老害はない老害の正体。

「老害」はない。
世代間の差別に対してアンチです。
世代間を分離させて戦わせることに意味はない。
人は皆、ageを持っていて
生まれて、死ぬまで一本の時間軸を生きている。
これは、生きているもの全てに共通するものであって
それがあるものとないものを切り分けることはできない。
そのような視点には意味がない。

「老害」という言葉を使いたがる人たちの真意は
世代間差別がしたいのではなく
時代における新旧の入れ替わりを言いたいのだと思う。
過去に繁栄した古い考え方を維持している人たちに対して
それを指して「老害」と称しているのではないだろうか。

私は、このような「老害」や「今どきの若いもんは」というような
「若害」という考え方そのものを否定して考えているが
実際に今、現代の社会で起こっている問題は
労働者が頑張れば報われた一生懸命働くことで
生活が豊かになっていった世代の人たちが
そろそろ60代70代というベテランのポジションになってもなお
その労働者は一生懸命働くことに価値があるというやり方を変えられずに
本来であれば高校生や大学生が働くようなところへ
年金をもらっているけどまだまだバリバリ働きたいという人が
大学生が覚えるべき仕事を60代の世代が奪っている現状を感じています。

もうひとつ感じられるのは
30年も40年も前の古い考え方の人が
今の令和の時代の人たちの一生懸命な働き方に対して
手を動かさずに口先だけでヤジや罵声を飛ばして
あーだこーだと口を挟んで物事が進まないパターンもあります。

全ては、年齢に関係なく
若い人が、とか高齢の方がということではなくて
このような有害な人材による人災は
全ての世代に同じくらいの比率で存在していて
たまたま戦後世代、戦後ジュニア世代の人口が多く
若い世代の数が圧倒的に少ないために
高齢世代のそのような害の発生件数が増えていることが
目立っているだけなのではないかなぁと感じています。

交通事故や、モンスタークレーマーなどにも同じような現象が起こっていて
交通事故の内容を見ていても登場人物の加害者も被害者も
多くが60歳以上の高齢者で、まれに一人くらい10代がいるかと思うと
自動車の運転免許を持たない歩行者か自転車で
車に轢かれたり、事故に巻き込まれてしまったポジションにいて
いたたまれない気持ちにさせられます。

これは、「老害」などというキャッチーなことではなく
これこそがまさに少子高齢化社会の現実の姿であって
老害ではないのです。

団塊の世代は、いくつになっても永遠に
「若手若手」と言われ続けて
諸先輩方が健康に長生きされていて
60歳も70歳もずっとヤングの精神です。
それに比べると、30代の人たちは
30にしておじさんを自覚し、社会全体の責任や次世代の責任
などを重く自覚して自殺してしまう人たちも多数発生しています。
27歳〜35歳前後の人たちの打ちひしがれてしまった精神状態は
極めて深刻で、簡単な言葉で「最近の若者は弱い」とか「ゆとり世代」
などという言葉だけで片付けてしまうにはあまりにも安直な考えです。
彼らは一人で上の世代も未来を支える下の世代もその両方を抱えて
どちらからもサンドイッチでエネルギーを吸い取られてしまいます。
そんなサンドイッチにもいつか慣れてしまって当たり前になっていて
すねてしまう人たちや逆ギレしてしまう人たちもいます。

ここは一度あらゆる全ての社会参加者がリセットして
それぞれの世代ごとがお互いの立場を理解して
各ageに合わせて、それぞれの精神年齢を調節して
お互いにうまく支え合えるような関係性を目指すのがベストです。
私たちは同じ土地で同じ社会を共有して生きているのですから
世代間の差別によって傷つけあっても
誰も得しないし、生き辛い世の中になってしまうだけです。

それぞれが実年齢の年相応の節度をわきまえて
それらが皆それらしく生きられるのが楽であり
かつ、それでこそ自分らしく生きられる人生が
そこにあるのではないでしょうか。

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