トラック運転者の地位向上を目指します。
今日は休みだったので、pickgoで仕事を拾ってやりました。
川崎の建機レンタル会社から荷物を引き取り、幸浦に降ろす仕事でした。
楽勝な仕事です。
運賃は約5600円程です。
こんな仕事がすぐに取れれば最高なんですけど、何しろpickgoは当選しません。
当たればラッキーくらいの確率です。
みなさんお疲れ様です。
貞山放送 鉄生です。
今日はとてもいい天気でしたね。
今回は『トラック乗りの地位向上を目指そう』という大きなテーマでお話ししたいと思います。
YouTubeチャンネルでもやる予定です。
このテーマは僕がブログやYouTubeを始める前からやろうと思っていたテーマのひとつです。
何回かに分けて本気で取り組んでいこうと思っています。
何しろ世間のトラック乗りに対する評価が低い!
やれ底辺の仕事だとか、やれ誰でもできる仕事だとか、
柄が悪い、マナーが悪い、下品、バカ、etc
こんな逆風の中、年々給料は下がり続けています。
これじゃ運転手をやる若い人がいなくなってしまいます。
事実、40歳台でも若手と呼ばれる業界です。
これはトラックを愛するいちドライバーとして哀しい現実です。
今日のお話はプロローグとして読んでください。
少々昔話をします。
僕がトラック乗りをリアルに感じたのは小学校6年生の頃です。
親父がトラックの運転手に転職しました。
僕は宮城県の田舎出身です。
当時、家はそこそこ裕福でした。
親父はフランス料理の料理人で、仙台市内の大きなホテルの料理長でした。
そんな親父が僕は大嫌いでした。
とにかく厳しい人で、昔気質の職人みたいな人です。
家での食事は徹底的にマナーが重視され、子供には苦痛以外の何物でもありません。
もちろん食事中にテレビは観れません。
食べている間は正座です。足を崩すことはマナーに反します。
姿勢から箸の持ち方、食べ方、とにかく厳しい家で育ちました。
家で出される料理は全て手作りが原則です。
化学調味料、冷凍食品、レトルト、インスタントラーメン、これらは一切禁止です。
とにかく何でも作っていたように記憶しています。
豆腐、パン、ゼリーにプリンにポテトチップスまで手作りしていました。
もちろん作るのはお袋です。
親父は指示するだけです。
親父のOKが出ないと食べることは許されません。
ある日何が気に食わなかったのか、お袋が一日かけて作った豆腐を、
「こんなもの食えるか!」
と激怒した親父がひっくり返したことがあります。
お袋は台所の隅で泣いていました。
子供ながらに心が苦しくなったことを覚えています。
もう一度言います。
僕はそんな親父が大嫌いでした。
みなさん【美味しんぼ】という漫画をご存じでしょうか?
グルメ漫画なんですが、主人公のオヤジが海原雄山という美食家です。
とにかく傲慢で独善的な男なんですが、この男うちの親父にそっくりなんです。
見た目ではないですよ。
いやな奴なんですが、その嫌な奴具合がそっくりでした。
うちの親父をモデルに書いているんじゃないかってくらいそっくりです。
ですが、子供心に逆転の発想をしました。
そんなことはあり得ない。
なら、なんでこんなに似ているのか?
それは料理人という人種がみんな嫌な奴なんだ。
子供の僕はそう結論しました。
僕の思考はそこから進みます。
なら僕はこの先どんな人生だろうと、絶対料理人だけにはならない!
そう誓ったんです。
そんな親父がリストラにあいました。
当時リストラなんて言葉もなかった気がします。
ある日突然でした。
無職になった親父は必死で仕事を探しました。
料理人としての引き合いは山ほど来ていましたが、なぜか受けずに職探ししていました。
「もう、料理人は疲れた」
親父はポツリと言いました。
家族や子供の前で決して本音を言わない親父がボソッと言った一言を、
僕はいまだに覚えています。
それからの親父は慣れない仕事を転々としましたが、どれも長続きしません。
料理一筋で生きてきた男です。
また、器用な生き方が苦手なタイプでもありました。
収入は減り、お袋は内職を始めました。
僕は新聞配達のアルバイトを始めました。当時10歳です。
よく考えればこの時から僕の運送経験は始まっているのかもしれません(笑)
そんな親父がトラックの運転手に転職しました。
そしてそこに落ち着いたんです。
鳶の足場材を運ぶ仕事でした。
4tのユニック車に乗っていました。
トラックの運転手になった親父は明らかに変わりました。
明るくなって、よく笑い、よく喋るようになったんです。
以前は家で仕事の話など一切しなかった親父が、職場の話や仕事の話を楽しそうにするんです。
本当に毎日するんです。
家の中が明るくなった気がしました。
その時の僕の気持ちが分かって貰えますか?
トラックの運転手ってすげぇ!
そう思ったんです。
これが僕とトラックの運転手の出会いですね。
とてもいいイメージを刷り込まれたってわけです。
そして、子供だった僕も大人になりオジサンになりました。
今、世間のトラックの運転手のイメージは最悪です。
大げさな言い方を許してもらえるなら、僕の家を救ってくれたトラックが危機です。
もちろん問題の多い業界ではありますが、
少なくても運転手には卑屈になってほしくはありません。
なので微力ながら僕が、
【トラック乗りの地位向上を目指そう】と思います。
長いプロローグになりました。
以上です。
貞山放送 鉄生でした。
みなさんごきげんよう。
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