過去に生きる人と未来しか見てない人。


芸人が過去に自分がされてきた恨みつらみを暴露しまくっているらしい。実名を出して謝りにこいと今になって大騒ぎしている。
記事を見る限りでは離婚を機に家族と疎遠で自暴自棄なのが原因のひとつではないかという見解なのだが、数々の異常行動や言動を見てとてつもなく身近に感じてしまう。それはまさに別居中の旦那とほぼ同じだからだ。
彼は大人として社会に出た人間として絶対にしないであろうことをそれはもう色々とやりこなしてきている。酒が入って気持ちが大きくなればそれは更に歯止めが効かなくなる。興奮して暴れ回るゴリラのようだ。
死ぬ死ぬアピールをしてきたときには付き合うこちらの精神もおかしいので、そのときは最も合理的で皆んながこの地獄から解放されるのなら本当に死んでくれていいのになぁと思ったのをよく覚えている。
どれもこれも精神的な病が引き起こしてることなんだろう。あのときこうされた、あのときにこうしてくれなかったは彼の常套句だ。本当にいつまで同じことを聞かされるんだろうと呆れていた。その記憶力を別の場に活かせないのか。
付き添いで心療内科に行ったときの先生が、うつ病などの精神的な病を持つ人は真面目な人が多いんですと言った。確かに真面目に日々働いていっぱいいっぱいになってしまう人が鬱になるのは良く知っている。仕事人間の私の兄もそうだった。
でも待てよ、自分のこと言われてると思うなよ?真面目な人間舐めんなよ?と彼の横顔を見て思う。分かりやすく落ち込んだ顔をしてその場をやり過ごそうとしてるのがひしひしと伝わる。
ちまたでよく言う他人は変わらない、変えられるのは自分だけの名言が心にブッ刺さる。周りが何を言っても自分がこれでいいと思うのなら、それ以上はもう周りの出る幕はない。
この人を救えたらいいなと、何をされても病気だから仕方ないと思い続けていた日々だったけど、変わらないと決めた人と変わってほしいと願い続けた人の夫婦の行く末はお別れだけだ。うちの場合は。
そんなこんなで結構な荒波の夫婦生活を乗り越えてきたであろう私は、全くと言って良いほど過去に執着がない。というより基本覚えていない。
高校時代の友人の結婚式すら忘れて仕事をしていて、友人たちから鬼連絡がくるまでまったく気づかなかったこともある。結局、結婚式に到着したのは2次会だった。心優しい友人である新婦は急いで会場に来た私に微笑みかけながらマイクを寄越してきて、乾杯の音頭取りな。と言い、その日の私の失態は公開処刑という形で許していただいた。これまで生きてきた中でかなり上位にくる悪質なバックレである。
そんな私なので先の遊びの約束なんてのはほぼ覚えていない。それはそれで別の病気なんじゃないかと思っている。
友人との思い出話は基本花が咲かない。同級生の名前すら覚えていないので突然会ったときにとんでもなく気まずい思いをする。今現在の娘の学校関係の知り合いも同様だ。お世話になります〜と、お久しぶりです〜で基本乗り切っている。乗り切れていると信じたい。娘の小学校入学を機に、絶対に忘れてはいけないものはトイレのカレンダーと卓上カレンダーのダブルで書き留めて対処している。
しかし、この私の性格なのか病気なのかには結構満足している。良いことも悪いことも寝て起きたらまたフラットな状態に戻せる一種の能力だ。
娘にもそんな一面を持ってくれたらなと思う。少し恥ずかしがりで責任感に溢れていて、周りの人のことをよく考えている娘に、自分が思ってるより他人はキミのこと気にしてないよって偉そうにアドバイスしてみる。ふーんって返される。
今はまだ分からないかもしれないけれど、好きなことを好きなように人の目を気にせず突き進んでいければ、きっと毎日が楽しいよといつか理解してくれるといいな。まだまだ母の広い背中を見ていてね!

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