社会人4年目にして私の人生はひとつの終わりを迎えた


ホックシールド 『管理される心 感情が商品になるとき』 https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2016/04/pdf/036-039.pdf

“おわった 大殺界だ なんでだ 死にそう だめだ おわった おわりました おわりです もうだめです おわり 本当に 終了 終了です おわり”
ー(限界を迎えた直後に自身の携帯のメモに打った独り言)

私が如何様にして自身が何者か見失うに至ったかが、これ(ホックシールド)を読んでわかった気がする。もはや自我はなくて、ただこの身体が毎日同じ場所に向かい同じ服を着て、同じ椅子に座る。そして私はそこで機械になって働く。、、、、、こういう話をしていて涙が出そうな気持ちになるのは、私が人間に還ってきたってことだと思う。それまでは自分のことを誰かの駒としか認識できなかった。蛇口のバルブみたいに、水が流れ続けないように止めておく役割が誰か1人必要だから、みんな交代でそのポジションにつく。私もそうやって水を止める部品だったけど、ある時から破損したから役割を十分に果たせなくなる。そこではバルブになれないこと以上に、なろうと思えないことを否定される。私はかろうじて居場所を獲得するためにその否定を受け入れる他ない。そして欠陥は大きくなる。私はバルブを演じなければいけないし、自分の精神力次第でそれはできると思い込もうとする。破滅に向かう道を歩く。結果引導を渡したのは、ブルーハーツ的な言い方をするのであれば、私の心のずっと奥の方の枯れかけた花だった。水を欲している声を私はずっと聞こえない振りをしていた。失ったと思っていた私自身はずっと私の中にいて、少し乱暴な手段で私を淵から引き止めてくれた。

夜勤明け自宅へ向かう電車の中で限界を迎えた私は考えるより先に地元の心療内科を予約していた。その頃私は毎日のように天に祈っていたので、当日診療枠がひとつだけ残っていたことに対して「道を用意してくださった」と大袈裟な解釈をした。終わった、と思った私の人生は、実際にひとつの終わりを迎えた。そして、およそ1時間と1万円ほどで手にした診断書からそれは形を変え色を変えて、また始まるのであった。

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