長続きできない日常

どうして何もかも長続きしないんだろう?

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趣味にしても、お稽古にしても、勉強にしても、
飽きてしまう。
辞めてしまう。

短期目標は頑張れる。
頑張れた実績もある。
大学受験(7ヶ月)。
簿記試験(2ヶ月)。
会社の優秀賞(6ヶ月)。

1つは、やってることに次第に意味を見出せなくなる。
新しいことはワクワクして始めるのだが、全貌が見えてくると、もういいかな、となってしまう。

1つは、大きな目標がない。
ゴールがあり、長期目標を決め、中期目標を決め、短期目標を決める、というのはよく聞くが
まずゴールが描けない。
いつも思うのだけど、目指すゴールがないのだ。
ただただ、やったことのないことを経験するのが楽しいのだ。
その経験を得た事実が好きなのだ。

でも、いざ数年頑張った人の話なんかを聞くと、わたしの数年とえらい差だなぁ。
そりゃこんな実績差もつくよなぁ。
と思ったことは、実は何度もある。
1日1時間を毎日やった人と、何もしなかった人。
1日単位で見ればたった1時間だが、1年単位で見たら365時間だ。
これが3年経ったら1000時間だ。
未来を見据えて努力できなかった自分の敗北感。

長続きしないことは、自身の喪失にも繋がっている。
いつも「これをやる!」と思ってやらないわけだから、自分の約束をずっと守れていないようなものだ。
そうすると、いよいよ何かを始めるとき、決めるとき、「でもどうせできないしなぁ…」という思考に陥る。
気づいたら、そうなっている。
自分の可能性をどんどん信じられなくなってくる。

もう1つ、そもそも自分の中に生まれる「モチベーション」に頼りすぎている節がある。
社会人1年目の冬、あまりに仕事にモチベーションが感じられず、上司に聞いたことがある。
「仕事にモチベーションを感じられなくて、仕事が進まないんです。どうしたらいいですか?」
と。
この時の上司の答えはこうだった。
「あのね。仕事は、モチベーションがなくてもやるんだよ」
今思うと、至極真っ当な答えだった。
モチベーションがあろうがなかろうが、やるものはやるのだ。

何か長続きしないときに1番無駄なことは、「やると決意する」ことだと聞いたことがあるが、心からそう思う。

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