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低カロ西村ができるまで~高校生編~

エンジニアとして現在働いている訳なのですが今回もエンジニアリングの話とは関係ないことを話そうと思います笑

なので僕自身に興味がない方は時間の無駄になってしまうと思いますので今すぐこれを閉じて技術書を開いてください笑

ではでは高校時代についてお話ししようと思います。

まずは高校受験から。
漫画や中二病にあいまって当時の僕は銀髪金髪に憧れていました。

そのため、目指したのは校則もなく、学費もかからない公立高校でした。
『おおきく振りかぶって』のモデル校ですね。

僕は埼玉県出身です
埼玉県には「北辰」という埼玉県限定模試があります。
その模試によって各高校の『合格率』や『受験希望者数』が可視化されるのですが、僕は1年間第一志望校90%の安全圏と評価されていました。

余裕な気持ちで受験をした結果。。。

『不合格』

いやービビりましたね。
でもそうなることはなぜか腑に落ちました。

受験期間中僕は一切の勉強から離れ受験1月前からゲームセンターに入り浸り、ゲームざんまいの日々。。。そりゃ落ちますよ。

そこで結局僕は滑り止めの第一志望よりも上の進学校に入ることになりました。校則もきびしく、学費は年間100万以上もする高校です。

この時僕は『目的もあやふや』『手を抜くタイムングではない時に抜いた』等、色々な禁忌を犯してしまったのだと気づきました。

結果もずさん、そこに至るまでのプロセスもずさん
何をしてるんだ俺は・・・
という気持ちにさいなまれました

ま、そんなわけで入った高校ですが
まーそりゃ当然ルールが厳しいこと厳しいこと
やれ、「前髪が長い」だの「裾が長い」だの「ケータイ触るな」など

失ってから気づくってやつ

ですね。
入って自由を失って初めて

『ちゃんと勉強すればよかった』

初めてそう感じました。
しかしそうした日々を数日送る中で、一つ閃きました。

「あ、俺が自由な学校作ればいいじゃん」

と。
そんな気持ちでトントンと学級委員になり、学年代表になり先生や校則に近い存在になりました。
先生方の視界から外れることのないい立場に立ったわけです。
まぁ、そこからの日々は楽でしたね。
やりたくないことは、やらない事ができる。
学祭や体育祭のプログラムを自分がやりたいようにプログラム出来る。
等々色々な自由を与えてもらいました。

そして2年になり、学級委員矯正続行の話を先生から頂き2年も自由にさせて頂きました。

そんな中、髪も染め、学校にも来ないようになり気付くとクラス最下位の成績になっていました。
いやーこんなやつでも学級委員長やれんのか、とさえ思えました。

そしてそのタイミングで家庭崩壊が起きました。
徐々に僕は外出しないようになりました。

うつ病にかかりました。
それまで勉強もしていなかったのでたまに行くテストも赤点ギリギリの連続

『なんでこんなことしているんだろう』

そう思う日々の連続でした。

そんな僕を変えてくれるきっかけだったのが。。。。


ちょっと疲れたのでここまでにします笑
続きはまた来週書きますね!
これからGolangの勉強をしようと思います。

ではまた。。。

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