平さというのは、吃音などの特徴的なものだけではありません。
そしてこれは、あらゆる人間に当てはまります。あらゆる人間が、自分だけの「名前が言えない」ような悩みに苦しんでいます。インポで悩んでいる人がいるかも知れない。陽キャのグループの中にいるとちょっと浮いてしまう自分に悩んでいるかもしれない。そんな悩みに対して、向き合う美しさをこの漫画は教えてくれるのです。
志乃ちゃんがどういう答えを出したのか、
その答えは是非作品を読んで確かめて見て下さい。
来る2022年に向けて ~ 藤本タツキ is eating the world
ランキングbest3を紹介しました!いかがだったでしょうか?
「トニカクカワイイ」「BUNGO」「ダンダダン」など、ここでは紹介できませんでしたが、連載中で最高な漫画はまだまだあります。また、フセキ先生のような新しい才能も今後出てくることでしょう。
それを考えるだけでもうワクワクしますね!!!
ただ、2022年、ついにあの人が動き出します。日本漫画界において必ずチェックしなくてはならない人物、、、彼です。
そう、「チェンソーマン」作者、藤本タツキ先生です。
昨年の『このマンガがすごい!』男性部門ランキングにおいて、
「チェンソーマン」が一位をとり、なんと今年の男性部門ランキングでも「ルックバック」が一位を取りました。
またアメリカにおいて、漫画関連の賞の中で最も古く、最も権威のある賞の一つ「ハーベイ賞」2021の「ベストマンガ」部門も受賞しています。
日本のみならず、世界にも藤本タツキと言う名前が認知され始めています。
そして来る2022年、アニメ「チェンソーマン」が放映開始し、「チェンソーマン2(予定)」がジャンプ+にて連載開始します。アニメに関してはPVを見ていただければ分かるように、力の入れ方が尋常じゃありません。
このクオリティで、デンジやマキマさんが動く。。。
考えただけで鳥肌が立ちます。
「新世紀エヴァンゲリオン」が放送される前と後で、アニメの表現、扱うテーマ性が全く変わってしまったように、「チェンソーマン」の放送前と後で、漫画・アニメーションというものが変わってしまうのではないか?
そんなワクワク感が頭から離れません。
変わるとすれば、「アンチヒーローなヒーロー」という文脈の誕生だと思っています。
「鋼の錬金術師」などで基本的に用いられていた、勧善懲悪なヒーローを主人公とする世界観が、「進撃の巨人」、「東京喰種」などの作品によって、灰色の世界観、つまり、何が善で、何が悪なのかを問うというメッセージ性に変化していました。そして、「チェンソーマン」の登場によって、灰色の世界観ではなく、黒色、アンチヒーローが誕生します。
自らを悪だとし、その悪の中で自分の正義を貫く。読者は等身大とも言えるその姿に、ある種の主人公性を感じる世界観のことです。あらゆる内省的主人公が「シンジくんみたいなやつ」と言われるように、あらゆる欲望に忠実な人間、浅いが貫き通すキャラのことを、「デンジみたいなやつ」という風に表現されるようになるのではないか。。。
どれくらいまで人気が出てくるのか、楽しみでしょうが無いですよね。。。!
レゼ編、映画化してくれたら泣きます。
では、皆さん良いお年を!!!
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