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飽き性な自分が珍しく10年間も応援し続けた羽生結弦とかいう人間について

こんばんは。突然ですが、推しって尊いですよね。

当然のように「推し」とか「尊い」とか言ってしまいましたが、そんなありふれた言葉では片付けられないくらい膨大な感情を、自分たちは彼らに対して抱くわけです。

自分は自分のことを本当に飽き性だなと思っています。自分は面白いと思ったらどんな分野でもとりあえず手を出すタイプで、いわゆる「推し」という存在はいろんなところに、たくさんいます。ゲームや漫画の中のキャラクターだったり、歌手やアイドル、YouTuberや配信者、部活の先輩や学校の先生まで、広義の「推し」はすごくたくさんいます。

でも自分はすごく飽き性というか、熱しやすく冷めやすい性格だから、別に嫌いになったとかそういうことじゃないけど、1年やそこそこで推しから気持ちが離れることがほとんどでした。中にはそういうのをあんまり良く思わない人もいるし自分でも嫌な性格だなぁと思うけど、心変わりはしょうがないことだとは思います。

そんな自分が、唯一10年以上も応援し続けている人が、かの有名なフィギュアスケーター羽生結弦です。「推し」という言葉では安っぽく感じてしまうくらい、自分の中では大きい存在です。
今回、北京五輪での羽生結弦の演技を見て、すごく様々な感情を抱き、ひとりではとても抱えきれなくなってしまったため、自分の彼に対する気持ちをこのような媒体に記しておくことに決めました。
長いだけで文章は下手ですけど最後まで読んでくれたら嬉しいです。

なんかタイトル等から羽生結弦が引退するみたいな雰囲気がめちゃくちゃ感じられますが、別に現時点(2022/02/12)で本人からそういう発表は一切ないです。が、なんとなく1ファンとして、この五輪が彼の競技人生において一区切りになりそうな予感がするため、書きたくなりました。

前置きがネイサン・チェンのコレオシークエンスくらい長くなりましたが、本題に入ります。

▫️羽生結弦との出会い

自分が羽生結弦というスケーターを明確に好きになったきっかけは、2011年5月、小学5年生のときに新横浜アイスアリーナで行われた「プリンス・アイス・ワールド(通称PIW)」という、毎年恒例のアイスショーを親に連れられて見に行ったことでした。当時の自分の中でのフィギュアスケートといえば、地上波で放送されてる時に親がテレビで観戦してるのを横目で見ていたようなもので、浅田真央VSキム・ヨナだとか、荒川静香は金メダルで凄いとか、その程度でした。

当時の羽生結弦は例の震災の直後、練習拠点であった地元のリンクを失い、日本各地のリンクを転々としながら様々なアイスショーに参加している状況でした。そのうちのひとつであるアイスショーを、自分は偶然見に行ったわけです。

このような事情もあり、羽生結弦は事前に発表されていないサプライズゲストのような形での登場だったと記憶しています。羽生結弦の名前がコールされてリンクに現れたのを見たとき、どんな感情になったかはあまりに昔のことすぎて、詳細には覚えていません。ですが、なんか細くてカッコイイし、スケートも上手くて、誰よりもたくさんジャンプに果敢に挑戦してたから、それだけで当時の単純な自分の心を掴むには十分だったように思います。自分の座っていた側のコーナーで4回転跳んで、派手に転けてた記憶だけはなぜか鮮明。

あとから考えれば苦しい状況の中でなんとかスケートを続けようと、このPIW含めたくさんのアイスショーに出演してた背景もあるから、そんな彼の思いの詰まったスケートは本当に当時の自分のようなにわかの心をも揺さぶるものだったんだろうな、と思います。

PIWは終演後にリンクサイドで選手にプレゼント渡したりできる時間があって、自分も近くで羽生結弦を見てみたかったけど、大量のおばさんに阻まれて叶わなかった。

そういうわけで、生で羽生結弦のスケートを見た自分は、それからテレビで彼の出ている試合が放送される度、だんだんと彼を意識して応援するようになっていました。

羽生結弦は、このシーズンの世界選手権で今もなお伝説として語られる「ロミオとジュリエット」を演じ、更なる進歩を求めて現在の拠点であるトロントのチーム・クリケットへ渡りました。


▫️応援するのは楽しいが、そればかりではない

羽生結弦は今でこそ国民的なアスリートですが、そのきっかけとなったのは間違いなく2014年ソチ五輪でしょう。

青い爽やかな衣装を着て演じるSP「パリの散歩道」は、当時の世界記録を塗り替え、その記録だけでなく、当時19歳の青年がロックミュージックに乗せて軽々とジャンプを決めていく姿は多くの人々の記憶に残りました(この一文すごくよい)。

その頃の自分といったらもう完全に羽生結弦の虜で、ソチ五輪での金メダルはもちろん凄く嬉しいものでした。周りに羽生結弦のファンであることを言うようになったのも確かこの頃で、周りの人達も口を揃えて「羽生くん凄いよね!」って言うから、自分の推しが世界一になったことが誇らしくてしょうがない。

ですが、その次のシーズンで思いもよらない事態が起こりました。

満を持して臨んだ2014年のグランプリシリーズ中国杯、羽生結弦は6分間練習中に他国の選手と衝突し、その場で立ち上がれないほどの怪我を負いました。頭から出血し、苦しそうにする羽生結弦は当時の自分にとってあまりにショックでした。それに加え、なんと羽生結弦はそんなボロボロの状態で演技を強行しました。頭に包帯を巻いたような状態では当然まともにジャンプを跳ぶことは出来ず…見ていて本当に痛ましかったですが、それでも演じきった姿は素直に凄いと思いました。

しかし、世間の目は賞賛ばかりではなかったみたいでした。

この一件は連日連夜、ワイドショー等に取り上げられ、そこにあったのは数多の賛否両論でした。諦めない姿勢は素晴らしい、いやこの強行出場は褒められたものでは無い、これを容認するフィギュア界とは、一切美談にすべき問題ではない…
挙句の果てには彼に対して悪意を持った一部の人間が、あることないこと憶測して騒ぎ始める。

自分が思っていたよりも大きな騒動になっていて、本当に驚いた記憶があります。ソチ五輪で優勝して羽生結弦は世界的に有名になった、だからそれだけ大事になっていたんでしょう。
悪意で彼を貶めようとする人達は論外ですが、今思えば真っ当と思える批判意見も、当時の自分にとってはショックなものであり、見たくもない情報も目に入るし、膨れ上がった一連の騒動で気疲れして少しの間羽生結弦を追うのをやめてしまいました。

これと似たような感情は、今でも抱きます。
自分には悪癖があります。それは、推しの世間からの評価を必要以上に気にしてしまうことです。
羽生結弦は結果を残して世界的なアスリートになりました。ファンも昔とは比べものにならないくらい増えました。しかし、有名になるということはそれだけ多くの人の目に晒され、多くの批判も受けるということです。
広い視野で見れば羽生結弦を応援する人がほとんどだし、「まあ意見なんて人それぞれだよね」と言い聞かせるよう努めていますが、それでも自分の好きな人が悪く言われるのは凄く辛いです。
世間からは、良い結果を残せば手放しに賞賛されるくせに、何か失敗すれば叩かれます。こういうのはいわゆる有名税と言うのでしょうか。アスリートなら当然のことなんだろうけど、1ファンからしたら、どうしてそんな無責任なこと言えるんだろうってずっと思ってましたし、今も思います。

自分の推しは有名になりすぎました。だからこそ、推していて楽しいことばかりではありません。

なんか愚痴みたいになってしまいました。本当は、「自分は羽生結弦が好きだから他人が何言おうと関係ない」っていうマインドが正解なんでしょうけど、自分にはとてもそれが出来ません。今でも抱えている悩みです。


▫️羽生結弦を通じて「フィギュアスケートのファン」になった

自分は今、「好きなことは何?」と聞かれたときに、「フィギュアスケートを見ることです」と答えます。羽生結弦のファンである以前に、フィギュアスケートが好きなのです。
これには明確なきっかけがあり、恐らくそれ以前の自分だったら同じ質問を受けたとき、「羽生結弦のスケートを見ることです」と答えるでしょう。

自分が「羽生結弦のファン」だけではなく、「フィギュアスケートのファン」になったのは、2015-2016年のシーズンがきっかけでした。
当時の羽生結弦が演じていたのは、平昌五輪でも演じられたことで有名なSP「バラード第1番」FS「SEIMEI」。

そのときの羽生結弦は、まさしく無双状態。グランプリシリーズ2戦目のNHK杯ではSP、FSともに世界歴代最高得点を更新。大台の300点をゆうに突破。その勢いのまま臨んだグランプリファイナルでは、数週間前に自身が更新したばかりの世界記録をまた塗り替えました。そのときのトータルスコアは330.43。採点方式が変更された今、この記録は永遠に更新されることのない「ヒストリックレコード」として残されています。

当時の自分は羽生結弦しか見ていなかったくそにわかでしたが、なんかフィギュアスケート界にとんでもないことが起きているとわかりました。今思えばSP、FSでそれぞれ1、2本入れていれば凄いと言われていた4回転を、更に増やしていこうという傾向になり、トゥループ・サルコウに加えて新たな種類の4回転が本格的に開拓され始めたのもこの頃でした。まさに、男子フィギュアスケートの革新が起こったシーズンでした。

そのきっかけとなった羽生結弦の「SEIMEI」は本当に衝撃的で、なんで羽生結弦はこんなに高い点数が出せるんだろう、もっと彼のスケートについて知りたいという気持ちになりました。
そしていろいろと調べているうちに、フィギュアスケートの採点において、「プロトコル」というものが存在することを知りました。

2015年グランプリファイナル 羽生結弦FSのプロトコル。

一番左からElements(行われた技)、Base Value(技の基礎点)、GOE(出来栄え点)です。GOEは技の完成度に応じて+3から-3の幅で付けられる加点(現行ルールでは+5から-5に変更)のことで、9人のジャッジの平均によって決まります(このうち最高点と最低点は切り捨て)。
ここで注目して欲しいのが、羽生結弦のGOEの高さです。見てくださいこの3の羅列!マイナスどころか0すらない!!
そして、プロトコル下部のProgram Components(演技構成点)も見てください。これはスケーティングスキルや音楽への理解度、技と技のつなぎの豊富さ等、プログラム全体の完成度を評価する指標なのですが、もう満点(10.00)付きすぎちゃってる!!!

こうしてプロトコルを通じて彼のスケートを見たとき、その魅力は「4回転を複数本入れ難易度の高い構成を保ちつつ、ほぼ満点近い加点を貰える完成度も維持していること」「ただ技を決めるだけでなく、音楽としっかり調和させているからプログラムの完成度がとんでもなく高いこと」であると気付きました。それってもうフィギュアスケーターとして最強じゃん!?いやもちろん羽生結弦とて常にこの完成度で遂行できるわけじゃありません。でも、完璧なときの彼のスケーティングって、これが完璧に両立されてて、本当に凄い。だからこそ何回も世界一になっているんですね。

羽生結弦のスケートについて語り始めるとガチめに止まらなくなってしまうので、いったん割愛。

それで、こうやって「スケート」をちゃんと見るようになったことで、他の選手にもそれぞれ魅力があることに気付きました。この選手は技の難易度は抑え目だがその分出来栄えが素晴らしいとか、あの選手のステップは群を抜いていいよねとか。羽生結弦だけじゃなくていろんな選手のスケートを見るようになりました。
フィギュアスケートって素晴らしい競技だなぁと、思い始めました。

アクセルジャンプしかまともに見分けられなかった自分が、今では全てのジャンプを判別できるようになってるし、別に就活に有利になるわけでもないがステップの種類を勉強してみたり、知れば知るほど奥深いフィギュアスケートという競技。推しが出ていない試合でも欠かさずチェックするくらい、この競技のファンです。

こうして自分の知見を広げて、素晴らしいものにたくさん出会わせてくれたのも羽生結弦のおかげですね。

すごく、オタク特有の早口になってしまいました。


▫️自分が羽生結弦に抱くかなりめんどくさい感情

結局のところ、羽生結弦が自分の中でどういう存在なのか、今でも明確に定義できません。「推し」、と言うにはちょっと軽すぎるし、「ヒーロー」、ではあるけどそれもまたちょっと違う。

自分は、アスリートである以上羽生結弦には試合で勝って欲しいと思うし、負けて欲しくないと思っています。

もちろん、勝っても負けても羽生結弦のことが好きなのには変わりありません。ですが、最近気づいたのが、もしかしたら自分は羽生結弦に「勝って欲しい」「一番でいて欲しい」という思いが人一倍強いんじゃないかということです。
勝って欲しいと強く思うから、その分負けた時は本当に悲しいし(2019年のグランプリファイナルSPで出遅れたのがショックで大学の授業を切ったりする程)、悔しい。

自分は何も出来ないちっぽけな一般人です。自分で嫌になるほど自堕落で、他人に誇れることもあまりないし、特に何も成し遂げることはできません。

羽生結弦は本当に凄い。大怪我を乗り越えて平昌五輪で2連覇を達成するし、常にトップで戦い、逆境に負けずに夢を叶えていろんなことを成し遂げます。

もしかしたら自分は、羽生結弦に勝手に期待しているのかもしれません。自分は何も出来ないけど、羽生結弦なら成し遂げてれるから。だから、彼が上手くいったときは嬉しさより先に「安堵」が来るし、失敗すれば必要以上に落胆してしまう。自分が本当に好きなのは、「結果を残す羽生結弦」なのでは…?
これは本当に身勝手で無責任で、めんどくさい感情だと自覚しています。本当のファンなら、いつ如何なる時も彼の成功を信じて、勝てば共に喜び、負ければドンマイ、次があるよと彼の力になるよう前向きに応援するのでしょう。

こういう歪な感情を抱いてしまったが最後、羽生結弦を応援するのはなかなかに苦しいし、先にも述べたように世間からの評価に敏感になって、見たくもない言葉まで見てしまう。
こんな風に応援してて何が楽しいんだって思うこともあるけど、そこはやっぱり羽生結弦のスケートが素晴らしく好きで、見ていたいから、辛くてもそれでチャラですよね。我ながらめんどくさくて嫌になります。

でもいつかこういう日々も、「それだけ本気で応援してたんだな」 って思えるようになるといいですよね!


▫️北京五輪を終えて

最近の羽生結弦は、数年前の無双状態とは違って、圧倒的常勝!という感じではなくなっていました。というのも、別に彼のスケート自体は衰えることなく、むしろ見る度に洗練されていますが、海外の選手が更に高難度な構成にしてきたり、日本の後輩の著しい成長、あとはまあ本人の度重なる怪我や年齢もあって、身体にガタが来つつあったり。表彰台の真ん中を譲ることが増えていました。
世間からの「羽生結弦はもう終わった」みたいな声もまあまあ増えていたし、何より見ていて辛かった。

それでも北京五輪直前の全日本選手権で見せた演技は世界最高得点に迫る非常に素晴らしいものでした。前人未到の4回転アクセルも完成間近で、もしかしたら本当に3連覇してくれるんじゃないかって、また勝手に期待していました。

そして迎えた北京五輪は4位に終わりました。

全てが終わったとき、自分は思ったより悲しいとかそういう気持ちにならなくて、「あぁ終わったんだな」みたいな…数日前のことだけどよく覚えてないです。でも、演技後の彼のどこか晴れ晴れとした表情を見て、勝ったときとはまた違う安堵感を抱いた記憶があります。

羽生結弦が負けたとき、よく、「もう十分レジェンドなのだから、結果なんか気にしないでいい。」とか「点数は負けたけど一番感動した演技だった。」とかいう言葉が飛び交います。もちろん異論はありません。でも、自分が長いこと羽生結弦を見てきて、彼は誰よりも結果にこだわる人だと知っていたから、そういうことは思っていてもなるべく言わないようにしていました。

ですが、今回の五輪で表彰台を逃し、いつもなら修羅の如く悔しがるであろうあの羽生結弦が、「出し切った。これが僕の全て。」と言い切ったのを見て、自分はジャンプが抜けたって、転んだって、あの演技は点数とか関係なく素晴らしかったよって声を大にして言いたいです。羽生結弦を応援してて初めて、結果なんてどうでもいいと思ってしまいました。

今回の五輪で、彼は何度も「自分の努力は報われなかった。」「何か悪いことしたのかな」と言っていましたが、そんなこと言わないで欲しい。自分が今まで好きで応援してきた羽生結弦を、羽生結弦自身が否定しないで欲しいです。結果こそついてこなかったけれど、彼は自分が世界一愛してやまないスケートを貫き通したんだから、それだけで自分はもう満足です。

この北京五輪を通じて、自分が今まで羽生結弦に対して抱いていた身勝手な期待が、ちょっとだけなくなったように感じます。今は結果がついてこなくて残念って気持ちより、羽生結弦の本気のスケートが今もなお見られて幸せ!っていう気持ちの方が大きいです!

あと4回転アクセル初認定おめでとう。


▫️結局のところ

で、結局何が言いたいのかと言うと、今が最高に羽生結弦のことが好きだ!

結局そういうことかよって感じですが、そういうことです。
今は結果とかそういうのはいったん手放しにして、羽生結弦が好きです。

彼を応援することで、めんどくさくて歪な感情を抱いてしまって、結果に一喜一憂して、楽しいことばかりじゃなかったけど、そういう「推し」の形もまあアリなのではないでしょうか。だからこそ、飽き性な自分が10年間も応援し続けていたのかもしれませんし。

これから羽生結弦がどのような選択をするかはわかりません。もし現役を続けるのなら、引き続き心臓を痛めながら応援するし、一線を退くなら心機一転彼の活動を見守っていくまでです。

羽生結弦に出会えてフィギュアスケートを好きになれてまじでよかった!

みなさんの「推し」についても聞かせてください。

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