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【エッセイ】仕事で「なんとなく」をやめていく

どうも私は仕事を深いところで舐めていたらしい。「らしい」というのは自分に自覚が無かったからだ。仕事はやってみれば何とかなるものだと思い込んでいたが、そうではないことに今更気づいた。仕事を終わらせるには準備をしなければどうにもならない。

私は実際にやるべきタスクに触れてみて、自分の実力に対して今あるタスクがどの程度に終わるのかを予測することが多い。しかし、私にそれすら見積もれないようなタスクが降ってくることがある。そのようなタスクに対して「何とかなるだろう」と思考停止して、それっぽい図表を書いて見せ、「○○日に終わります!」と言ってみたところ、「予定通り終わらないぞ」となってしまう。私が仕事をするうえで、この「何とかなるだろう」というのは私の仕事のスタンスの中に眠る甘えである。

また、仕事で「自分が何がわからないのか」を誰かに指摘される前に自分で何とか見つけ出す必要がある。「意味は何となくこうかな」というレベル感で理解していると、必ずしっぺ返しを食らう。これは前にも書いたかもしれないが、「誰かに説明できなければ、理解したことにはならない。」というルールを設けた。このことを前提にすると、ありとあらゆるものがわかっていないことに気づいてしまった。目下勉強中である。私にとってのソクラテスの「無知の知」であり、養老孟司の「バカの壁」に気づけたのは不幸中の幸いかもしれない。

あとは「なぜそのように考えたか」を述べられるようにならなければならない。自分が取った行動、得られたデータからの結論に対して「なぜ」が曖昧だと相手を説得できない。この「なぜ」を答えるときも、私は「明確になってないけど期日もあるし、無理くり言うしかないだろう。まあ何とかなるだろう。」という心境で報告しに行くと、必ず大目玉を食らう。大抵は「もっと調べろ」と言われ、自身の調査力の無さが露呈される。「一般的に考えられること全部調べたのか?」というレベルのところまで私の脳みそは思慮に至らないことが多く、浅はかな答えを持っていっては怒られるというサイクルを繰り返していた。

これらの行動は直さなければならないということはわかっている。そのためにも「なんとなく」が頭の中で浮かんだ場合、アラートを上げなければならない。「仕事で使うモノはすべて100%理解する。」。これが私の仕事に対する鉄則であり、必ず守らなければならない。

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