【首里三十八景】②赤平、あかひらのヒラは黄泉比良坂のひらなので坂である
赤平という町はぜんぜん平地じゃなくて坂ばかりである。どこがひらよ、と突っ込まれがちだがこれはヨモツヒラサカのヒラなので坂の町、しかも赤い坂ということである。
そもそもなんで黄泉比良坂なのかというと、黄泉(ヨミ)というのはあの世で、平地の奥にある。そのまえにくだりなのかのぼりなのか知らないが坂があるのであろう。という謂れがあり、比良というのはひらけたところなのだが、坂という意味ももつことになった(と思う)
坂の頂上は汀良、鳥堀一丁目。首里中学校があるところである。そこから東南に行くとまた急くだりになり、南風原(はえばる)までずっとくだり坂。逆に西北にゆくと、儀保、末吉を経て那覇市立病院なども過ぎて古島までずっとずっと下り続ける。ふるじまというのはもう那覇である。
とゆうわけで、簡単にいうと、首里というのは坂の町であり、どこに行っても坂がある。平地、というか平原は那覇、南風原、あるいは与那原(よなばる)まで行かないと無い。
首里と接する浦添も陸地部分は坂が多い。浦(海)のほうへゆくと平地になる。米軍の巨大なバックヤード基地がある。
ちなみに浦添というのは歴史的にいうと、沖縄最古の王統が発祥した地であり、首里よりふるい古都である。英祖王という御名前だったと思う。この人は「てだこ」と呼ばれた。太陽の子とゆう意味である。多分。
浦添や宜野湾や中部の人たちは「てぃだ」とよく言う。これを太陽という意味だと解さないひとを余所者あつかいにする。首里や那覇の人はてぃだとかは言わない。
あと、「ばんみかせ」という言葉も好きである。これは、標準語に訳すと……「ぶっ殺せ」?……とは違うのであります。西日本風にいうと、「やったったらええねん」となります。このニュアンスを標準語(東京語)でいうとどうなるのか、寡聞にしてわからないです。
「ばんみかせ」というのは首里や那覇の人はいわない。やんばる(北部)の人もいう。ぶっちゃけ田舎のひとの物言いである。
話を戻すと、赤平は坂しかない。首里じたいが坂の町だが、ところどころに平地はある。平原はないが。
赤平の集合住宅に住んでいた、中学校のクラスメイトの女子が、ある日轟音がするのでヴェランダに出て見ると、自衛隊の戦車が環状2号線の坂を学校の方へのぼっていったそうである。
「そんなわけないだろう」というと。
「ほんとなんだって」
と言っていた。この女子は自分のことを「うち」という人であった。
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