子育てはするな社会の構造

日本では子育てをしてはいけない。
そんなメッセージを社会から感じます。
子どもを否定して、みんな大人になってくれ
というメッセージが強すぎる。

超高齢化社会の只中にある日本にとって
子どもは超少数派すぎて認知してもらえない。
この世界で生きていくためには最低1日8時間働かないといけない。
その労働時間には子育ての時間は含まない。
純粋に労働を提供しなければいけない。
その残りの時間で子育てや家事を完了しなければ生きられない。
これを自己責任と呼んでみんなで守っている。

実際には、8時間の労働のためには8時間では足りず
通勤時間と休憩時間を提供しなければいけない。
通勤時間は人それぞれだが仮に片道30分だとすると1時間は
仕事をするために使わなければいけない。

労働基準で休憩時間も入れないと働くことができない。
そのようなルールがあるので8時間の労働時間を提供するために
通勤時間と休憩時間も人生の時間から捻出しなければいけない。
短く見積もっても10時間、
おそらく多くの人が12時間は仕事のために使っている。
12時間消耗しないと8時間の労働時間を提供することができない。

シングルで子育てをしている人であっても
夫婦で子育てをしていても条件はほとんど同じで
シングル家庭では、これを全てワンオペでやらなければいけない。
今家事のほとんどが家電化によって短縮されたとはいえ
子育てはシンプルに面倒を見るのに時間がかかる。

あれやこれやと全部見なくていいとしても
子どもがひとりで遊べる環境を創造する必要性がある。
安全に遊べる空間を考えると例え話ではないリアルな「箱」に入れて
子どもを育てなければいけない。
公園には、ボール遊び禁止、野球サッカー禁止、自転車禁止
あらゆる全ての遊びは禁止されている。
大人や高齢者が、集まってただ話をするためだけの空間で
子どもが走り回ってかくれんぼや鬼ごっこをする場所ではない。

こんな世界でどうやって生きていけばいいのだ。
そんな時代なのではなかろうか。
これを変えていかないと「人が暮らす」社会とはいえない。

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