ボランティアについて思う事
能登半島は、地震に続き豪雨災害と大変な状況に追い込まれています。
お亡くなりになった方もおられて、哀惜の念に堪えません。
震災の時とは違って、既にボランティアの方が入られて活躍されています。
被災者の方々にとっては、凄く頼りがいのある素敵な方々なはずです。
さて、こういったボランティア活動を否定するつもりは毛頭もありませんし、地域に多大な貢献をしていると認識しています。
ただ、誰のためにやっているのかについては、熟考しないといけないのかも知れません。
無論、被災されている方々に対する行動で被災した方々が助かるのだから、それはボランティアを行っている相手の為であるという風に考えるのが一般的でしょう。
確かに、無償の愛-agape-という事はあるでしょうが、人間は本来利己的な生き物です。利他することが利己に繋がるから行動するのではないでしょうか?
現場で、「ありがとう」「助かった」とう言葉を聞くから活動できるのだと思います。この言葉掛けをして貰うことを『利己的』というと反発を食らうかも知れませんが、気持ちよく感じるのだから『利己的』であるのは間違いありません。
自分以外の人に何かをするのは、逆説的ですが『利己的』であるが故に起こりえるのではないでしょうか?
特に「ありがとう」は、魔法の言葉だとつくづく思います。皮肉の場合はもちろん違いますが、この言葉を言われて、気分が良くなくないなんて人は存在しないのではないでしょう。
とにかくこの「ありがとう」が自然に口から発せられれば発せられるほど、言われた方も言っている自分も幸せな気分になれると信じています。
ですから、コンビニの買い物の時も必ず「ありがとう」と言うようにしています。
結果的に、みんなが幸せな気持ちになるならそれで良いのですが、教育現場でボランティアというと何か違ってくるような気がします。
少なくとも、日々の教室掃除や例えば学期毎に行われる校外の清掃活動は、決してボランティア活動ではありません。
なぜなら、自発的な活動である大前提が無くやらされているわけですから、教育活動の一環という事なのでしょう。
まあ、これはそんな所だと思います。
ちょっとだけ?なのは、外から持ち込まれるボランティア活動なんです。
例えば、夏休み中とかに介護施設等でボランティア募集が大量にあります。
施設に行って、話し相手になったりレクリエーションの手伝いをしたり、配膳の手伝いをしたりと、普段出来ない経験から多くを学ぶことが出来る素敵な時間です。当然「ありがとう」ともいわれますし。
介護施設にしてみれば、人手不足の中、さらには夏休みをとりたい職員のためにもボランティアの導入はもの凄く有り難いわけです。その意味では、学びがある生徒・学生とWINWINの関係になります。
ただ、ボランティアに頼る体質になると、本来的な人手不足に対する対策を遠のかせてしまうんではないかとい疑念があるのです。
これって、ブラック部活と同じではないですか? いわゆるやりがい搾取の上に成り立っているヤバイ環境です。
介護職に関して言えば、さらに低賃金という課題を覆い隠すためのやりがい搾取なんだろうと感じます。
まあ、教員も本来の残業時間を換算したら、低賃金ですけど。
さらに、大学になると学内のボランティアセンターから情報が発信され多くの学生がボランティアに携わります。
無論ボランティア保険等に入って現場に向かうのですが、現場での安全って誰が確保してくれるのでしょう? お得意の自己責任ですか?
このことを強く思ったのは、3.11のボランティア活動においでした。放射線の影響がどうなのかわからない状況だったにもかかわらず、結果としてバンバンとボランティアに向かわせていたのです。
ここら辺の事って、しっかり総括されているのでしょうかね?
ボランティア活動は、無くてはなら無い物であるのは疑いようもありませんし、活動から得ることが出来る多くの物があります。それは、実践の中でしか得られない貴重な体験や知見です。
でも、何でもかんでもボランティアって形で、やりがいだけを搾取する仕組みがある事に懸念を覚えます。
もう一度書きますが、ボランティアは自発的な活動です。そもそも、ラテン語で「自由意志」を表す「voluntas」という言葉から生まれた言葉です。「自分の意思によって自ら進んで行うこと」この原則に基づかない活動は、奉仕なのだという事を忘れてはならないと思います。
奉仕活動なんて言葉が教育現場で強まるのは、要注意。というか、警報ですね。
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