3S政策を恨むより、その「目的」の斜め上を行く視点を持つとラク⭐︎
本が好きな父は、気に入った箇所は一字一句、筆で紙に書き留めてその言葉のまま記憶していました。
ただ知識や知恵は豊富なんだけど、生活と一致しない...
どんな良識や教養が頭に詰まっていても、日常で活かすことがなければ、ただの丸暗記...なのです。
皆さんは大丈夫でしょうか?
本の一文一文を鵜呑みにしてませんか?
もちろん、その著者の言いたいことは受け取るべきです。
でも、「私ならこうする」「別の立場ならこれはどうか」という多視点を持つことで、思考に深みが出ます。
それがたとえ想像の域だとしても、その想像はあなたの知性が与えたもの。
ですから、良い本や良い文と出会えたなら、さまざまな人生の奥行きを得られ、心の豊かさに繋がるのです。
さて、今回は有名な3S政策についての捉え方をお伝えしましょうか☺️
知らない方にざっくり説明しますと、太平洋戦争終結後、GHQが日本の国づくりをする中で取り入れた政策一つです。
3R、5Dなど色々あります。
中でも、3S政策はさまざまな陰謀論を呼び込むほど、今の私たちに影響を与えるほど大きな役割となりました。
3Sとは、screen(映画)、sport(スポーツ)、sex(セックス)のことです。
これをやれば、まじめな全体主義の日本人も遊びを覚えてよかろう...精神性を下げるべきだと考えられたと言われます。
これを知った現代の人が
「日本人の精神性を下げるなんて奴らの最低のやり口だ!」
と言うことが多いのですが...
私の多視点だと、そこだけでは終わらないのがこの3S政策なんです😅
まぁ、そもそも日本人が精神性が高かったのか?というのは非常に難しいです。
ひとことでいえば、時代が違う。
全体主義とはいえホンネとタテマエの社会だったかもしれない。
みんなが決まりを守るのも、輪を乱さないのも、自分の感情とは違っていたけど仕方なく...だったかもわかりません。
ただ、科学の進歩で助けられている現代の「精神性」というのもまた価値尺度が異なるかと思います。
それで何が言いたいかと言うと...
・映画で活躍する天命
・スポーツで活躍する天命
・性を使うという天命
がある人もいるのです。
それぞれに否定できない、ということです。
日本の文化も深みが増したともいえます。
人類も目覚めと眠りの時代になってすでに分かれていますが、どの人にも癒しや学びが必要です。
性に関しては、それこそレムリアと言われるような縄文期にも似た文化では、性はもっとオープンで素晴らしいものだったと言われています。
それはなぜか?
どの子供も、父親も母親も関係なく、全ての大人の手によって育てられていたと言われるからです。
そのほうが精神性が高い文明と評価する人もいるくらいです。
結局問題なのは、強欲なのです。いつの世も、ね。
だから
・映画
・スポーツ
・性
この三つの政策そのものが問題なのではありません。
たしかに、彼らは悪党的な考えだったかもわかりません。
精神性を落とすことが目的だった、と。
でもその手に乗ってはいけないのですよ😅
恨んだら負けみたいなもの。
私たちは、映画も、スポーツも、性も使って、幸せを体現しているのだ!と感謝し、こちらから彼らに慈悲をかけるのです。
もし彼らが本当に悪のような視点で3S政策を掲げたのであればですよ、
私たちがそれすら精神性の肥やしにしている
とわかったときの、屈辱ったらないでしょう。
ものごとを単体で見てはいけません。
考察には必ず、陰陽を使ってください。
陰陽で物事を見た時に初めて、あなたはその課題から卒業できます。
お読みいただきありがとうございました!
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