「庫内灯」を読む(俳句作品/後編)

見せるものなくて鎖骨の蚊に刺され  なかやまなな

何故見せるものがないのか。事後だからであろう。


もう兄はどこにもなくて水遊び  西

ゆっくりと近づく喪失の気配。そしてある時、本当に失う。

長野まゆみの初期を思い起こさせる王道中の王道。


風車売つても売つてもまだ足りぬ  ネムカケス

「春をひさぐ男」という、過去の私の謎の書き込みが残されている。

花魁パロなどを想像したのだろうか。


凍返るキャッチボールをやめられぬ  平田有

卒業間近の高校生や大学生を想像する。

制服やコート、スーツなど、おおよそキャッチボールに向かない服装で

キャッチボールを楽しむふたり。

やめてしまったら、もう二度とこんな風に気持ちを通わせる機会はないと

分かっているから、「あと一球」と言い合って

いつまでもいつまでも白球を投げ、受け止めてしまうのだろう。


躑躅吸ふ固めの盃だと思ふ  藤幹子

躑躅を固いものと認識しているところに

この句の感性の危険さが凝縮されている。

〈急に来て急にむくれぬ春休み〉のように

思春期の友情の極端さをやわらかな感覚で切り取った句もあり、

多彩な作風で楽しませてくれたこの作者。

鑑賞文の色っぽさは群を抜いていた。


ふらここや背がすこしけもののにおい  正井

タイトルは「獣の臭い」で、掲句は「けもののにおい」。

ひらがなを多用することにより、空間の広がりや

人の動きと息づかいがより生々しく迫ってくるようだ。


仰ぎたる天井のいろ金魚玉  松本薬夏

リーマンと援交している男子高校生、という

BLマンガにちょくちょく出てくる設定が思い浮かんだすぐ後に

「庫内灯」の巻末に収録されたBL句会報でも

別の句を評して

「この句はおっさんとただれたお付き合いをしているDKの句」と

言っていた自分を思い出して、妄想の引き出しの少なさを痛感した。


心臓の代わりトマトをぶつけあう  実駒

トマトに触る時の、あのどう力を入れていいのか

分からなくなる感じが好きだ。

中身はあんなに水っぽいのにすべすべした外側に覆われている、

ちょっとよくわからないところも好きだ。

まあでも、心臓の代わりならば仕方ない。


修司忌の指鉄砲はきみの背に  森川真澄

寺山のチャーミングな作風というか、

人を魅了してやまないところをうまくすくいとった句。

寺山が、「風と木の詩」に寄せた文章で

ジルベールを大いに讃え

セルジュなんかにつかまるなよ、とけしかけていたことを

何故かふと思い出した。


球春の大きな尻が揺れている  山本たくや

バカバカしくてダサカッコいい。

イラスト化してほしい。


何度でも好きだと言うよ榾燃ゆる  雪李

上五中七のド直球さにこの季語である。

これは絶対に、生半可な告白ではない。

寒さにも風にも負けず、芯からちろちろと燃えている榾に

その身を例えているのだ。

ぎゃー!しぶい!しぶすぎる!抱いて!受を!


流線はたとえば君の泳ぐ形(なり)  蘭奢

誰かの泳ぐ姿を線に例えるのではなく、

線を泳ぐ姿に例えている、比喩の逆転がせつない。

作中主体が「君」にひどく飢えているのがわかる。


笑ひながら泣くんぢやねえよ浮いてこい  龍翔

短歌も詠む作者。短歌で見せる、ウェットな心の動きを追いつつ

最終的に諧謔にくるむ詠みぶりは俳句でも垣間見えはするのだが、

心情を追うにはあまりにも短い

俳句という詩型のおかげというかせいというか、

短歌より大雑把でぶっきらぼうな印象だった。

だからこそ、作者には俳句もぜひ続けて欲しいと思う。


水澄めばほろびるもののほうへゆく  ろん

最後に響きが美しい句を紹介出来ることが、とても嬉しい。

この句をどうか、声に出して読んで欲しい。

ハ行の涼しさが効いている。


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