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自由社VS学び舎 7.日露戦争(1)

日露戦争の原因は、日清戦争と同じく、日本の安全保障でした。義和団事件が終わった後もロシアは、2万の軍隊を日、英、米の抗議にもかかわらず満州に駐留させていました。各国の軍隊は事件終了後皆引き上げたのです。ロシアは、東清鉄道を建設中で、その保護を名目にしたのです。地図をもう一度見てみましょう。当然日本は警戒します。その先に朝鮮半島があるからです。
しかし、学び舎は、やはりここでも「戦争の悲惨さと戦場は中国」と記述して日本の安全保障については何も書きません。

学び舎

学び舎2


 この中国とは清国のことなのですからなぜ清国または清帝国と言わないのでしょうか。学び舎なりに理由があるのでしょう。自由社は、この時の戦場を中国ではなく「満州」と記述しています。
 日本の安全保障をスルーし、日本海海戦を記述しない学び舎。
奉天会戦と日本海海戦を記述し、さらに西欧支配のアジア植民地の人々を勇気づけたと記述する自由社。同じ検定をパスした教科書なのにこうも違っています。
 ところで学び舎も東京書籍もそうですが、この義和団事件についていかにも平和的なデモのような印象を与える記述のしかたになっているのです。197Pの赤線の部分です。「外国の公使館を包囲しました」。
 とんでもありません。自由社は、「宣教師や外交官を殺害し、」と記述しています。完全にテロです。これはとても大事なことですので強調したいと思います。

学び地図

シベリア鉄道地図


 また、これも東京書籍と同じく学び舎は、義和団事件の見出しのなかで、清国と列強との条約である北京議定書についてまったく記述していません。このとき日本は、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカなど8か国とともに清国と条約を結びました。これが北京議定書です。この条約により各国は北京周辺に、外交官やその家族の保護などのため必要な部隊を北京周辺に駐屯させていました。清に治安の維持能力がないと各国に判断されたからです。これは第二次世界大戦後まで続きました。
なぜ学び舎も東京書籍も、北京議定書を記述しないのでしょうか。

2自由北京議定書


それはおそらく37年後に起きた盧溝橋事件で、「日本が侵略した」と印象づける記述と矛盾してしまうからではないでしょうか。
自由社233ページの側注にあるように、この条約にもとづいて盧溝橋その他に5,000人の部隊を駐屯させていたのです。
続く

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