私も老害化していくそれは止められない。

私もついに老害化を感じています。
若い者が侵す過ちや、知恵の足りなさに対して
ついつい口出ししたくなってしまう。

もう30年ほど前、小学生だった頃に
近所のプラモデル屋さんの秘密の部屋に通されて
そこには巨大なプラレールのジオラマがあって
小学生2〜3人で大はしゃぎしたことがあった。
その時に、すごいすごいと言っていると
プラモデル屋のオヤジさんが
おまえたちの言葉使いがどうも気に入らんと怒り出し
説教が始まってしまった。
「うそやん」というのに対し
「うそは言わん」「うそはついてない」とか
小学生の発する言葉の端々が気になるようで
説教されてしまったのだが

今はその気持ちが重々よくわかる。
特にネットやオタク系界隈、ヤンキー系界隈で使われているような
ネットスラングのような言葉づかいの知恵の無さ
表現のレンジ幅の低さ、イチゼロのデジタル的な有るか無いかだけで
語られる軽い言葉、激しい感情を少ないボキャブラリーで表現し
なんでも同じ言葉で語ってしまう。

小学生の感性はとても豊かで
言葉ではない、仕草や挙動、口角のあがり具合
目線、目の表情、テンションの温度感など
言語ではは表現しきれないさまざまなものを
言語化されない感覚で感じてコミュニケーションしている
その能力は大人にはない研ぎ澄まされた感性を持っていて
そのおかげでコミュニケーションが成り立っている。

私ももはや1977年生まれの1990年代に青春を過ごした
その世代の老害になってしまった。
令和の時代の感覚についていくことはできない。
年代が違う感覚に共感よりも違和感が際立ってしまう。

思えば本来であればヒトという動物は
約15年も生きていれば十分大人であると言いたい。
20歳はもう立派に自分で生きる能力があり
言動にも生き方にも己の責任を持って生きている
大人の責任の上において、諸先輩方と同等の扱いでなければ
おかしいと思っている。
だが実際は、20才になっても子供扱い。
新入社員として入ってきても重い責任は負わせない。
リスクがあることを考えさせない、体験させない。
そのまま年齢だけを重ね年老いていく。

戦後の世代は、現代の超少子高齢化とは真逆の状態で
高齢者どころか、大人すら数少ない状態で
兄弟の一番上が兄弟の下のめんどうを見て
料理をして食べさせたり、洗濯をして衣類を綺麗に準備したり
トイレや風呂をこなしていた。
暮らすこと、生きることに責任を負っていて
食べるものひとつひとつに感謝があった。
超少子高齢化の現代にはそれはあり得ない。
親が子供のあらゆるリスクを全部回避した傘のしたで箱の中で
育てることを正しい子育てとして盲信している。
それをやめることはできない。
これは呪いとなって次世代に引き継がれていく。

子どもに自分と同じような苦労はさせたくないとか
勉強や仕事を頑張っていい学校、いい会社に行って
真面目に仕事をすれば必ず報われる
忍耐と真面目さを持って生きなさいということを信じて疑わない。
それを子どもに正しさとして押し付けてしまう。
これでは子どもはいつまで経っても大人にはなれない。
子育てなんてできない。
子どもを育てられない生き物は世代の循環が壊れる。
そんな生き物は滅びてしまう。
自然の摂理はそのような掟でできている。
だからついつい言葉が出てしまう。
自分自身の老害を止めることはできない。

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