いまっつの演劇レポートvol.2「あなたならどう見る?」

最近正式に肩書きが劇団員となった(これまでも劇団員以上の仕事をしてくれている)今津佑介による演劇レポート!

今回は、劇団ホワイトチョコが好き。二人芝居『見上げる魚と目が合うか?』の観劇録です。

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観劇録
「あなたならどう見る?」 

【見方いろいろ】
 1枚の絵で若い女性と年老いた女性の二通りに見えるだまし絵「妻と義母」をご存じだろうか。見方により別人が現れて、世界中の人々がはっとさせられている。

 一方で記者時代、人気絵本作家・宮西達也氏の講演会を取材し、衝撃を受けたエピソードがある。宮西氏が描いた『せいぎのみかた ドラフラ星人の巻』(学研教育出版)のストーリーはこうだ。宇宙からやって来た醜いドラフラ星人は言葉が通じず、この星に来た目的を伝えられない。人々が怖がっていると、ハンサムで話ができるスペシャルマンが登場。ドラフラ星人は悪者、スペシャルマンは正義の味方と思われたが、実は正反対だった―。宮西氏はこの作品について「ウルトラマンは3分間で悪い宇宙人や怪獣をやっつける。でも、これが正義か。もっとも正義とは何だろうか。そう考えて書いた」と語った。当時「〝見方〟次第で〝味方〟が変わる」と、しょうもないおやじギャグを考えて一人笑っていたが、思い返せばこれは物事の核心に迫る言葉かもしれない。
 2019年11月2日から2日間にわたって甲府市のコミュニティスペース「文化のるつぼ へちま」で行われた劇団ホワイトチョコが好き。初となる二人芝居「見上げる魚と目が合うか?」(原田ゆう作、廣瀬響乃演出)はさまざまな角度から舞台をとらえる意義を考えさせられた。

【作り手の意図】 
 この作品は第18回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した。デザイン事務所の面接試験を受ける梨絵と妙子。初対面の気まずい雰囲気の中、梨絵は隣の妙子をふと見つめて「溶けていく魚」の話を始める。梨絵のファンタジーに妙子は引き付けられ、二人は徐々に打ち解けるが、向かいのビルの屋上に突如人影が現れて動揺する。
 タイトルだけ見れば、水族館の物語か、はたまた魚屋、すし屋の話かと思う。また台本を一読しても、舞台を一瞥しても作り手の意図がいまひとつはっきりしない。そこで演出の廣瀬は挨拶文で自身の体験を織り交ぜながら作品への思いをつづっている。「この作品は東日本大震災の翌年、2012年に書かれました。コミカルなセリフや行動とは裏腹に、地震や原発、災害のこと、それに関わるSNSの存在や、そもそも飽和状態になっているこの時代の生きにくさを描いたこの戯曲に強く共感したのを覚えています」「いつも私は傍観者であるという罪悪感。何をしても変えられないという無力感。このもやもやとした気持ちをどう消化したらいいのか分からない」見方をはっきりと示したことで、観客は腰を据えて物語の世界に浸れたはずだ。作り手はどこまで手の内を明かしたらよいか。やり過ぎれば「見方を押し付けている」と、観客の反感を買うだろう。だからといって解説がなかったら、やり場のない気持ちを抱えたまま劇場を去るかもしれない。この判断は作り手にとってある種の賭けといえよう。廣瀬はこの賭けに勝ったと、筆者は考えている。

【正反対の配役】
 同劇団の「見上げる魚―」は梨絵を廣瀬が、妙子を鷹野百江がそれぞれ演じていた。筆者は初めて台本を読んだ時、真逆のキャスティングを思い浮かべた。梨絵と妙子の人物像をイメージした上で廣瀬と鷹野がこれまで出演した舞台を振り返った結果、こう結論付けた。筆者から見れば正反対の配役だが、なぜか違和感がない。ぴったり合っている。二人はどんな役も器用に演じ分けており、そのレベルの高さを改めて見せ付けられた。一方で、「廣瀬なら、鷹野ならこう演じるはずだ」と、何のためらいもなく見方を固めていた。舞台は〝生もの〟といわれる。同じ演目でも役者の息遣いや、観客の姿勢などで印象が異なることも。もともと多様性に富む世界だ。見方を柔軟に変えることで、一味も二味も違う舞台になるのでは。

【味方側の見方】
 さて、この文章は同劇団の「見上げる魚―」に合格点を付けているが、見方を変えたらどうなるか。厳しいアドバイスも必要だが、筆者にそれができないのはあまりに味方側の見方をしているからか。ただ、見たまま、聞いたまま、思ったままをつづっている。
 読者の批判を覚悟した上で筆をおく。

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