桜の木の下で 〜一句鑑賞〜

一本の桜が全部知つてゐる  喪字男 (「里」5月号)

 ある場所で、たくさんの時間を一緒に過ごしたふたり。この春、お互いの関係に思いを巡らさなければならないような区切りが彼らに訪れたのだろう。卒業か、環境の変化か、心が離れてしまったのか。自分の気持ちを言葉でぶつけるのではなく、沈黙のままに別れ、その場所を離れることを彼らは選んだ。なぜなら、「一本の桜が全部知つてゐる」から。

 何を言っても無駄だという無力感からではなく、言葉では語り尽くせない、共に過ごした時間を無駄なものと切り捨ててしまいたくない、そんな気持ちで彼らは一本の桜をもう一度振り返る。彼らはお互いが自分にとってどんなに大切だったかを誰かに語ることはないだろう。なぜなら、「一本の桜が全部知つてゐる」から。

 気持ちを打ち明けられない煩悶を、相手に受け入れられたよろこびを、大抵はくだらないことだったふたりの間の話題を、避けられなかったすれ違いを、そこに根を張って、ずっと知っていてくれる、一本の桜。

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【追記】この句を読んだ時に、ハンバートハンバートという男女デュオの「桜の木の下で」という歌を思い出しました。http://www.kget.jp/lyric/247869/%E6%A1%9C%E3%81%AE%E6%9C%A8%E3%81%AE%E4%B8%8B%E3%81%A7_%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88+%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88 喪字男さん、ご存知かしら。すごくいい歌なので聴いてほしいです。



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